第114話 知らない道
「こむぎ?」
桃華の声が聞こえる。
「……うん!」
こむぎは笑って返事をした。
四人は、再び祭りの通りへ戻ろうとしていた。
けれど。
「……あれ?」
こむぎがふと足を止める。
「どうした?」
璃空が振り返る。
「なんか……。」
こむぎは周りを見渡す。
少し離れた建物の隙間から、祭りの明かりが見えていた。
「こっちからも明かりが見える。」
「本当だ。」
桃華もそちらを見る。
「でも、そっちはさっきの道じゃないよ?」
「うん。」
こむぎも分かっている。
「ちょっとだけ見てくる!」
「え?」
桃華が声を上げる。
「こむぎ、待って!」
けれど、こむぎは少しだけ先へ歩いていった。
「すぐ戻るから!」
「もう……。」
桃華が困ったように笑う。
「しょうがないなぁ。」
「俺たちも行こう。」
璃空が言う。
しかし桃華は首を横に振った。
「私が呼んでくる!」
そう言って、桃華はこむぎの後を追った。
◇
一方。
こむぎは細い道を歩いていた。
さっきまで聞こえていた祭囃子が、少しずつ遠くなっていく。
人の声も聞こえない。
屋台の明かりも、いつの間にか見えなくなっていた。
「……あれ?」
こむぎが立ち止まる。
「こんな道だったっけ……。」
周りを見渡す。
左右には建物。
足元には、街灯の淡い光。
その先には、さらに暗い道が続いている。
「……戻ろう。」
こむぎは振り返った。
その瞬間――。
ぎゅっ。
「――っ!」
突然、後ろから腕を掴まれた。
身体が大きく跳ねる。
「こむぎ! こんなところにいたんだ〜」
「探してたんだよ〜?」
明るい声。
聞き慣れた声。
桃華だった。
「――――。」
こむぎは動かなかった。
掴まれた腕。
暗い道。
冷たい風。
遠くから聞こえる、祭りの音。
その全てが、一瞬で遠ざかっていく。
「……こむぎ?」
桃華が不思議そうに顔を覗き込む。
こむぎの目は、桃華を見ていなかった。
もっと遠く。
もっと昔。
どこか別の場所を見ていた。
――暗い夜。
何も見えない。
冷たい空気。
小さな身体。
「……。」
誰かの手。
自分の手。
ぎゅっと握られている。
けれど――。
その手が、離れていく。
「……っ。」
こむぎの呼吸が浅くなる。
――遠ざかる足音。
待って。
行かないで。
そう言いたい。
けれど、声が出ない。
「……っ、は……。」
視界が揺れる。
暗い。
ただ、暗い。
その中に、ぼんやりと誰かの姿が見える。
顔は見えない。
声も聞こえない。
ただ、遠ざかっていく。
「……。」
こむぎの身体が震え始める。
「こむぎ?」
桃華の声が、遠くから聞こえる。
けれど、こむぎには届かない。
――暗い道。
――冷たい風。
――伸ばした手。
――離れていく誰か。
「……いや……。」
小さな声が漏れる。
桃華の手が、こむぎの腕から離れる。
「こむぎ?」
こむぎは一歩、後ろへ下がった。
「……っ。」
胸が苦しい。
息がうまくできない。
頭の中に浮かんだものが、次々と消えていく。
誰だったのか。
どこだったのか。
何があったのか。
何一つ分からない。
それなのに。
怖い。
どうしてか分からないのに、身体だけがそう感じていた。
「こむぎ、大丈夫?」
桃華が心配そうに声を掛ける。
「……。」
返事ができない。
こむぎは自分の腕を押さえたまま、ただ立ち尽くしていた。
「……ごめん。」
ようやく出た声は、とても小さかった。
「なんで謝るの?」
桃華は優しく尋ねる。
こむぎは答えられない。
「……分かんない。」
「そっか。」
桃華はそれ以上、聞かなかった。
ただ、少し離れたところに立つ。
「大丈夫だよ。」
静かな声。
「ここにいるから。」
こむぎは顔を上げる。
桃華がそこにいる。
暗い道の中でも、ちゃんと見える。
聞き慣れた声。
知っている人。
少しずつ、現実が戻ってくる。
遠くから祭りの音が聞こえる。
人の声。
屋台の明かり。
「……。」
こむぎはゆっくり息を吸う。
そして、もう一度吐いた。
「……大丈夫。」
自分に言い聞かせるように呟く。
桃華は小さく頷いた。
「うん。」
しばらくして。
こむぎの震えが、少しずつ収まっていく。
「……帰ろ。」
「うん。」
桃華は笑った。
「みんな待ってるよ。」
こむぎは頷く。
二人は並んで歩き始めた。
今度は、桃華がこむぎの少し前を歩く。
こむぎがちゃんとついてきているか、時々振り返りながら。
その先には、祭りの明かりが見えていた。
こむぎはその明かりを見つめる。
さっきの記憶は、もう消えていた。
けれど。
胸の奥には、まだ小さな恐怖だけが残っていた。
「……。」
こむぎは何も言わず、桃華の後を歩いていった。




