第21話 「お前を抱える男は、まず俺の許可が要る」
森を抜けて街道に出た頃には、魔力が少なくなったせいで、指先の感覚が薄れていた。
足がもつれた。石畳の段差を踏み外して、体が前に傾いた。
腕が伸びてきた。背中と膝裏に手が入って、体が持ち上がった。
「ちょっ」
「歩けないだろ」
カイルの腕の中にいた。
お姫様だっこ。
顔が近い。革の胸当ての匂いがする。
脇腹に縫った白い糸が目の前にあった。
「下ろして」
「黙って寝てろ」
カイルの足が、一度だけ止まった。
「軽すぎる」
低い声だった。
答えようがなかった。自分の重さなんて気にしたことがない。
「冒険者の体じゃない。普段、何食ってるんだ」
「食べてます。普通に」
「普通の冒険者は、こんなに軽くない」
カイルがまた歩き出した。
歩幅がさっきより、さらに小さくなった。
「次の街で肉を奢る。一番大きいやつだ。骨付きの腿。残すなよな」
「はい」
ノクスが私の腹の上に乗っていた。前足でカイルの胸当てをぺちっと叩いた。
「お節介な奴だな」
ノクスが、私だけに届く声で呟いた。
「親切でしょ」
「いや、これは厚かましいと言うんだ」
私だけが分かる会話。カイルには猫の鳴き声にしか聞こえていない。
カイルは前を向いたままだった。
だが歩幅は、また小さくなった。
トールが目を逸らした。
耳の縁が赤い。数歩、無言で歩いた。
「あの」
トールが、視線を落としたまま、控えめに口を開いた。
「お二人は、その、つきあってるんすか?」
カイルの足が、止まった。
私の体が、カイルの腕の中で固まった。
「は?」
私とカイルの声が、綺麗に重なった。
「あ、いやっ、その、お姫様抱っこしてるし、肉奢るし、残すなとか言うし」
トールが拳を握った。耳が完全に赤かった。
「俺、邪魔っす! ちょっと先行ってるっす!」
トールが盾を背負ったまま走り出した。
曲がり角でつまずきかけて、立て直して、また走った。カイルが深く息を吐いた。
「あの坊主、深刻に勘違いしてるな」
「カイルさん、私を下ろしたほうが」
「足、まだ震えてるだろ。黙って運ばれてろ」
ノクスが私の腹の上で喉を震わせた。
それから、金色の目が細まった。
ノクスの前足が、私の腹を踏み台にして伸びた。
カイルの胸当ての縁に、爪が、立った。
ガリッ。革の表面に、五本の白い線が刻まれた。
ガリッ。ガリッ。
「猫殿」
「胸当てで爪を研ぐな」
「知らん」
カイルには鳴き声にしか聞こえていない。ノクスが返した。
ノクスは無視した。前足を交互に動かして、上等な革に縦の溝を着実に増やしていく。
カイルの胸元で、規則正しい爪とぎの音が続いた。
「縫い直したばかりなんだが」
「だから何だ」
ノクスが鳴いた。
「俺は、嫉妬しているわけではない」
口元が緩んだ。
カイルの胸に額を預けたまま、小さく頷いた。
「これは、躾だ」
また頷いた。笑いを噛み殺すのが難しかった。
「お前を抱える男は、まず俺の許可が要る」
「う、うん」
我慢したつもりだった。それでも、肩が震えるのを止められなかった。
ガリッ。ガリッ。ガリガリガリガリ………。
カイルが諦めたのか、ため息をついて前を向いた。ノクスの爪とぎは、街道の半里ほど続いた。
カイルの腕は安定していた。胸元に額が触れている。
心臓の音が聞こえた。速くはない。
普通の鼓動だった。
――この距離は、まずい。
目を閉じた。体が動かなかった。
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