第169話 砕けた膝で立つ
カイルは崩落の粉塵の中で立っていた。三歩先に、ロイスが立っている。
あの日、俺が剣で片手を斬り落とした男が、人間の腕ではないものを右肩から生やして、ここにいる。
ロイスの黒い腕が振られた。
床の石畳が隆起して、禁呪の波動が走った。
「焔穿」
踏み込んだ。焔鱗の剣に焔を圧縮して撃ち込んだ。
弾かれた。シャルロットが側面から斬り込んだ。
風刃がロイスの黒い腕に到達した。影の腕が素手で掴み、握り潰した。
シャルロットの体が柱に叩きつけられた。
焔穿が通らない。一撃ごとに儀式場が壊れていく。
焔渦を溜めるしかない。
「相棒。時間をくれ」
トールが振り返った。亀裂だらけの竜盾を構え直して、笑った。
「待ってました!」
一歩踏み出して、俺とロイスの間に立った。
シャルロットが双剣を構えてトールの横に並んだ。
「あたしも時間稼ぐ。早くして、カイル!」
剣を両手で握り直した。焔を圧縮する。
回転を始めた。白に近い焔が剣を中心に渦を巻く。
ロイスが動いた。残った左手が自分の胸を掴んだ。
指が肋骨の間に沈み、引き裂くように開くと、中から黒い光が漏れた。アヴェルナの欠片。黒い結晶が脈動していた。
変貌は一瞬だった。肉体が黒い影で再構成されていく。
四本の腕が生え、脚の関節が逆に折れ曲がった。頭部に六つの黒い目が開いた。
異形が咆哮した。四本腕がトールに向かって振り下ろされた。
竜盾が悲鳴を上げた。
連撃。
連撃。
連撃。
鱗が飛び、盾面に亀裂が走り、トールの足が石畳にめり込んでいく。シャルロットが風壁で援護したが、四本腕の前では一本を逸らすのが精一杯だった。
トールが吹き飛ばされた。壁に叩きつけられて、崩れた。
俺の前に誰もいなくなった。異形の六つの目がこちらを向いた。
焔渦を溜めている剣が白く灼けている。無防備だった。
止めなかった。
異形が踏み込んだ。
盾が割り込んだ。トールが立っていた。
目が白く裏返っている。それでも竜盾を構えて、俺の前に戻っていた。
シャルロットの息が止まった。
「盾は死んでも離さない。伊達じゃないわね、あんた」
異形が吼えた。四本腕が滅茶苦茶に振り回された。
シャルロットがトールの前に出た。双剣を交差させて、守りの構えを取った。
一撃目で右脚を薙がれた。膝をついた。
二撃目で左手の剣が弾かれた。
三撃目を残った右の剣で受けた。
四撃目がシャルロットの肩を貫いた。そのまま持ち上げられた。
肩に刺さったまま振り回されて、壁に叩きつけられた。シャルロットが床に落ちた。
動かなかった。トールの目に光が戻った。
シャルロットの方を向いた。声にならない声を上げて、前に出た。
砕けた膝で。半分割れた盾で。
「あと三秒!」
「三秒は、長えな……!」
焔渦を解放した。白い光の奔流が異形を包み込んだ。
儀式場の半分が白熱して、壁の石が溶けた。異形が吹き飛ばされて壁を突き破った。
勝ったか。
瓦礫が動いた。異形がまだ立っている。
二本の腕は焼け落ちていたが、残り二本が体を引きずり起こした。瓦礫の向こうからロウェナの声が飛んだ。
「胸の光! あそこが核だ!」
異形の六つの目が声の方角を向いた。衝撃波が瓦礫を粉砕した。
ロウェナの声が止んだ。
胸の光が見えた。影の奥で黒い結晶が脈動している。
あれを砕かなければ終わらない。焔が残っていなかった。
トールが横に来た。目はまだ焦点が合っていない。
竜盾を地面に叩きつけた。
角度をつけて、俺に向けて。
分かった。トールの盾に足をかけた。
盾撃。
最後の力が盾面を押し上げて、俺の体を異形に向かって射出した。
焔鱗の剣に残った全てを注いだ。ただ、持っている全部を切っ先に。
黒い結晶を貫いた。砕けた。
異形の体から影が噴き出した。六つの目が見開かれて、ロイスの声と別の何かが混ざった絶叫が儀式場を満たした。
――笑っていた。
崩壊していく体の中で、ロイスの顔が一瞬だけ元に戻った。老いた男の顔。
血走った目が天井を見上げて、口元に笑みが浮かんでいた。
影が暴走した。
黒い力が四方八方に噴き出して、天井と壁を巻き込み始めた。儀式場全体が崩れていく。
トールを担いだ。シャルロットをトールの背に乗せた。
走った。
背後で天井が落ちて、粉塵が津波のように追いかけてきた。
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