第160話 「あたしと、ちゃんと、付き合って」
翌朝だった。ミナがトールの袖を引いた。
食堂を出て、廊下の角を曲がったところで足を止めた。
「あんた、戻って早々悪いんだけど」
トールが玄関に立てかけた盾を取りに戻り、背中に背負い直してから振り返った。
「うすっ?」
ミナが口を開きかけて閉じ、もう一度開いた。
「あたしと、ちゃんと、付き合って」
トールが首を傾げた。
「うすっ。もう、付き合ってるっす」
ミナの拳が一度握られて開き、スカートの裾を掴んだ。
「うん。そうだけど」
右足が石畳を踏んだ。靴底が硬い音を立てて、反響が廊下の天井に散った。
「ば、ばかトール。あんた、分かってる?」
「な、何がっすか」
ミナの顔が赤くなった。首筋まで染まっている。
「付き合ってて、き、キスもしてないなんて、ありえないんだからっ!」
トールの目が見開かれた。口が半開きになった。
盾が背中でずれて、石壁に当たってがしゃんと鳴った。
「えっ」
「えっ、じゃないっ!」
ミナが一歩踏み込んだ。
指がトールの胸当てを突いた。
「他のカップル見てよ! ガーレンさんとルーシェさんなんか、あれもう完全に何かあったって雰囲気っ! シャロ姐さんだって、たぶん何かあったの! あたしらだけ、足湯の足くっつけて満足してる場合じゃないでしょっ!」
トールが一歩後ずさり、壁に背中がぶつかった。盾がまた鳴った。
「すんません。気付かなかったっす」
「き、気付けっ! 朴念仁っ!」
声が廊下に反響した。角の向こうで小さな足音が止まって、そっと引き返していくのが聞こえた。
トールが盾のベルトを外した。背中から盾を下ろして、壁に立てかけた。
両手が空いた。不器用な動作だった。
ミナの肩に両手を置くまでに、三回ほど手の位置を直した。右手が高すぎて、左手が低すぎて、両方を同じ高さに揃え直した。
下からトールを見上げた。
「早く」
「うすっ」
トールが顔を寄せた。
目を閉じた。唇が触れた。
短かった。鼻先がぶつかって、トールの首が右に傾く。
傾きすぎて唇が外れた。
「もう一回」
「えっ」
「も、もう一回って、言ったの!」
「うすっ!」
今度はトールの方が先に目を閉じた。
爪先立ちになった。唇が触れた。
今度はちゃんと。鼻先も当たらない。
数秒で離れた。トールの耳が赤かった。
たぶん自分も赤い。トールの手がまだ肩にあって、爪先がまだ浮いている。
息を吸い込んだ。吐いた。
顎を上げた。
「もう一回」
「えっ」
「聞こえなかった? もう一回!」
「うすっ!」
三度目は、もう少し長かった。
トールの手が肩から背中に回りかけて、途中で止まった。止まったまま、宙に浮いている。
胸当ての端を握っていた。離れた時、短い沈黙が残った。
顔を逸らした。トールが天井を見上げた。
廊下の窓から差し込む朝日が、横顔を白く照らしている。
「あんた」
「うすっ」
「次は、あんたからしてよね」
「うすっ。善処するっす」
「善処じゃなくて、するの」
「うすっ」




