表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

201/236

第201話 北の星

 夜。自室の窓辺で、北の空を見ていた。山脈の稜線が星の光で縁取られている。風は止んでいた。


 ノクスが膝の上で丸くなっていた。子猫の体が膝の窪みにすっぽり収まって、呼吸のたびに背中が僅かに膨らんで縮む。


 言語が戻ったとはいえ、まだ成猫の体には戻っていない。小さな体温が膝を通じて太腿を温めていた。



「ノクス」


「ん」


「明日だね」


「ああ」


「カイルが王になる」


「知ってる」



 ノクスの尾が膝の上で一度だけ動いた。



「当然、お前はあいつの隣に立つんだろうな」


「え?」



 ノクスが鼻から息を抜いた。



「お前しかいないだろう。カイル『王』の隣は」



 胸の奥で何かが動いた。覚悟。その言葉が、教皇の演説と重なった。あの広場で数万人が祈っていた光景。


 カイルが「勝てない」と言った声。


 毒杯の夜。国葬の演説。全部がこの二文字に集約される。



「わからない」



 ノクスの耳が倒れた。



「俺とお前は前世からの付き合いだ」



 声が低かった。怒っているのとは違う。



「お前がどこを見ているか、誰を見ているか、全部わかる。フィンの時からずっとだ」



 膝の上の子猫の体が、小さく震えた。



「わかっていて、わからないと言うな」



 答えられなかった。口にしたら、もう引き返せない気がして。ノクスが目を閉じた。前足を顔に押しつけるようにして、丸くなった。



「好きにしろ。どうせ俺は、お前がどこに行こうがついていく」



 少しだけ、気持ちが楽になった。



「ただし」



 ノクスの片目が開いた。



「お前を抱える男は、まず俺の許可が要る。絶対だ」



 笑ってしまった。声が出た。こんな場面で笑うつもりはなかったのに。



「覚えてるよ」


「忘れるな」



 ノクスが私の膝の上で寝返りを打って、そのまま膝の布地をがりがりと引っ掻き始めた。



「ちょっと、爪」



 返事はなかった。金色の目を閉じたまま、前足が規則正しく動いている。膝の上の体温がゆっくりと広がっていく。


 窓の外の星が一つ、雲の端に隠れて消えた。爪とぎの音がいつの間にか止まっていた。ノクスの寝息が規則的に響いている。


 椅子から立ち上がって、ノクスを枕の横に下ろした。子猫の体が枕の窪みに沈み込んで、前足が一度だけ空を掻いて、また丸くなった。


 指先で耳の後ろを撫でた。小さな耳がぴくりと動いて、喉がかすかに鳴った。



「喋れるようになって、よかった」



 返事はなかった。寝息だけが返ってきた。



「ありがとね。ノクス」



 起きていたら絶対「気持ち悪い」と言われる。


 だから寝ている今のうちに言っておこうと思った。毛布を引き上げて、目を閉じた。


 門の前でルーシェがガーレンの胸に崩れた顔が浮かんだ。待つ側の苦しさを、私はまだ知らない。いつも自分が出かける側だった。


 ノエルに「絶対帰ってくるね」と指切りして、自分から歩き出す側。


 ルーシェが四日間立ち続けた門の重さを、私は知らない。


 でも、もしカイルが帰ってこなかったら。


 考えたくなかった。考えないようにして、考えてしまった。毒杯の夜。あの杯を飲んでいたら。


 ガーレンが止めなかったら。


 カイルの心臓が止まっていたら。指先が毛布を握り込んだ。



 ――駄目だ。



 寝よう。目を閉じ直した。ノクスの寝息が枕元で続いている。その音だけを聞きながら、意識が少しずつ沈んでいった。


 明日の朝が来る前に、もう少しだけ眠りたかった。北の空で、星が一つだけ雲の切れ間に戻っていた。


お読みいただき、ありがとうございました。

この物語を見届けたいと思ってくださったら、ブックマークと★で、そっと背を押していただけると嬉しいです。毎日更新しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ