第64話 副木の左腕
副木を当てた左腕が、歩くたびに鈍く重い。藍のドレスの裾を右手でつまみながら、私はカイルの半歩前を歩いていた。
肩ではノクスが小さく揺れている。侍従長の部屋に向かう途中、廊下の窓から中庭が見えた。
屋根付きの一角に、シャルロットがいた。古い貴族の老人と向かい合っている。白髪を後ろに撫でつけた痩身の男だった。襟元に王家紋に似た古い意匠がある。
隣のカイルは護衛剣士の覆面をしたまま、剣の柄に手を添えている。母上を見て以来、ずっと無言だった。
シャルロットの口が動いている。老人が頷いている。窓越しで、二人の声は届かなかった。こちらの存在には、気付いていない。
隣のカイルは窓の外に視線を向けたまま、何も言わなかった。気付いている、と分かった。
だが立ち止まりもしない。足が止まった。
私だけが、止まっていた。
脳裏に、一枚の光景が走った。五千年前、旅の途中で世話になった貴族の屋敷。蝋燭の灯る食卓を囲み、葡萄酒を酌み交わし、地下迷宮の地図を渡した。寝具まで貸してくれた男だった。
三日後、宿の前に追手が並んでいた。あの男が、私の居場所を売っていた。
別の光景が重なる。同じように食卓を囲み、笑い合った第七使徒。翌朝、敵側の最前列に立っていた。
なぜ、と問う前に、戦場の喧騒が彼を呑み込んでいった。
――また、裏切られるのか。
――シャルロット。
声にしなかった。声にしてしまえば、本当に疑ったことになる。
――また仲間を失うかもしれない。
「ノクス」
「ん?」
肩の上で、金色の目がこちらを見ていた。
「あの人、誰かしら」
ノクスが目を細めた。私の顔を見て、老人を見て、また私を見た。
「お前、また、震えてるな」
指先を見た。右手の指が、藍のドレスの裾を握り込んでいた。
「あとで聞け。今は、目の前のことに集中だ」
ノクスの尾が一度だけ揺れて、止まった。胸の奥は冷たいままだった。
それを抱えたまま、侍従長の部屋に向かって歩き出した。カイルが半歩先を行く。
何も聞かなかった。
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