第78話 ルーシェ先生
ヴィルヌア中層。ドルク鍛冶屋の前に馬車を停めた。
半年予約の看板はそのままだが、行列はやや短くなっている。店先に、見慣れない張り紙が二枚。
「下層第二支店・今週開店」
「中層第三支店・来月開店」
なるほど、客が支店に分散し始めたのだ。
入ってすぐ、店の隅の壁に新しい地図が貼られていた。
鉱山から支店までの経路が色分けされて、余白に走り書き、「線分の最適配分術」。
工房の奥で、弟子が四人。鋼が一人目の手から二人目へ滑るように渡り、三人目が叩き、四人目が焼き入れ。
壁の貼り紙に「流れ作業法」。
足が止まった。
どちらも、私の時代の技術だ。
港湾管理の線形計算と、工房分業の最適工程。五千年前、私が管理術を教えた都市の、いや、偶然だ。この世界で誰かが再発明したのだろう。
「お嬢ちゃん達、来てくれたか!」
ドルクが奥から出てきた。
片腕でパイプを口の端に挟んだまま、がはっと笑う。
「今ちょうど、東ルートの試し荷が無事に着いたところでな」
「ドルク、店、変わったわね」
「ああ、それを紹介したかったんだ。おい、先生」
奥の机から、見知らぬ女性が顔を上げた。赤茶の癖毛、眼鏡、くたびれたローブの肩にインクの染み。帳簿の山に埋もれるようにして座っている。インクの付いた指先で眼鏡のブリッジを押し上げながら、こちらを見た。灰色の目が明るい。
「ルーシェ先生だ。冒険者ギルドのB級魔法使いで、古代魔法の博士。トールが帳簿の件で、先生に泣きついてな、連れてきたら帳簿どころか店の組み立てまで全部見直し始めた」
ルーシェが椅子から立ち上がった。帳簿が一冊、膝から落ちた。
慌てて拾い上げながら、
「あ、こんにちは。あなたがヴェイン侯爵家のリーラ様? ドルクさんが『お嬢ちゃん』としか呼ばないから素性が分からなかったんですけど、噂のフレイムソードの図解を書いた方、ですよね?」
「はじめまして。リーラです」
ルーシェの視線が、私の足元のノクスに止まった。
「え、その黒猫、まさか『魔法猫ノクス』ですか? 冒険者ギルドの掲示板で名前だけ知ってます、A級依頼の常連の使い魔。本人見るの初めて、うわ、瞳孔が縦に裂ける時の魔力残響、文献通り」
ノクスがちらりとルーシェを見て、尾を一度だけ振った。迷惑そうに目を細めて、そのまま私の足首に寄りかかった。
ルーシェが早口を止めないまま一歩近づいた。
「で、ここからが面白いんですけど、私、サフィアル交易連合の中の派閥が裏で動いてる情報も持ってて」
ドルクがパイプを咥え直した。
「先生、その話は後で。お嬢ちゃん、新しい図解持ってきたんだろ」
「あ、すみません、私こういう話になると止まらなくて」
ルーシェが両手で口を押さえて、小さく咳払いした。
私は自分の懐から盾共鳴の新しい図解を取り出して、ドルクに渡した。
「これだ、これ完成させたら、お前らの戦い方が変わるぞ」
トールの盾も既にドルクが調整中だった。共鳴対応の改造が進んでいるらしく、工房の隅に削りかけの金属板が並んでいる。
奥の工房から、トールが顔を出した。煤で汚れた革エプロンのまま、父の作業を手伝っていたらしい。
「リーラさん、来てたんすね!」
もう一枚、簡略図を取り出してトールに渡した。
「トール、戦闘での合わせ方も覚えて。盾の真ん中を、カイルの剣の延長線上に重ねる。共鳴が起きるのはその一線だけよ。半歩でも逸れたら反動で弾かれる」
トールが図を両手で受け取って、何度も頷いた。
「覚えるっす。父ちゃんが調整中の盾、明日には仕上がるって言ってたんで、それで試してみるっす」
ドルクが奥から「明日言うな、今夜中に仕上げる」と呟いた。
ルーシェがカイルの腰の剣に目を止めた。
「あの、その剣、フレイムソードですよね? 見せてもらっても、いいですか?」
カイルの手が剣帯に触れた。視線が私に流れる。判断を委ねる目だった。
フレイムソードの柄の意匠を、古代魔法研究家の目で読まれるのはまずい。
殿下の身分を隠している意味がなくなる。
「機会を改めて。今日は急ぎなの」
ガーレンが店に入ってきた。外套の埃を払っているから、馬を繋いできたのだろう。店の奥を一瞥する。
ルーシェがガーレンに気付いた。
「あ、あなた、護衛の方ですか? ヴェイン家の」
ガーレンが少し間を置いて、短く答えた。
「ええ」
ルーシェの目が光った。帳簿を脇に抱え直して、一歩踏み出す。
「ちょうど良かったです。さっきの北方商会の話、ヴェイン家の諜報の方なら興味あると思うんですけど。あの派閥が、地方の鍛冶屋を仕入れ価格で締め上げてる手口、ご存じですか?」
ガーレンの動きが止まった。短い沈黙。
「どこで、その話を」
「冒険者ギルドのB級以上が共有してる情報網です。私、文献調査の他に経済情報も集めてるので」
ガーレンの目が少し細くなった。普段の無表情が、わずかに動いた。
「続けて」
ルーシェが嬉しそうに早口に戻った。
「マルテン商会・カディフ商会・ロウラン商会のうち、後ろ二つは去年から共通の出資者がいて」
ガーレンが手帳を取り出してメモを始めた。
驚いた。
ガーレンが、メモを取るほど聞き込む相手は珍しい。ルーシェが続けた。
「もしよければ、私の研究小屋にも経済情報まとめてあるので、見にきてください。ヴィルヌア下層三番街、青い屋根の」
ガーレンが手帳に住所を書き込んだ。
「機会があれば」
私が小声でガーレンに訊いた。
「ガーレン、メモ取った?」
「仕事のうちだ」
無表情のままだが、声が普段より一段低く、一段丁寧だった。ノクスが私の足元で尾を一振りして、私だけに届く声で呟いた。
「あの男、落ちたな」
退店する前に、ルーシェが小さく手を振った。眼鏡の奥の灰色の目が、まだ興奮で光っている。
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