第219話 先輩と後輩
扉の音が遠くで響いた。二人が出た。
大聖堂に残ったのは、私と、壇上のセレスティアスだけだった。
だがセレスティアスの足元では、まだ灰色の光が脈打っていた。
魔法陣は壊した。
術式は止めた。
それでも教皇自身が地脈と繋がっている。自分の体を媒介にした接続は、魔法陣を壊した程度では切れない。
教皇と向き合った。
「九番目。やっと会えた」
セレスティアスの声は穏やかだった。
怒りでも憎しみでもない。
長い旅の果てに待ち人と出会った者の声だった。
息を整えた。肺の奥まで空気を入れて、吐いた。
「あなたが、八番目」
「先輩だ」
口元が微かに動いた。疲労の滲んだ顔に、苦笑が浮かびかけて消えた。
「いや、もう先輩も後輩もないか」
セレスティアスが一歩、前に出た。大礼装の裾が硝子の破片を踏んで、小さな音を立てた。
「お前を解放しに来た」
「解放?」
「お前も私も、神に縛られている。お前は契約で。私は沈黙で」
灰色の瞳が真っ直ぐこちらを貫いている。
狂気ではなかった。
確信だった。
応えのない祈りが結晶化した、透明な確信。
「今日、両方終わらせる。お前の力を私が継いで、神の代わりになる。お前は自由になる」
首を振った。
「いいえ」
セレスティアスの足が止まった。大礼装の裾が、硝子の上で動かなくなった。
「私は、もう自由です」
声が自分の口から出ていた。
考えて選んだ言葉ではなかった。
十八年かけて積み上げたものが、勝手に形になった。
「この契約の中で、家族と暮らして、好きな人がいて、帰る場所がある。あなたが壊そうとしているものを、私は守ります。それが、私の自由です」
「守る」
セレスティアスが、その一語を繰り返した。
「五千年前、お前は守れなかった。守ると誓って、守れなかった。だから神に縋り、契約を結んだ。違うか」
答えられなかった。図星だった。
「同じだ。お前も、私も。神に縋るしかなかった出来損ないだ」
セレスティアスが目を閉じた。深く息を吸い、吐き、開いた。
灰色の瞳に光が灯っていた。
蝋燭の反射ではない。
使徒の力が瞳の奥で揺れている。
「五十年、祈った。神は応えなかった」
声が低く、静かに、大聖堂の廃墟に落ちた。
「私には一度も応えなかった神が、お前には契約獣を与え、使徒の力を与えた。なぜお前なのだ」
答えられなかった。言葉が胸の中で詰まって、形にならなかった。
「お前は神を許すのか」
「許すというより、ただ、選んだだけです。最初から呪いだなんて思っていません」
セレスティアスの右手が震えた。
手の甲の刻印が灰色に明滅して、指の関節が白くなるまで握り込まれた。
「私には、できなかった」
「あなたも、選び直せます」
長い沈黙があった。崩れた天井から差し込む光の中で、硝子の破片が床の上でゆっくり回転していた。
セレスティアスの視線が自分の右手の甲に落ちた。刻印を見つめている。
「もう遅い。今日のことで民心は離れつつある」
肩の上で、ノクスの尾が一度だけ揺れた。
「やれやれ。説教は苦手だ」
セレスティアスが石板のペンダントを握った。古い石板が手の中で軋み、亀裂が表面を走った。
古代の文字が光を帯びて浮かび上がり、大聖堂の空気が重く歪んだ。握り潰した。
石板の破片が指の間から零れ落ちると同時に、古代の言葉が溢れ出した。
灰色の光ではなかった。
白い光。
純粋で、暴力的なまでに澄んだ光が、セレスティアスの全身から噴き出した。
「ならば、力ずくで頂く」
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