第73話 「お嬢ちゃん、なんだそりゃ」
翌朝、私の寝台の縁に、シャルロットが立っていた。
「リーラ、起きなさい。今日は視察よ」
「視察?」
「ドルクの鍛冶屋。あんたの家とうちの家、両方の侯爵家から御用達の承認が昨日通ったの。看板、今日掛けに行くわよ」
「父様、いつの間に」
「ドレスに着替え直して。昨日のドレスでいいわ。馬車はガーレンが用意してる。看板は彼が運ぶ」
副木を当てた左腕を庇いながら、フィオレの手で藍のドレスに袖を通させてもらった。
「お嬢様、腰紐少しきつくしますね」と、白い兎耳がぴょこんと揺れた。
慣れた指で帯を締め直しながら、フィオレは何も聞かなかった。視察と言われて、ただ髪を結い直してくれた。
廊下に出ると、カイルが革帯を締め直しているところだった。
「俺も行く」
低い声だった。
「護衛として、それと、フレイムソードの手応えを、あの男に伝えておきたい」
剣の柄に置いた指が、わずかに動いた。脇腹の傷の上に、布を一枚巻き直している。
馬車に乗った。ガーレンの足元に、布で包まれた木の看板が二枚、立てかけられていた。
ラヴェルン侯爵家の翼竜紋と、ヴェイン家のセージ葉紋。
―――ヴィルヌア中層、鍛冶屋通り。
藍のドレスの裾が、石畳に擦れた。行列の視線が一斉に集まったのが、肌で分かった。
背筋を伸ばすしかなかった。列の最後が、隣の通りまで折れ曲がっていた。
店の扉に張り紙があった。新規予約は半年待ち。
行列がざわついた。
藍と緋、色違いのドレスの令嬢が二人、護衛剣士、看板を抱えた密偵。誰かが「侯爵家、?」と呟いた声が、列の後ろまで広がっていく。
鍛冶屋の扉を押した。
「いらっしゃい」
ドルクが、パイプを口から落とした。
「お、お嬢ちゃん、なんだそりゃ」
慌てて拾って咥え直したが、唇から、また落ちかけた。ドルクの分厚い顎が、半開きのまま固まっていた。
パイプが床に落ちる軌跡だけが、辛うじて動いていた。カウンターから出てきたミラの雑巾が、ドルクの後頭部を真正面から叩いた。
「あんた、いつまでお嬢ちゃんに見惚れてるんだい」
「いや、これは芸術品を鑑賞してたんだ」
「結婚した男が、若い娘さんに芸術品って言うんじゃないよ」
カウンターの上にあった木べら、二発目。
コツン、と小さく音が鳴った。
ドルクが「いてっ」と頭を撫でた。
パイプは咥えたまま。ミラが前掛けで手を拭いて、私たちに頭を下げた。
「リーラ様、うちの主人が、本当に申し訳ありません。こんなむさ苦しいところまで、お越しくださって」
カイルが扉の脇に立った。視線がドルクに一秒だけ向いた。
剣の柄に添えた指が、わずかに白くなった。シャルロットが口を開いた。
「初めまして、ドルクさん。私はシャルロット・ド・ラヴェルン。リーラから話は聞いてるわ、フレイムソードを打ち直した職人さんだ、と」
ドルクがパイプをもう一度落としかけて、ぐっと咥え直した。
「ラヴェルン家のお嬢さんも、噂は伺ってますよ。剣の腕は王都にまで届いてる。胸元も、鎧で隠すには勿体無いって話だったが、今日のドレス姿は噂より上等だ」
ミラが奥から麺棒を持ち出してきた。
三発目、ゴツンと一段重い音が鳴った。
ドルクが「あぐっ」と顔を歪めた。
咥えていたパイプが、口の端で危うく揺れる。膝が一瞬、ぐらついた。
シャルロットが涼しい顔で口の端を上げた。
「目利きね。でも今は別の話よ」
ドルクが「へえ、こりゃ参った」と息を吐いた。
「今日は、御用達認定の看板を届けに来たわ」
ガーレンが布を解いた。翼竜紋とセージ葉紋の二枚が、現れた。
ドルクのパイプが、三度目に落ちた。
「お前さんたち、本気で、ここにそれを掛けるのか」
「本気よ。半年予約の店に、さらに箔をつけてあげるわ」
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