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第4話 「護衛は猫です」

 朝のギルドは、依頼を求める冒険者で賑わっていた。受付の列の脇、待合の隅から、子供たちの声がする。



「あたし一人目! 魔法学院作った人!」


「俺、五人目! 戦争終わらせた剣聖!」


「お前、九人目な」


「九人目、誰?」


「分かんない。まだ来てないんだって」


「せんせいが言ってたよ。神さまは使徒を九人つかわして、八人で世界をつくって、九人目で……えっと、すっごいことがおきるんだって」


「九人目、つよいの?」


「わかんない。そこはぜったいひみつなんだって」



 冒険者の親を待つ子供達が、木製の絵札を床に広げて遊んでいる。九使徒ごっこ。


 依頼書を受け取りに来た足が、つい止まった。子供の手の中、九人目の絵札だけが、空白だった。


 立ち止まったのを誤魔化すように、カウンターへ歩く。


 古代遺構の石柱を取り込んだ高い天井から、嵌め込まれた魔晶石の光が、まだらに床へ落ちていた。



「ノクス様の本日のご依頼、こちらになります」



 受付嬢が、慣れた手つきで一枚を差し出した。商隊護衛。荷馬車三台を、中層の市場から上層の大商会まで、日帰り。


 カウンター脇の椅子で、ノクスが片目を開けた。



「護衛? 荷馬車三台ぽっちだぞ。受ける必要があるのか、こんなもの」


「あるの」



 依頼書を畳みながら、私は短く答えた。



「付き合いよ。それに――荷運びの御者は、街道の噂を誰より知っている。情報を集めるには、ちょうどいいの」


「ふん。どうでもいい依頼にも、ちゃんと理屈をつけるんだな」


「ちゃんと、考えてるの」



 もっとも、ノクスの声は私にしか聞こえない。受付嬢の耳には、黒猫が「なーお」と一声鳴いて、私が猫相手に大真面目に言い返しているようにしか映っていないはずだ。


 受付嬢が、口元をほころばせた。



「ノクス様とは、本当に仲がよろしいんですね」



「腐れ縁です」



 受け取って、フードを目深に直す。それでも縁から銀色の髪がこぼれて、隣の冒険者が足を止めた。目が合うと、慌てて視線を逸らす。


 フードを被っていても、前世から引き継いだこの顔は、目を引く。


 ノクスはカウンター横の専用椅子、Aランク冒険者に用意されたクッション付きで丸くなっていた。


 通りがかる冒険者が「猫様、おはようございます」と頭を下げていき、ノクスは目を閉じたまま尾を揺らして返事にしている。



 登録名は「魔法猫ノクス」。



 冒険者ギルドの記録上、魔法を使うのはノクスで、私はその助手だ。


 医者見習いとして薬草と治癒の現場経験を積みに来ている。という建前で、実際は逆だった。


 私が前世の言語で詠唱してノクスが手柄を引き受ける。この世界の人間には詠唱が歌みたいに聞こえるらしく、だから隠せる。



 バレたら終わる。


 ――神との契約だ。



 正体を知られた瞬間、背骨の刻印が灼ける。三年前に一度だけあった。洞窟で術を使いすぎて、同行者に見られた。


 背骨が灼けて、ノエルの名前が一瞬消えた。金色の髪も、笑い声も覚えているのに、名前だけが白く抜けた。


 次にあれが起きたら、リーラとして生きた十八年が丸ごと消える。


 だから私は弱い子を演じ、ノクスは強い猫を演じる。



 前世の大魔女として生きるのはもういい。それに、一番大切な人を死なせた。



「リーラ」



 デスクの向こうから、ギルドマスターのグレヴァが身を乗り出してきた。


 六十代後半、引退した元S級冒険者。頬が削げて額に深い皺が刻まれているが、目だけは若い剣士のままだ。



「今日の依頼、もう一人つける。Cランクの剣士だ」


「大丈夫です、ノクスが」


「規則だ。護衛対象が三台以上の場合、最低三名。猫殿とお前で二名。あと一名要る」



 断れなかった。規則と言われては、引き下がるしかない。


 ノクスが背を一度大きく伸ばして、また体を丸めた。


 面倒だな、と言いたげな仕草だった。


 後ろに男が立っていた。背が高く肩幅があり、短く切り揃えた金髪の額にかかった前髪を手で一度払った。


 青みがかった灰色の瞳がまっすぐこちらを見ている。顎には浅く髭。


 革の胸当てには最近縫い直したらしい白い糸の跡が走り、腰の剣の柄には小さな傷がいくつもある。使い込まれた剣だった。



「カイルだ。よろしく」



 私は小さく頷いた。



「リーラ、です。こっちは、ノクス」



 ノクスが片目だけ開けてカイルを三秒ほど見てから、閉じた。興味なし、という顔だった。



「ノクス殿、よろしく」



 ノクスの髭がぴくりと震えた。


 カイルが踵を返して、出口の方へ歩き出した。広い背中が、ギルドの人混みの中で頭ひとつ抜きん出ている。


 数歩進んでから、振り返りもせずに声を投げた。



「リーラ、行くか」



 足が、止まった。



 名前だった。


 ギルドでは「猫の助手」か「そこの子」か、良くて「お前」だった。リーラと呼ばれるのが、ノクス以外でいつ以来か、思い出せなかった。


 指先が一度小さく動いた。何かが胸の真ん中を通り過ぎて意味になる前に消えた。嬉しいのか戸惑っているのか区別がつかないし、区別をつける必要があるのかもわからなかった。


 ノクスが椅子の上で前足を組み直した。金色の目が半分だけ開いて、こちらを見ている。


 尾の先がゆっくり左右に振れた。呆れた時のしぐさだ。



「はい」



 声が少し遅れた。半歩ぶん遅れて、カイルの背中を追った。

お読みいただき、ありがとうございました。

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