第72話 「私の家族と、あなたの家族。両方守ります」
客間の扉を閉めた。カイルが寝台の縁に腰を下ろしている。蝋燭が一本だけ灯っていて、壁に二人の影が伸びていた。
「見せて」
カイルが上着の留め金を外した。脇腹の浅い傷が、乾いた血の下から覗いている。近衛の剣がかすめた跡。致命傷ではない。でも放っておけば膿む深さだった。
副木を当てた左腕は膝に乗せたまま、右手だけで布を絞った。傷口の血を拭う。カイルの腹筋が一度だけ引き攣ったが、声は出さなかった。
「ノクス」
窓枠の上のノクスが、音もなく寝台に降りた。鼻先をカイルの脇腹に近づける。金色の目の瞳孔が縦に裂けて、影が床に伸びた。私は古い言語を一言、息と一緒に吐いた。声にはしない。
ノクスの影が傷の縁に滑り込んで、紫の細い糸のように皮膚を編み直していった。肉が寄り合う。痕は薄く残る。
影が床に戻った。ノクスが寝台の端に下がって、毛づくろいを始めた。
ノクスが下がってから、私はそっと右手を伸ばした。閉じた傷跡に、指の腹で触れる。確かめるように。それ以上は離せなかった。
「カイル」
「ん」
「あなたのお母様。泣いていた。薔薇の根元で、一人で」
カイルの喉が動いた。
「知ってる」
「王妃様は、生きています。涙を流せるなら、まだ侵食されていないと思う」
「ああ」
「必ず」
「俺は必ず、父上と兄上を取り戻す。母上も」
声は低かった。揺らいでいなかった。
脇腹の傷が閉じきった肌の上に、右手がまだ触れていた。
「うん」
カイルが顔を上げた。蝋燭の灯りが青みがかった灰色の瞳を照らしている。
その目を、まっすぐ見返した。
「私の家族と、カイルの家族。両方、取り戻す。守る」
カイルの口元が微かに動いた。言葉にはならなかった。代わりに、小さく頷いた。
右手を引いた。指先が離れる瞬間、カイルの体温の残りが指の腹に沁みた。
――かつての私は、誰の家族も守れなかった。
今、二つの家族の名前を、私は知っている。
窓枠のノクスが、目を閉じた。尾の先が一度だけ揺れて、止まった。客間の外の廊下で、シャルロットの足音が遠ざかっていった。
「あら、お似合いじゃない」と小さな声が聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにした。
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