第191話 「走って!」
足音が路地の奥から走ってきた。ヴィオラが先頭だった。
帽子が半分ずれて、長い耳が片方だけ見えている。走り方が切迫していた。
「走って!」
振り返る暇もなかった。
ヴィオラの声にミナが立ち上がり、トールが盾を前に構え、ロウェナが杖を掴んで階段を降りた。ヴィオラの後ろからガーレンとカイルが駆け込んできた。
ガーレンの手帳が懐に消えるのが見えた。
「聖騎士だ。三名、後方に」
カイルが剣の柄に手をかけたまま全員を見渡した。
「南門へ走る。全力だ」
走り出した。聖都の石畳は白く、滑りやすい。
路地が入り組んでいて、角を曲がるたびに白い壁が視界を塞ぐ。巡礼者の群れを縫って、狭い通りを抜けた。
背後で笛の音が鳴った。
甲高く、短い、合図の笛だった。
「増援が出る」
ガーレンが走りながら声を落とした。
角を曲がった先に、白銀の鎧が二つ並んでいた。路地の出口を塞いでいる。
教皇の紋章が入った盾を構えて、剣を抜いている。
「右だ!」
カイルが路地を折れた。全員が続いた。
ミナが屋根の庇に手をかけて上へ跳び、瓦の上を走って先を確認している。
「南門、二つ先の角!」
ミナの声が上から降ってきた。ロウェナが走りながら弓を引いた。
後方の聖騎士に向けて矢を放った。白銀の盾に弾かれて、金属の音が路地に響いた。
「硬いね、あの鎧」
ロウェナが舌打ちした。右足が追いつかない。
ミナが黙ってロウェナの腕を自分の肩に回して、半ば引きずるように走った。トールが最後尾に回った。
盾を背中から外して左腕に構え、振り返りながら走っている。
聖騎士の一人が追いついてきて剣を振り下ろした。トールの盾が受け止めた。
衝撃でトールの靴底が石畳を擦って半歩下がったが、腕は離れなかった。
「離さねえっす!」
トールが盾を押し返して、聖騎士がよろめいた隙に角を曲がった。南門が見えた。
石造りのアーチの向こうに街道が続いている。
門の前に馬車が停めてあった。御者台にはフードを被ったヴィオラの従者が座っている。
路地が二股に分かれた。ガーレンが立ち止まった。
「ここで止める。先に行け」
カイルが足を止めた。
「ガーレン」
「俺が残る。先に行け」
ガーレンの左手が腰の吹き矢筒に伸びていた。
「三十分稼ぐ。先に城門を出ろ」
カイルの顎の筋が浮いた。唇が動きかけて、止まった。
「必ず戻れ」
ガーレンが片方の口角だけを上げた。
笑みとも言えない表情だった。全員が走り出した。
南門のアーチをくぐり、馬車に飛び乗った。カイルが御者台に上がって手綱を取った。
振り返った。路地の入口にガーレンの背中が見えた。
細い路地の幅いっぱいに立って、吹き矢を構えている。追ってくる白銀の鎧が三つ。
ガーレンの吹き矢が飛んだ。先頭の聖騎士が首筋を押さえてよろめき、膝をついた。
二人目が走り込んできた。ガーレンがもう一本。
聖騎士の腕に当たって、指が剣の柄から離れた。
三人目が剣を抜いて斬りかかった。ガーレンの体が路地の壁を蹴って跳び上がり、上から投擲ナイフを落とした。
聖騎士の肩口に柄まで刺さって、鎧の継ぎ目から血が噴いた。四人目が背後から回り込んだ。
ガーレンが振り向く前に、剣の切っ先が脇腹を貫いた。赤いものが石畳に散った。
ガーレンの体が一瞬だけ折れて、歯を噛み締める音が聞こえた気がした。
懐から煙幕が飛んだ。
白い煙が路地を満たして、ガーレンの姿が消えた。馬車が走り始めた。
南門が遠ざかっていく。石畳の上に、赤い点が三つ並んでいた。
ガーレンの血だった。
「お願い。無事で」
声に出ていた。馬車の荷台の縁を握りしめたまま、南門の白い壁が小さくなっていくのを見つめていた。
ノクスが肩の上で身じろぎした。何も言わなかった。
尾だけが首に巻きついて、子猫の体温が伝わった。
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