第37話 四回、立ち上がった男
十六で修道院を出た、その冬だった。トールに会ったのは。
修道院の手伝いに戻る途中だった。市場の裏手で、見たこともない子供が三人、大人五人に囲まれてた。
十歳くらいの男の子、八歳くらいの女の子、三歳くらいの女の子。襟首を掴まれて、地面に押さえつけられてた。
すでに上着を剥がされて、八歳の子は外套を、十歳の子は靴を、もう片方だけ取られてた。
三歳の子の靴は、つま先がぱっくり開きかけてた。次はその靴を取られる順番だった。
あたしの足が、止まった。下層で他人を助けたら、次は自分が囲まれる。それが下層のルールだった。
――ごめん。
知らない子に向かって、心の中で、謝った。
その時、横から、別の影が走り込んだ。ぼろぼろの革のエプロンに煤がこびりついている。鍛冶屋みたいな格好だった。
背中に、自分の体の半分ほどある大盾を背負ってて、木の芯に鉄板を打ち付けた、いかにも重そうな代物だった。
その盾を構えて、男は大人五人に立ちはだかった。
馬鹿だ、とあたしは思った。馬鹿は、勝てなかった。
最初の一発で盾の縁が削れて、次の一発で男の口が切れた。三発目で地面に倒れる。
倒れても、男は立ち上がった。立ち上がって、孤児たち三人を背中に隠してから、また殴られた。
四回、立ち上がった。四回目に立ち上がる時、男は血を吐きながら、笑った。
「何も持ってねえ奴から、奪うんじゃねえっす」
背中で、小さい子が泣いてた。男はその泣き声を聞きながら、笑ってた。
ただ通りかかっただけの、知らない男だった。それで、四回、立ち上がった。
――あたしの足が、勝手に動いた。
腰のナイフを抜いて、投げた。最初の一本が大人の手首に刺さり、二本目で別の一人の太腿に。三本目を抜く前に、大人五人は逃げた。
トールが、地面の上で、笑ってた。口の端から血が出てた。
「あんた、誰っすか」
「ミナ」
「助かったっす。あんた、強いっすね」
馬鹿は、自分が今ボコボコにされたばかりなのに、笑ってた。
あたしはまず修道院に三人を送り届けてから、それからトールを家まで送った。
家。ドルク鍛冶屋の上の住居。鎚を振る音が、奥から聞こえてた。
母親が玄関で泣きながらトールを抱きしめた。
「この、馬鹿息子!」
母親が泣きながら、トールの胸を叩いた。
「ごめん、母さん。でも修道院の子、攫われそうになってたから」
「ごめんで済むか馬鹿!」
母親は、トールの顔を両手で挟んだ。額をぶつけた。
「死なないで」
それしか、言わなかった。
あたしは玄関の外で、それを聞いてた。奥から、鎚の音が、止まらずに響いてた。
母親が泣いてる横で、誰かが、ずっと鎚を振ってる。
家族が泣いてる時に手を止めない男、ってのは、たいてい、止めると食えなくなる男だった。下層では、よく見る背中だった。
――この家、ぎりぎりだ。
それくらい、玄関の外からでも、分かった。
そんな家の長男が、ぼろぼろのエプロンと、お下がりの盾で、知らない修道院の子のために、四回も立ち上がった。
――この男は、銀貨四十枚で、誰も売らない。
胸の真ん中で、それが、はっきり、分かった。
翌朝、あたしはドルク鍛冶屋の前に立ってた。盗賊時代の最後のへそくりを、握ってた。
下層の朝は、霧が低く立ち込めていた。石畳が朝露で濡れて、路地の隅に水たまりがいくつもできていた。
トールの様子を見に来ただけのつもりだった。玄関を開けたら、母親が出てきた。あたしの顔を見て、母親が目を見開いた。
「ミナです。昨日、あんたの息子の隣で、ナイフ投げた者です」
それから母親は、泣きそうな顔になった。
「あの、お礼を、まだ」
「いい。要らない」
要らない、って言いながら、あたしの手は、勝手に動いた。へそくりを、母親の手のひらに、押しつけた。
「これ、トールの薬代に。あいつ、ケガしてた」
「お嬢さん、こんな」
「あたしが投げたナイフのせいで、相手が逃げ遅れて、トールがもう一発もらった分。あたしの責任です」
嘘だった。ナイフは間に合ってた。トールがもう一発食らったのは、あたしが投げる前の話だった。
それでも、あたしの手は、財布を渡し終わるまで、戻ってこなかった。母親が、もう一度、泣いた。
朝早い鍛冶屋に、煙草の匂いが煤と混じって残っていた。母親の泣き声と、奥の鎚の音が、別々のリズムで重なっていた。
あたしは何も言わずに、その音の中で、しばらく立っていた。
その日から、あたしはドルクの鍛冶屋に通うようになった。修道院の手伝いの合間に、洗濯をして、弟妹の飯を見て、片腕の父親が鉄を打つ時は鉗子を押さえた。
「お前、ミナってのか」
ドルクは、パイプを咥えながら、片目だけあたしを見た。
「ミナです」
「うちの息子、お前が助けてくれたんだってな」
「あたしのおかげじゃない。あいつが自分で戦ったから、生きてるのよ。やられても四回も立ち上がってね」
「四回も立ったか。馬鹿だな」
「ほんと、馬鹿よあいつ」
「ま、俺の血だ。頑丈だけが取り柄でな」
それから二年、あたしとトールは、ふたりで稼いだ。冒険者ギルドに登録したのも、ふたりで決めたことだった。
トールは前衛、あたしは投擲。稼ぎは大半をトールの家と修道院に入れた。
野営の夜は、焚き火を挟んで寝た。トールはいつも先に寝た。
「おやすみっす」って言って、あたしの目の前で平気で目を閉じた。
荷物も、財布も、武器も、そのまんま。あたしが持って逃げたら終わりなのに、毎晩先に寝た。
二年間、あたしは一度も逃げなかった。
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