第75話 「焔の循環が動いた」
御用達の看板を掲げ終えた鍛冶屋ドルクの店で、感涙の余韻がまだ残るなか、カイルが本題を切り出した。
カイルが一歩前に出た。
剣身を抜く。橙の縞模様が、あの夜私が書いた図解のとおりに循環している、と確かめた。
「ドルク、フレイムソードの戦闘報告を伝えたい」
ドルクの目が変わった。
煤に汚れた顔の中で、目だけが職人のものになった。
「やったか」
「城から逃げる時に使った。振り抜いた瞬間、剣身が脈打って弧が飛んで、追手を吹き飛ばした」
「届いた、と」
「狙ったところに、届いた」
ドルクが息を吐いた。
「焔の循環が動いたと。お嬢ちゃんの解読図がよかった」
右手で胸元から、新しい図解を取り出した。
一月の間、その右手だけで書き起こしたものだ。ドルクの大きな掌に渡した瞬間、煤の指紋がついた。
それで構わなかった。
私の中のドルクが、剣を打つただの職人から、私の図解を煤の手で受け止めてくれる、たった一人の人に変わった。
「次の段階を。盾と共鳴させる式」
「ほう」
ドルクが図解を広げた。
「トール、見ろ。お前の盾と、王子の剣を、合奏させようっていう話だ」
カウンターの脇からトールが首を伸ばした。
「合奏っす? 俺の盾、楽器じゃないっすけど」
「楽器より硬い分、振動の保持が長い。共鳴すれば、一回の焔閃で二人分の出力が出る」
トールの目が、戦士のものになって、それから、さらに別のものに変わった。
もう一度立ち上がる目だった。
「やってみたいっす」
ドルクが息を吐いた。
「半年先まで埋まってる客を捌ききれん。支店、もう一店出すかどうか、お前の算盤次第だぞ、トール」
「責任、重いっすけど……正直、俺は頭が良くないんで、算盤はさっぱりっす。でも、ギルドに一人、数字にめっぽう強い人の心当たりがあるんす。その人さえ口説ければ、いけると思うっす。母ちゃんも、やれって言うんで」
ミラが笑った。
「あんた、思ってたより使える子だね」
カウンターの隅で、ノクスがミラの干物に前足を伸ばしていた。
ミラが一切れを皿に分けて、ノクスに微笑みかけた。
「ノクス様、お粗末ですが、よろしければ」
帰り際、ドルクがパイプを口の端で揺らしながら、薄目でこちらを見て言った。
「お嬢ちゃん、その腰のライン、弓のしなりより上等だ。俺は剣しか打たんが、それぐらいわかる。それにその胸――」
ミラが鉄鍋の蓋を構えて、四発目。ガランガランと金属音が店中に響いた。
ドルクが「うげ」と床に膝をついた。
それからパイプを口の端で揺らしながら、こちらに片手を上げた。
「お嬢ちゃん、すまないなぁ」
ミラがドルクの襟首を掴みながら、私たちにもう一度頭を下げた。
「リーラ様、本当にすみませんねえ、うちの主人がご迷惑をおかけして」
ドルクを店の奥に引きずっていく。
子供達がぞろぞろついていく。
「父ちゃん、また怒られてる」「母ちゃんが連れてったー」
私たちは三人で、その光景を見送った。腰のラインを言われたのは、長く生きてきて、初めてだった。
前世で七日だけ旅をしたフィンからも、こんな言い方をされた覚えはない。胸の奥が、わずかに揺れた。
――なぜ私は今、この感情を覚えるんだろう、と少し驚いた。
カイルが、奥に消えるドルクを一秒だけ見た。
剣の柄を握る指が、来た時より少し白くなっていた。私は気付かないふりをして、扉を押した。
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