第186話 「白い街だ」
聖都アルシスが見えたのは、三日目の夕暮れだった。丘の上から見下ろした瞬間、息が止まった。
「なにあれ」
白い街だった。盆地を埋め尽くす白い石造りの建物。その中心に、途方もない大聖堂がそびえている。
ルグランド王城が横に並んでも足りない。壁面が夕陽を浴びて金色に燃えていた。
「始原大聖堂。千二百年前、九使徒が自らの手で礎石を置いたとされている」
ヴィオラが幌の隙間から身を乗り出して言った。
怪我をしているのに、声に熱がある。
「九使徒って、あの像?」
ミナが目を輝かせて指差した。大聖堂を囲むように、九体の巨大な石像が円を描いて立っていた。
丘の上からでも一体一体が見分けられる。それぞれ違う姿勢で天を仰いでいる。
「ええ。剣の使徒、書の使徒、癒しの使徒。各々が一つの徳を体現している。教皇国では今も九使徒の継承者を選出して聖務を分担しているの」
八体は人の姿だった。剣を掲げる者、書を抱く者、杖を突く者。だが九体目だけが違う。
「あの一番でかいの、人じゃなくない?」
ミナが身を乗り出す。
「九番目の使徒よ」
ヴィオラの声が静かになった。
「記録が残っていないのです。どのような姿だったのか、何をなさったのか。ですから像だけがああいう形に」
ヴィオラの目がこちらを見た。視線が合って、何も言わなかった。言う必要がなかった。
光の束を固めたような白い柱が天に向かって伸びている。他の八体の倍はあった。夕陽の角度のせいか、柱の表面が内側から発光しているように見える。
記録が残っていない。
そういうことにされている。
トールが幌の隙間からちらりとそちらを見て、すぐに視線を街道に戻した。
ロウェナが九体目の像を見上げたまま、小さく呟いた。
「人の形してないって、あたいみたいさね」
ミナが振り返った。
「何言ってんの。人間より綺麗でしょ、ロウェナは」
ロウェナの赤い瞳が一瞬だけ揺れた。帽子のつばを深く下ろして、何も言わなかった。
街全体が白く、清潔で、ルグランドの王都とは別の世界だった。
「明日が大巡礼祭だ。今夜は聖都の外で泊まる」
カイルが馬車を街道の脇に寄せた。聖都の南門の手前に巡礼者用の宿場が点在している。安い宿を選ぶ余裕はなかった。
ガーレンが先に入って空き部屋を確認し、戻ってきた時の表情で察した。
「部屋が足りない。巡礼者で満杯だ。三部屋しか取れなかった」
「三部屋で七人か」
カイルが指を折って数えた。
「男部屋は俺とガーレンで一つ。狭いからな。女性陣はリーラとヴィオラとロウェナで一つ。これでも本来は二人部屋に三人だから窮屈だ。残りの一部屋は」
全員の視線が、同じ方向に向いた。
トールが盾を肩にかけ直して、首を傾げた。ミナが腕を組んだまま、口を真一文字に結んでいる。ガーレンが半目でミナとトールを見て、スキットルの蓋を弾いた。
「付き合ってるんだろ。問題ないな」
ロウェナが杖の先で地面を軽く突いた。
「そうさね。今更でしょ」
ヴィオラが帽子の縁を直しながら、穏やかに微笑んだ。
「仲が良いのは良いことです」
ミナの顔が耳まで赤くなった。
「ちょ、っ、あんたたち勝手に……!」
トールが盾の縁を握ったまま、真顔で答えた。
「大丈夫っす、俺、床で寝るんで」
「そういう問題じゃっ!」
ミナの声が裏返ったが、誰も聞いていなかった。荷物を降ろす音と、宿の主人を呼ぶガーレンの声にかき消されて、部屋割りは確定した。
カイルが荷を担いで宿に入る背中を見送りながら、ノクスが肩の上で小さく鼻を鳴らした。
「あの二人、毎回これか」
「慣れて」
「慣れたくない」
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