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第82話 「掴まれ!」

 三つ目の浮き島を越えた頃から、風が暴力的になった。鎖で繋がれた足場の幅は人三人分。柵は朽ちている。


 朽ちているというより、五千年の風雨に削り取られて、根元だけが石に残っていた。


 足元が揺れた。浮き島そのものが、風を受けて左右に振れる。トールの盾が風に煽られて、体ごと外へ持っていかれそうになった。ミナがトールの腕を掴んで引き戻す。



「あんた、その盾下ろしなさいよ!」



「下ろさねえっす!」


「落ちるわよ!」


「落ちても離さねえっす!」



 下を見なかった。見たら足が止まる。霧の底は見えない。



 四つ目の浮き島に渡る鎖橋の途中で、空気が裂けた。



 金属の羽音。フィオレが最初に言っていた、あの音。頭上の霧が割れて、影が三つ、同時に落ちてきた。


 機械蜂だった。胴体は人の頭ほど。四枚の翅に刻まれた古代の術式が脈打ち、針の先端から紫の毒液が滴っている。


 カイルが既に剣を抜いていた。フレイムソードの橙が一瞬で剣身を走る。



「下がってろ」



 声に迷いがない。橙の弧が二度、霧の中で閃く。


 一体目の胴体が斜めに割れ、二体目は翅ごと薙ぎ落とされて紫の蒸気を噴きながら霧の底へ落ちていく。


 三体目が、カイルの足元へ滑り落ちてきた。剣を振り直す間がない距離。


 カイルが、左足で機械蜂の胴体を踏み押さえた。同時に、剣を逆手に持ち替えて、刃を真下へ突き立てる構えに変えた。


 橙の光が再び根元から先端へ駆け抜けたところで、カイルが小さく息を吐いた。



焔穿えんせん



 剣先から、橙の光柱が垂直に噴き下ろされた。光柱は機械蜂の胴体を貫いて、浮き島の石畳まで達し、石畳ごと焼き割った。胴体は溶けた金属と紫の蒸気に分解されて、石畳に黒い焼き痕だけが残った。


 カイルが剣を鞘に戻す。肩が一度だけ大きく上下している。



「フレイムソード、慣れてきた」



 軽い口調だが、額には汗が滲んでいた。五千年前のフィンとは違う背中だった。


 フィンは、私を背後に仕舞いたがる男だった。守護する者として、戦場の埒外に置こうとする手。


 カイルは、私を仲間として扱う。今は前を引き受けても、私が戦うことを止めない。


 同じ方向の優しさで、違う形をしている。


 上層への最後の階段。


 螺旋に巻かれた石段の途中で、視界が白く飛んだ。



 ――五千年前。



 同じ場所に立っていた。


 足元は今と同じ石段。だが苔がない。石が白い。新しい。


 一人だった。


 石段を一段、また一段。重い足取り。膝が震えている。



「これで、神は守られる」



 自分の声だった。


 今より低い。


 疲れ切った声。


 誰に向けてでもない。自分自身に言い聞かせていた。


 ――何を、守ろうとしていた。


 ――その代わりに、何を、捨てていた。



 視界が戻った。


 石段に片膝をついていた。右手が壁について、息が荒い。額に汗が浮いている。


 ノクスの前足が頬を叩いた。爪は出していない。



「思い出すな、今は登れ」



 いつもそうだ。


 この猫は、私より先に私を分かっている。


 カイルの手が肩にあった。温かかった。



「大丈夫か」



 ――その言葉。



 フィンと同じ言葉。


 同じ声色。


 首を振って立ち上がった。


 膝が一度だけ震えて、止まる。



「行こう」



 上層の光が、階段の先に見えていた。


お読みいただき、ありがとうございました。

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