第216話 「責任、とってよね」
ミナは街道脇の岩の上に転がっていた。背中が冷たかった。
岩の角が肩甲骨の下に食い込んでいて、息を吸うたびに肋骨のあたりが軋んだ。視界の上半分が夜空で、下半分が街道の木立と、煙と、散らばった近衛兵の松明の残骸だった。
追撃は失敗した。ガーレンの指示で近衛兵二十名を率いて北街道を走った。
馬車の轍を追って、半日で追いついた。と思った。
街道の橋の手前で、結社の残党が待ち伏せていた。
罠だった。爆裂術式が橋を吹き飛ばした。
近衛兵の先頭が崩落に巻き込まれ、後続が散開した。混乱の中で結社の刺客が三方から斬り込んできた。
トールの盾が前線を支えたが、最後の一人が撤退の間際に術式を放った。紫の衝撃波。
トールの盾が弾いたが、飛び散った破片がこっちに飛んできた。
――あ、吹っ飛ばされたんだ、あたし。
マヌエルの馬車は、橋の向こうに消えていた。崩落した橋の残骸が川を塞いで、追えなかった。
体を起こそうとして、腕に力が入らなかった。背中が岩に張りついている。
夜風が肌を撫でて、その冷たさで気づいた。服がない。
正確には。ある。
あるが、機能していない。
胸元の革鎧が衝撃波で引き裂かれて左肩から垂れ下がり、下に着ていたチュニックは腹のあたりで真横に断たれて布の端が焦げていた。腰巻きは片方の紐が千切れて、太腿の半分まで落ちかけていた。
「ミナさん!」
足音。重い足音。
盾の金具が鳴る音。土を蹴る革靴の音。
「ミナさん! 怪我ないっすか!」
トールが駆けてきた。
盾を背中に回して、両手を空けた状態で走っている。崩れた橋の残骸を跨いで、岩を二つ踏み越えて、真横に膝をついた。
距離が、近い。
「み、見ないで!」
叫んだ。
声が裏返った。
両腕で胸を抱えたまま、膝を限界まで引き寄せた。
トールの目が真正面からこっちを見ていた。茶色い目。真剣な目。戦場で仲間が倒れた時の、あの目。
「血ぃ出てないっすか!」
「大丈夫だから見ないで!」
トールの手が肩に伸びた。片腕でトールの胸を押しのけた。
全力だった。トールの体は微動だにしなかった。
「服、ないんだけど」
「じゃあどうすればいいんすか! 血が出てたら」
「先に服!」
トールが外套を脱いだ。バサッと音がして、分厚い布がミナの上にかかった。革と鉄の匂い。汗の匂い。
それから、トールの体温。
外套の裏地がまだ温かくて、さっきまで体に密着していた熱がそのまま残っていた。声が出なくなった。
外套に包まれて、ようやく夜風から守られた。肩から太腿まで覆われて、破れた服の断面が見えなくなった。
トールが膝をついたまま、外套の端を整えていた。無骨な指が、思っていたよりずっと丁寧に布を扱っていた。
心臓がうるさかった。
「あたしたち、つ、付き合ってるんだから、別にいいんだけどね。でも、い、いつでもってことじゃ――」
顔が熱かった。
自分で何を言っているのか途中から分からなくなっていた。
「もういい。忘れて。怪我はないんだから」
外套の縁を握った。
「責任、とってよね」
声が小さかった。
自分でも聞こえるか分からないくらい。
「もう、お嫁にいけない」
トールが振り向いた。
「わかったっす」
即答だった。間がゼロだった。当然のことを当然に返すような声だった。
世界の音が全部消えた。
トールの「わかったっす」だけが耳の中で反響していた。
「今、なんて」
「わかったっす、って言ったっす」
「わかった、って、何が」
「責任っす。ミナさんの装備、俺が直すっす。革鎧もチュニックも、縫い直せるとこは全部やるっす。あと腰巻きの紐は新しいの作るっす。父さんの工房に予備の革紐があるんで」
「装備」
「俺が壊したわけじゃないっすけど、俺が罠にかかって爆発したんで、責任は俺にあるっす」
「装備の、話」
「他に何の話っすか?」
ミナは外套の中で膝を抱えたまま、天を仰いだ。
「ミナさん? 泣いてるっすか?」
「泣いてないって言ったら泣いてないの!」
「ねえ、トール」
「はい」
「リーラ姐さん、大丈夫かな」
怒りも照れも引いて、胸の奥に残ったのは心配だけだった。
「リーラ姐さん、怖がってないかな。カイルさんもいないし、一人で」
「大丈夫っす」
トールの声が低かった。いつもの軽さがなかった。
「カイルさんが必ず迎えに行くっす。俺たちも行くっす」
「あんたの盾で?」
「俺の盾と、ミナさんの短剣で」
ミナは鼻をすすった。
「そうね。あたしの短剣がないと、あんたの盾は半分しか機能しないんだもんね」
「だから、一緒に行くっす」




