第9話 手が震えていた
カイルの頭が膝の上にあった。金色の髪が太腿の上に広がっている。呼吸のたびに、微かな温もりが布越しに伝わった。
額に張りついた前髪を、指先で払おうとして、やめた。
手が震えていたからだ。
カイルの目が開いた。焦点が合うまでに数秒かかった。
青みがかった灰色の瞳が、真下からこちらを見上げている。距離が近かった。まつげの一本一本まで見えた。
「助かった」
喉の乾いた低い声だった。
「動かないで」
小声で言った。
指先がまだカイルの胸の上にあった。カイルがその指に視線を落とした。
「腕がいいな。家業か」
「ヴェイン家の医者見習いです」
剣の柄の傷を撫でる癖が、ほんの少しだけ止まった。
「ヴェイン侯爵家か」
カイルの視線が、一瞬だけ私の髪に止まった。銀の髪を見て、紫の瞳に移って、すぐに逸れた。何かを確かめるような目だった。
「冒険者として登録してます。家のことは、控えめに」
カイルが微かに頷いた。
「分かった。聞かない」
「聞かない」と迷わず言い切る男だった。出会ってまだ数時間。それなのに、踏み込まないことを当たり前のように選べる。
普通の冒険者なら、侯爵家の名前に食いつく。この男は逆だった。
カイルが起き上がろうとした。
仰向けのまま腹筋に力を入れて上体を持ち上げかけて、顔が、近づいた。
咄嗟に肩を支えた。手のひらがカイルの首筋に触れた。脈が指の腹を叩いた。熱かった。
カイルが半身を起こした姿勢のまま止まった。こちらを見ている。額に汗が浮いている。
「どうした」
「な、な、なんでもないです」
「離さないのか」
肩を掴んだ手が、まだ離れていなかった。
舞踏会で殿方と踊ったことはある。手袋越しに、振り付け通りに、決まった距離で。あれは作法だった。
今のこれは作法ではない。
素手で、首筋に触れて、脈まで感じてしまっている。
手を引いた拍子に、引きすぎて自分の頬を叩いた。乾いた音が旧市街の石壁に反響した。
頬が熱かった。ノクスの尾が、一度だけ揺れた。
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