第40話 「煙草の女」
ヴィルヌアの中層に入る手前の路地裏で、物音がした。
くぐもった呻き声だった。短くて、途切れた。
カイルが手を上げて一行を止めた。剣の柄に手をかけた。
路地に踏み込んだ。そこで、目撃した。
金髪の女が、地面に膝をついた男の首筋にナイフを突き刺していた。男が倒れた。
男のフードがずれて、結社の紋章が襟元に覗く。女が振り返った。
金色の長い髪が剥き出しで、月明かりに光っている。
赤い瞳。死体の上に座り、煙草に火をつけた。
「あ、見られたのさ」
軽かった。反省がなかった。
一行が固まった。
「見なかったことにしてくれよ? 結社の男を一人、減らしただけなのさ」
カイルが剣を抜いた。
「何者だ」
「敵じゃないのさ、たぶん」
女の赤い瞳がノクスを見た。目が細くなった。
「その猫、いい匂いがするさねぇ。珍しいもん連れてるのさ」
背筋が冷えた。
正体がバレる。
赤い瞳が、私の目と交わった。
「お嬢ちゃん、その目の色、いいねぇ」
からかうような声だった。敵意はなかった。
値踏みするような、楽しんでいるような。
「ま、結社の犬じゃないんなら、敵じゃないさね。今日のところは、ね」
屋根に、ふっと跳び上がった。
軽かった。
人間の跳躍ではなかった。
煙草の煙だけが残って、消えた。
カイルが剣を、ゆっくりと鞘に戻した。鯉口が嵌まる小さな音が、夜の路地に響いた。
諜報員の死体だけが石畳に残っていた。血が、ゆっくり広がっていく。
ミナが口を開いた。
「ねえ、姐さん、あの人、昔うちの修道院の前で見たことある」
「え?」
「子供攫いの情報を、誰に頼んだわけでもなく伝えてくれた人。一回だけ。名前は知らない」
肩のノクスの髭が、私の耳元で揺れた。
私だけに聞こえる声で、低く呟いた。
「俺の匂いを嗅ぎ分けた。ただの人間じゃないぞ」
カイルが諜報員の死体を見下ろした。
「敵が一人減ったのは、悪くない」
ミナが、死体の襟元の紋章をじっと見ていた。
「ミナ?」
「なんでもない」
なんでもない顔ではなかった。街道は中層へ向かって緩く登っていた。
月が西に傾いていて、私たちの影が斜めに伸びた。
カイルの靴の音、トールの盾が背中で揺れる音、ミナの足取り、私の外套の裾が石畳を擦る音。四つの音だけが、夜に並んで、中層の門に近づいていった。
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