第195話 四日目の門
ルーシェは王城の正門に立っていた。四日目だった。朝から夕方まで、この門の前に立つのが四日目になる。
研究室に籠もれば手が動くと思った。レガリア期の術式体系、あと三章で論文が完成する。数式を並べれば頭が埋まるはずだった。
紛れなかった。
数式の途中でペンが止まる。変数にガーレンの名前を書きかけて、慌てて消した。消した跡がインクで滲んで、余計に目立った。
えっと、つまり、私は今、研究に集中できていない。
これは私の執務データを見ても統計的にも有意な値で。自分を分析し始めてしまうのが情けなかった。
出発の朝を思い出す。
馬車の荷台に足をかけたガーレンに、自分から声をかけた。
「あの、帰ってきたら、大事な話が、あるんです。だから、その、必ず帰ってきてください」
噛んだ。大事な場面で噛んだ。
ガーレンは振り返った。少しだけ目を見開いて、それからスキットルの蓋を弾いて、一口飲んだ。
「ああ。必ず戻る」
それだけだった。いつも通りの声で、いつも通りの顔で。だから余計に、嘘をつかない人だと分かった。
答えは決まっている。あの夜から、ずっと。決まっているのに、言葉にするのが怖かった。
怖いのは相手じゃない。自分の声で、自分の気持ちを確定させるのが怖い。
論文の結論を書く時と同じだ。書いたら、もう戻れない。
足が門の前から離れない。
研究室の椅子に座っていると、窓の外の門が気になる。立ち上がって窓に寄る。門は閉じている。
座り直す。数式の続きが思い出せない。思い出せないのではなく、思い出す気がない。
ペンを持つと指先が震える。インクの匂いがする。いつもと同じ匂いなのに、今日は全然落ち着かない。
四日目の午後。
陽が傾き始めて、門の影が長くなった。今日も帰ってこない、と思いかけた時、門の向こうに、砂埃が立った。
砂埃の奥で、見覚えのある幌が光を受けて揺れた。馬車だ。
ローブの裾を踏みそうになりながら、走り出した。眼鏡がずれる。押さえる手が追いつかない。石畳を蹴る足が、もつれそうになる。
走った。
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