第178話 雨の葬列
国葬の朝は、雨だった。大聖堂の石壁に雨粒が当たる音が、祈りの鐘と重なって低く響いていた。
高い天蓋から吊り下げられた蝋燭の列が、棺の上に淡い光を落としている。正装の重さに、まだ慣れない。
深紫のドレスの裾が石畳に触れるたびに、布が足首を引いた。銀の髪を結い上げて、首筋が冷えている。
侯爵家の令嬢として社交の場には年に二度は出ていた。だが今夜の格式は別だった。
王城の追悼晩餐、しかも新王の隣席だ。胸元に収まった子猫のノクスが、小さく身じろぎした。
金色の目が布の隙間からこちらを見上げている。
「重い」
声にならない呟きが、耳の奥に届いた。
「我慢して」
ノクスの尾が一度だけ動いて、止まった。最前列の席に着いた。
右隣に母エレイン、左隣に父ヴィクター。父は黒い正装の袖を一度引いて、姿勢を正した。
何も言わなかった。視線だけが私の横顔を一瞬かすめて、前を向いた。
母が小声で囁いた。
「綺麗よ、リーラ」
「ありがとう、お母様」
声が少しだけ詰まった。
こういう時に母はいつも、私の不安を見抜いて別のことを言う。
斜め後ろの席で、トールが仕立て直した正装の襟を指で引っ張っていた。首が太くて、まだ窮屈らしい。ミナが横から手を伸ばして曲がった襟を直し、自分はドレスの裾を持て余している。
ドルクは腕を組み、今日はパイプを咥えていない。黒い正装に身を包んだ片腕の鍛冶師は、周囲の貴族とは質の違う存在感を放っていた。隣でミラの膝の末娘が、退屈そうに母の袖の縁を弄んでいる。
ガーレンが椅子の背にもたれて、スキットルの蓋を親指で一度弾き、音を確かめるように止めた。隣のルーシェは眼鏡のつるを押さえて、大聖堂の天蓋を見上げている。少し後ろにフィオレ、帽子に隠した兎の耳が、人混みの気配にぴくぴく動いていた。
ヴィオラが、黒い神官服で座っていた。
赤い髪のエルフが王国の国葬に。周囲の視線が集まっている。
左側席の教皇国の枢機卿代理が、一瞬ヴィオラに目を向けた。ヴィオラは目を閉じたまま微動だにしない。
長い耳の先だけが、かすかに動いていた。
左側席の外国使節たちが、それぞれの国の正装で並んでいる。
サフィアル交易連合の商務大臣が厚い腹を黒いガウンに包んで、隣の通訳と何か話していた。東方諸島のギルド連盟代表は東方式の長衣を纏い、腰の帯に小さな印章をぶら下げている。
南方使節団の中に。壮年の男がいた。
四十代半ば。
正装の軍服の胸に蒼い月の紋章を佩いている。背筋の伸び方に剣士の名残があった。
隣に十歳くらいの少年が座り、式典の空気に呑まれまいとして唇を引き結んでいる。
後ろから背中をつつかれて振り返ると、すぐ後ろの席に黒い外套の子供が座っていた。
空色の目。隣にエルザが控えている。
アロウィンだった。
「分かったんじゃな。八番目が」
小さく頷いた。教皇国の中枢にいる、とだけ伝えた。
アロウィンの空色の目が、薄く細まった。
「あやつが、な」
視線が祭壇に向いた。棺が中央に置かれていた。
白い絹がかけられ、その上にルグランド王家の紋章。双翼の獅子が金糸で刺繍されている。蝋燭の光が紋章の金糸を揺らして、獅子の翼がかすかに動いているように見えた。
棺の向こうに、カイルが立っていた。黒い正装に王家の銀鎖をかけて、右の胸に王家の徽章を留めている。
顎の浅い髭がそのままで、目の下に影がある。昨夜は眠れなかったのだろう。
それでも背筋だけは真っ直ぐだった。
カイルの右後ろに、シャルロットが立っていた。
白金の髪を下ろし、黒いドレスの襟元に宰相の徽章を新たに留めている。表情は動かない。
ただ呼吸を整えているだけの、静かな立ち方だった。
カイルの左後ろに。ヴァーンが車椅子で出席していた。
呪い解除から十日しか経っていない。頬はこけて、肌に血の気が薄い。
それでも父の葬儀から欠席することは選ばなかったのだろう。車椅子の肘掛けを握る指の関節が、白くなっていた。
ヴァーンの隣に、母后が座っていた。黒いヴェールが銀の髪を覆い、背筋だけが真っ直ぐだった。
涙は流していなかった。もう流し尽くしたのだろう。
ヴァーンの車椅子の肘掛けに、そっと手を添えていた。
ルグランド大司教が祭壇の奥から進み出た。
白い法衣に九使徒の刺繍。聖典を開き、低い声で追悼の祈祷を唱えた。
大聖堂全体が祈りの響きに沈む。祈祷が終わった。
大司教が一歩退き、カイルに場を譲った。大聖堂が、静まった。
蝋燭の炎が揺れて、棺の上の金糸が光った。雨の音だけが、石壁の外から響いている。
カイルが棺を見つめていた。長かった。
何秒か、あるいは何十秒か。蝋燭の蝋が一滴落ちて、台座の銀皿に小さな音を立てた。
カイルが息を吐いた。顔を上げた。
「父は最後の日まで、この国の行く末を案じていた人でした」
声が大聖堂に響いた。低く、静かだった。
壇上のカイルの影が、棺の横に長く伸びている。
「病に蝕まれる中でも、父は一日も民のことを忘れなかった。それが、私の知る父です」
呼吸を一つ、挟んだ。
「父が守り続けたこの国を、私もまた守り抜きます。未熟な息子ですが、父の志だけは継ぎます」
声のトーンが変わった。弔辞より一段、硬い音に。
「ここで、皆様にお伝えしなければならないことがあります」
大聖堂の空気が張り詰めた。
「兄ヴァーンは病のため、王位を辞すことになりました。不肖ながら、私が王位を継承いたします」
ざわめきが走った。
すぐに収まった。噂は広がっていたのだろう。
だが公式に聞くのは初めてだった。
「そして宰相に、シャルロット・ド・ラヴェルンを任命いたします」
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