第128話 昨日の事
翌日。
昼休み。
教室には、昨日とは少し違う空気が流れていた。
「ねえ、昨日の商店街の話知ってる?」
「聞いた聞いた。」
こむぎが顔を上げる。
「商店街?」
近くの生徒たちが話している。
「昨日、中学生同士で喧嘩があったんだって。」
「しかも、かなり大きな騒ぎになったらしいよ。」
「それだけじゃないよ。」
別の生徒が声を落とす。
「『翠の鬼姫』がいたらしい。」
「えっ?」
こむぎが思わず反応する。
桃華も顔を上げた。
「それって……。」
「この前話してた子だよね。」
「うん。」
二人は顔を見合わせる。
「本当にいたんだ。」
近くの生徒が続ける。
「しかも、その子が男子を何人も倒したって。」
「何人も!?」
「そうらしいよ。」
「すご……。」
「相手、一人じゃなかったんでしょ?」
「うん。」
噂はどんどん大きくなっていた。
「『翠の鬼姫』に喧嘩売ったら終わりだって。」
「怖すぎ。」
「この辺の中学生なら、みんな知ってるらしいよ。」
こむぎは黙って話を聞いていた。
昨日、自分たちが見た光景を思い出す。
最初に手を出したのは男子だった。
少女はそれを避けて、相手の勢いを利用して倒した。
それでも――。
「……噂って、すごいね。」
こむぎが小さく呟く。
「うん。」
桃華も頷く。
「昨日見たことと、ちょっと違う話になってる。」
「そうだよね。」
「『何人も倒した』って言ってるけど、実際は一人ずつだったし。」
「うん。」
こむぎは少し考える。
「でも、あの子が強いのは本当だね。」
「それは間違いない。」
桃華も苦笑する。
その日の放課後。
二人は体育館へ向かうため、再び商店街を通っていた。
「今日は静かだね。」
桃華が言う。
「昨日がすごかったから、余計にそう感じるのかも。」
こむぎが笑う。
昨日騒ぎが起きた場所には、もう人だかりはない。
看板も元の場所に戻されていた。
「……。」
こむぎは少しだけ足を止める。
あの少女はいない。
「行こうか。」
「うん。」
二人が歩き出す。
その途中だった。
「お姉ちゃんたち。」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、小学生くらいの男の子が立っていた。
「ん?」
こむぎが首を傾げる。
「昨日の子、見た?」
「昨日の子?」
「緑の髪の人。」
「ああ……。」
こむぎは桃華を見る。
「うん。見たよ。」
「やっぱり!」
男の子が嬉しそうに言う。
「やっぱり『翠の鬼姫』だったんだ!」
「え?」
桃華が驚く。
「知ってるの?」
「うん!」
男の子は頷く。
「この辺で有名だよ!」
「そうなんだ……。」
こむぎが少し苦笑する。
「でも、あの子っていつもあんな感じなの?」
「分かんない!」
男の子は元気よく答える。
「でも、強いんだって!」
「そっか。」
「昨日も勝ったんでしょ?」
「……うん。」
こむぎが答える。
男の子は満足そうに笑った。
「じゃあね!」
「うん、バイバイ。」
男の子が走っていく。
「……すごいね。」
桃華が呟く。
「もう小学生まで知ってるんだ。」
「うん。」
こむぎは少し遠くを見る。
「『翠の鬼姫』って、本当に有名なんだね。」
二人はそのまま体育館へ向かって歩いていく。
その頃。
商店街から少し離れた道を、一人の少女が歩いていた。
緑色のメッシュ。
昨日と変わらない姿。
少女はスマホを見ながら歩いている。
「……。」
ふと、後ろから男子たちの声が聞こえた。
「いたぞ。」
少女が振り返る。
昨日の男子たちだった。
「また?」
少女が面倒そうに言う。
「昨日のこと、まだ終わってないから。」
「……。」
少女は小さくため息をつく。
「しつこいなぁ。」
男子たちは少女を見つめる。
けれど、昨日のように近づいてくることはなかった。
「……。」
少女も何も言わない。
ただ、少しだけ笑う。
「じゃあね。」
少女はそのまま歩き出した。
男子たちは何もできず、その背中を見送る。
夕方の街に、緑色のメッシュが遠ざかっていく。
そしてまた一つ。
「翠の鬼姫」の噂が、この街に広がっていった。




