第180話 乾杯の仮面
夕刻になって、雨が止んだ。王城大広間の大扉が開かれた時、蝋燭の光が廊下まであふれ出していた。
追悼晩餐会。国葬に伴う弔問外交の場であり、表向きは追悼だが、裏では各国の思惑が交差する夜だ。母后は居室にお戻りになった、とヴァーンの侍女から聞いた。
国葬だけで限界だったのだろう。
黒と銀の装花が長テーブルの中央に並び、銀の燭台から蝋燭の光が天蓋に映って星のように揺れている。
喪の色調だが格式は最高だった。長テーブルの両側に各国使節、貴族、高位神官が着席していく。
大広間の入口で足を止めた。
上座にカイルが立っていた。新王として初めての公務。
銀鎖と王家の徽章が蝋燭の光を受けて鈍く光っている。肩が少しだけ硬い。
でも背筋は真っ直ぐだった。
隣にシャルロットがいた。
「行くわよ。──妹に無礼な虫が湧いたら、宰相権限で叩き潰すからね」
シャルロットが小声で言った。
白金の髪を今夜は下ろしている。黒の宰相礼服の襟元に、ラヴェルン家の紋章と宰相の徽章を並べて留めていた。
銀の髪を結い上げた私と、白金の髪を下ろしたシャルロットが、並んで大広間の扉を抜けた。深紫のドレスの裾が床を引いた。
シャルロットの黒い宰相礼服の裾が、隣を滑った。銀と白金。
紫と黒。大広間が、一瞬だけ静かになった。
それから、沸いた。
ざわめきが波のように広がった。長テーブルの両側から視線が集中する。
扇が開き、ひそひそ声が重なり、食器を置く音さえ消えた。
「社交界の双璧――!」
貴族の令息が椅子の背から身を乗り出した。
「ヴェインの銀とラヴェルンの白金が揃うのは何年ぶりだ」
「百年に一人の美姫と、世界一の完璧な令嬢が並んで歩いている」
令嬢たちの声が重なった。
「とんでもなくお美しい」
「同じ人間とは思えないわ」
扇の陰で、別の声が刺さった。
「あの二人が揃うと、隣に立つ気が失せるわね」
「ヴェインの娘は殿下と二人きりで旅をしていたとか。ご令嬢が冒険者ごっこですって?」
「ラヴェルンの娘が宰相? 女が国政を回すなど、前代未聞でしょう」
令息が首を振った。
「前代未聞だから選んだのだろう。あの二人を敵に回したい者がいたら、手を挙げてみろ」
かつて社交界で伝説と謳われた二人が、片方は冒険者として泥と血にまみれ、もう片方は双剣を振るう戦士になって、今、この大広間に戻ってきた。
しかも片方は新王の同行者、もう片方は宰相。上座のカイルが二人を見ていた。
目がこちらに向いた。
一瞬だけ蝋燭の光の中で、青みがかった灰色の瞳が銀の髪だけを見ていた。
会場の半分が気づいていた。新王の目が、銀髪の令嬢だけを見ていたことに。
気づいている。
顔が熱くなった。視線を外そうとして、外せなかった。
カイルの目が逸れるまでの一瞬が、蝋燭の炎が一度揺れるほどの短さだったのに、とても長く感じた。
――見ないで。
見られると、顔が赤くなる。
胸元で子猫が身じろぎした。金色の目がドレスの縁から覗いて、何も言わなかった。
尾の先だけが動いている。
席についた。正装の重さに馴染まないまま、銀の食器を前にして呼吸を整えた。
晩餐が始まった。
銀の皿に盛られた料理が運ばれ、給仕が杯にワインを注いでいく。
長テーブルの端々で、声を落とした会話が交わされていた。
斜め向かいで、サフィアル商務大臣がドルクに話しかけていた。
太い指で杯を回しながら、通訳越しに何かを言っている。ドルクが片腕を組んだまま短く答えた。
「通商条約の話ならシャロに聞いてくれ。俺は武器を打つだけだ」
商務大臣がまばたきして、通訳を見た。通訳が困った顔で何かを囁き返している。
教皇国の枢機卿代理がヴィオラの横を通り過ぎた。黒い法衣の裾が石畳を擦る音がした。
ヴィオラの長い耳がかすかに動いた。ヴィオラが私だけに聞こえる声で囁いた。
「あの方、私を覚えていないといいのですが」
南方使節団の席で、蒼月紋章の男。カイウスが、シャルロットのテーブルの近くを通った。目は合わせなかった。
ただ通り過ぎざまに、小さな花を一輪、シャルロットのテーブルに置いた。南方の土の色をした、濃い紫の花弁。
何も言わずに、歩き去った。シャルロットの指先が花に触れた。
花弁を親指と人差し指で挟んで、一度だけ回した。そのまま膝の上に下ろした。
周囲に気づかれていないつもりらしい。
トールが正装に慣れなくて足を組みかけ、ミナに小声で止められていた。
「ミナさん、窮屈っす」
「ここ王城よ。足を組むな」
「でも――」
「黙って座りなさい」
トールが唇を尖らせて、盾を置いた椅子の脇を一度撫でた。
盾がないと落ち着かないらしい。
乾杯の時間が近づいていた。
給仕がカイルの杯にワインを注いだ。赤い液体が杯の縁まで満ちて、蝋燭の光を映している。
カイルが杯を持ち上げかけた。カイルの後ろに立っていたガーレンの手が動いた。
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