第130話 みえないところ
放課後。
こむぎと桃華は、今日も商店街を歩いていた。
「今日、部活ちょっと遅くなりそうだね。」
桃華が時計を見る。
「うん。」
こむぎも頷く。
「湊先輩が一年生の練習、少し長くするって言ってたし。」
「じゃあ、急がないと。」
二人は少し早足で歩いていく。
商店街は、夕方になって少しずつ人が増えていた。
学校帰りの学生。
買い物をする人。
店先で話をする人。
いつもと変わらない光景だった。
その時――。
「危ない!」
突然、少し離れたところから声が聞こえた。
こむぎが振り向く。
道路の近くに、小さな男の子が立っていた。
そのすぐそばを、自転車が通り過ぎようとしている。
「……!」
こむぎが息を呑む。
次の瞬間。
緑色の髪が目の前を横切った。
「こっち!」
少女が男の子の腕を引く。
男の子が歩道の方へよろける。
自転車はそのまま通り過ぎていった。
「……。」
少女は男の子の前にしゃがむ。
「大丈夫?」
「う、うん……。」
男の子は少し驚いた顔で少女を見る。
「ちゃんと周り見て歩きなよ。」
「ご、ごめんなさい。」
「謝るならいいけど。」
少女は立ち上がる。
「次は気をつけて。」
「うん!」
男の子は元気に頷いた。
そして――。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
少女の動きが止まった。
「……。」
一瞬だけ、驚いたような顔をする。
けれど、すぐに顔をそらした。
「……別に。」
少女はそのまま歩き始める。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
後ろからもう一度声が飛んでくる。
少女は振り返らない。
ただ、少しだけ手を上げた。
その様子を、こむぎと桃華は見ていた。
「……。」
桃華が小さく呟く。
「思ってたより、優しいところあるね。」
「うん。」
こむぎも頷く。
「前に見た時とは、ちょっと違うね。」
「でも、言い方はやっぱり強いけど。」
「それはそうだね。」
二人は顔を見合わせる。
その時だった。
近くにいた中学生たちが、少女の方を見ながら話し始めた。
「今の見た?」
「見た見た。」
「あの子、また人助けしてたね。」
「でも、あの子って怖いんじゃないの?」
「怖いよ。」
「……どっちなの?」
「知らない。」
そんな会話が聞こえてくる。
こむぎは少し不思議そうな顔をした。
「みんな、あの子のこと知ってるんだね。」
「『翠の鬼姫』って呼ばれてるくらいだしね。」
桃華が答える。
「でも、こういうところもあるんだ。」
「うん。」
こむぎは少女の背中を見る。
少し離れたところで、少女が立ち止まった。
商店街の店先。
そこには、昔からある小さな写真屋があった。
少女は何となく店の前を通り過ぎようとする。
その時。
「みっちゃん。」
店の中から、年配の女性が声をかけた。
少女が振り返る。
「……何?」
「今日も学校帰り?」
「そうだけど。」
「暑いねぇ。」
「暑い。」
「相変わらず元気そうで安心したよ。」
「……。」
少女は少しだけ黙る。
「まあね。」
女性が笑う。
「昔から変わらないね。」
その言葉に――。
少女の表情が、一瞬だけ止まった。
「……そうかな。」
「うん。」
「……。」
少女は何か言おうとした。
けれど、結局何も言わない。
「じゃあ、またね。」
そう言って、店から離れていく。
「みっちゃん、またね。」
少女は振り返らない。
ただ、歩く速度だけが少し速くなった。
「……。」
こむぎはその様子を見ていた。
「今……。」
「どうしたの?」
桃華が聞く。
「ううん。」
こむぎは首を横に振る。
「なんでもない。」
けれど、こむぎの目は少女の背中を追っていた。
さっきまでの強気な表情とは少し違う。
ほんの一瞬だけ見えた、何か。
それが何なのかは分からなかった。
「こむぎ、そろそろ行こう。」
「あ、うん。」
桃華に声をかけられ、こむぎは歩き出す。
「部活遅れちゃう。」
「急ご!」
二人は商店街を抜けていく。
その頃。
少女は、一人で細い道を歩いていた。
「……。」
さっきの女性の言葉が、頭に残っている。
『昔から変わらないね。』
少女は少しだけ空を見上げた。
「……変わらない、か。」
小さく呟く。
しばらく黙ったあと、少女は肩をすくめる。
「まあ、別にいいけど。」
そして、いつものように前を向く。
緑のメッシュが、夕方の風に揺れた。
一方、こむぎたちは体育館へ向かって走っていた。
「間に合うかな!?」
「たぶん!」
「たぶん!?」
二人の声が夕方の道に響く。
夏休みが終わって、学校生活も少しずついつもの日常へ戻ってきた。
猫カフェ。
文化祭。
部活動。
これから先も、こむぎたちにはたくさんの出来事が待っている。
そして――。
商店街には、今日も一人の少女がいる。
強くて。
怖いと言われて。
周りからは「翠の鬼姫」と呼ばれている少女。
けれど、その姿だけでは分からないものもある。
それが何なのか。
こむぎたちは、まだ知らない。
ただ――。
いつかまた、彼女と出会う日が来る。
そんな予感だけが、静かに残っていた。




