第98話 「ドワーフ族の流儀を教えてやる」
会議が終わって、皆が帰った。
姐さんとカイルさん、シャロ姐さんは別邸に戻る馬車に乗り込んでいった。ガーレンさんは別件の諜報があるとかで、これも先に外へ出ていった。ルーシェ先生は事務所の奥に引っ込んで、帳簿の続きをやっている。
応接間に残ったのは、あたしとトールだけだった。
膝の上で拳が、スカートの裾を握り込んでいる。隣でトールも黙ったまま、両手を膝に置いて固まっていた。
応接間の灯りが、夕方に近づいて、少しずつ橙になってきていた。
奥の工房から、ドルクさんが鎚を一度置く音が聞こえた。
今しかない。
あたしは立ち上がった。膝が、震えていた。
「ドルクさん」
声が、思ったより擦れた。
工房の敷居をまたいで、ドルクさんの前まで歩いた。トールが、後ろからついてくる気配がした。
「その、あたし」
唇が、何度も開きかけて閉じる。
頬が、湯気が立つほど熱かった。
「ドルクに、ちゃんと、伝えとかなきゃと思って。トールと、お付き合いさせていただいてます」
頭を下げた。
仲間内では昨日の朝食ですでに公認になっちゃってたけど、トールのお父さんに正式に話を通すのは、これが初めてだった。
ドルクさんの手が、パイプから離れた。
一瞬、瞬きが止まったのが分かった。
それから、口の端が、ゆっくり持ち上がった。
「知ってた」
あたしの目が、勝手に見開いた。
「えっ」
「親父の目を舐めるな」
パイプが口元で揺れた。声は軽いのに、目尻の皺が深くなっていた。
ドルクさんが片腕で工房の奥の棚に手を伸ばした。布に包まれた一振りの小剣が、布ごと、鎚を置いたばかりの作業台の上にとんと置かれた。
古い。布の隙間から覗いた刃に、小さな刻印が入っていた。柄の革は、年月を吸って飴色になっていた。
「ミナ嬢ちゃん、ドワーフ族の流儀を教えてやる」
ドルクさんが、刃の刻印を指でなぞった。
「うちの一族は、結婚する時、剣を交換する。男が打った剣を、女に渡すんだ」
「鍛冶屋の家系なら、自分で打つ。打てねえ家なら、親方に頼む」
「これは、トールが生まれた日に、俺が打った。お守りの小剣だ」
息が、止まった。
「いつかトールがお前にちゃんとした剣を打って渡す日まで、これを預けておく」
指が、小剣に伸びかけて、途中で震えた。
「ドルクさん、それは」
声が、もう擦れていた。
ドルクさんがトールを横目で見た。横でトールが、両手を膝に置いたまま、動けなくなっているのが分かった。
「トール」
「はい」
「お前が盾守りを選んだ時、俺は嬉しかった」
ドルクさんの声が、低くなった。パイプを噛み直す音がした。
「誰か一人でも、お前の盾で守れる女が出来たんなら、俺の育て方は、間違ってなかった」
トールの喉が鳴ったのが、隣に立ってるあたしには分かった。言葉にはならなかった。
ドルクさんが、荒い息を一つ吐いた。それから、あたしに向き直った。
「だからミナ嬢ちゃん、トールのこと、よろしく頼む」
頬を、涙が一筋伝った。
「ドルクさん」
唇は動いたけど、声はほとんど音にならなかった。
奥の暖簾の向こうから、ミラさんが出てきた。鍋蓋は、もう持っていなかった。
「あんた、気が早すぎるのよ」
ドルクさんの肩をぱしんと叩いてから、ミラさんがあたしの前に立った。
「トールを選んでくれただけでも、ありがたいよ」
ミラさんの手が、あたしの肩に回った。
「ミナちゃん、うちは孤児院に寄付してる関係で、あんたの育ちのこと、知ってる」
体が、わずかに震えた。
あたしが孤児院で育ったこと、誰にも言わずに来たつもりだった。
でも、ミラさんは、最初から知ってたんだ。
「血が繋がってなくても、これからも、ずっとうちが、家族よ。変わらない」
肩が、崩れた。声が、漏れた。
「ミラさん」
それしか、言えなかった。
隣でトールが拳を握りしめているのが、視界の端で揺れた。唇を結んで、無言で頷いていた。
奥の暖簾が、ガサッと揺れた。
「母ちゃん、なんで泣いてるのー?」
ハナが真っ先に駆け込んできた。続いて弟妹たちが、ぞろぞろと暖簾をくぐった。
長女のガラを先頭に、次男ブリン、次女レナ、三男ボル。全員がドルクさんとミラさんの顔を見て、あたしの涙を見て、立ち止まった。
ボルが口を開いた。
「父ちゃんも、なんか変な顔してる!」
ハナがミラさんの足にしがみついて、見上げた。
「悲しいの?」
ミラさんが涙を拭いながら笑った。目元が、赤かった。
「悲しくないのよ。ちょっと、いいことがあったの」
ドルクさんがパイプを揺らして、にやりと笑った。
「お前ら、聞け。トールに、好きな人ができたんだとよ」
弟妹たちの目が、一斉にトールに集中した。ブリンが先に声を上げた。
「兄ちゃん、誰なの!?」
ボルがトールの腕を掴んで揺さぶる。
ドルクさんが、顎であたしを指した。
ハナがあたしを見上げた。小さな指が、スカートの裾を掴んだ。
「ミナ姉ちゃん?」
涙を慌てて拭いながら、頷いた。頬を、また熱が走った。
「は、はい」
「えーっ、兄ちゃん、やったじゃん!」
ボルが飛び上がった。レナが一歩前に出て、両手を揃えて頭を下げた。
「ミナお姉ちゃん、いつもありがとう。これからもよろしく」
ガラがレナの後ろから、落ち着いた声で頷いた。
「兄ちゃんを、よろしくお願いします」
ハナがあたしの足に抱きついた。
勢いそのまま、小さな体ごと、膝にぶつかってくる。
「ミナ姉ちゃんっ」
抱き返した。両腕の中で、小さな体が、温かかった。
「あ、あたし、こちらこそ」
顔を上げると、トールがこっちを見ていた。目が細くなって、口元が緩んでいた。握りしめていた拳が、いつの間にか開いて、指が膝の上で伸びていた。
ドルクさんがトールの肩を、片腕でぽんと叩いた。
「よかったな、息子」
トールの喉が震えた。声を絞り出すのに、二度、息を吸い直した。
「うん、父ちゃん」
ハナを膝に乗せたまま、あたしは工房を見回した。
ドルクさん、ミラさん、ガラ、ブリン、レナ、ボル、ハナ。
そして、トール。
ドルク家。
あたし、孤児院で育って、家族って言葉から、ずっと遠かった。
修道院の子たちは、妹たちみたいに大事だった。でも「家族」とは、また違う言葉だった。
今、ここに、家族がある。
ミラさんが「うちが家族よ」って言ってくれた。
ハナが膝の上で笑ってる。
ドルクさんがトールの肩を叩いてる。
あたしも、ここに、いていいんだ。
ハナの柔らかい髪に頬を寄せて、もう一度、涙を拭いた。
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