表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

158/236

第158話 「話しておきたいことがある」

 朝食の皿が下げられた頃だった。



「みんなに、話しておきたいことがあるの」



 食卓の視線が集まった。トールのスプーンが皿の縁で止まり、ミナがこちらを見た。フィオレの兎耳がぴくりと伏せられた。



「骨塚のヴェルガリオン討伐のこと。ギルドの速報で知ってる人もいると思うけど、私の口から」



「知ってる」



 カイルの声が遮った。低かった。


 聞き慣れた声のはずなのに、底の方に知らない色が混じっていた。



「帰りの街道で聞いた。ギルドの速報が出回っていた」



 灰色の瞳がこちらを向いた。


 朝食の席に着いてからずっとカイルは、何かを堪えている顔をしていた。



「お前は同行していた、ということだろう」


「はい」


「勇者七組が全滅した竜のところに、俺に黙って行ったのか」


「はい」



 カイルの拳が食卓を叩いた。


 皿が浮き、杯の中の水が揺れて、食堂に音が響いて、消えた。



「俺は、何だったんだ」



 声が割れていた。



「お前を守ると、何度言ったと思ってる」



 唇を噛んだ。


 何も言えなかった。



「修行に行ったのも、お前のためだ。焔渦を覚えたのも、トールと二人で組めるようにしたのも、全部、お前を守れるようにするためだ」



 食卓の全員が黙っていた。トールが視線を皿に落とし、ミナが唇を噛んでいる。



「なのに、お前は俺を置いて、ヴェルガリオンとの戦闘に居合わせた」


「俺の知らないところで、お前が死んでいたかもしれない。それを、俺は一ヶ月知らずに、山で剣を振っていた」



 声が途切れた。


 カイルの肩が上下している。呼吸が乱れていた。



「俺は、お前にとって、何だ」



 答えなければいけなかった。


 でも、何を答えればいい。



 ――本当の理由は言えない。



 カイルを連れていけなかった理由。


 本気を出せば「ただ者じゃない」と気付かれる。


 気付かれれば、神の契約が動く。記憶が全部消える。


 カイルとのことも、ノクスとのことも、この一ヶ月で得た全部が。その恐怖が、嘘をつかせた。



「カイル殿下、リーラ嬢には事情が」



 ヴィオラが椅子から立ち上がった。



「ヴィオラ殿」



 カイルの視線がヴィオラに向いた。声が刃のように細かった。



「口を挟まないでくれ。これは、俺とリーラの問題だ」



 ヴィオラが唇を引き結んで、静かに座り直した。


 食卓の空気が重かった。カイルの呼吸と、自分の鼓動と、誰も箸を動かさない静寂だけが残っていた。



「ごめんなさい」



 言葉が喉に引っかかった。



「私の、判断ミスだった、というしかない」



 言葉を選んでいた。選ぶしかなかった。


 本当のことは、何一つ口にできない。



「ヴィオラさんが浄化のため、と頼んできて、私とノクスの古代知識が要ると言うから、つい承諾した」



 嘘ではなかった。嘘ではないが、真実の半分すら伝えていなかった。



「あなたに言ったら止められると思って、黙ってしまった」



 これだけは本当だった。


 カイルに伝えたら、絶対に付いてくると言う。勇者パーティーが全滅した相手の前に、この人を立たせるわけにはいかなかった。



 ――でも、その理由の本当の理由は、永遠に言えない。



 カイルの背中が見えた。こちらに向けられた背中。


 窓から差し込む昼の光がシャツの肩を白く縁取っていた。肩の筋が一度だけ大きく震えて、止まった。


 カイルが立ち上がって、食堂の扉を開けた。振り返らなかった。


 足音が廊下を遠ざかっていった。一歩ごとに遠くなる革靴の音を、扉の隙間から聞いていた。


 音が消えた後も、耳の奥にはまだ残響が鳴っていた。


 その日の午後から、カイルは口をきかなくなった。


 朝食の席には現れた。いつもと同じ場所に座り、いつもと同じ量を皿に取り、いつもと同じ速度で食べた。


 ただ、一度もこちらを向かなかった。


 自分の食事が喉を通らなかった。


 スープを口に運んで、飲み込んで、味がしなかった。パンを千切って、千切ったまま皿に戻した。


 ミナが「ちゃんと食べなさい」と声をかけてくれた。


 頷いて、スプーンを握り直して、また置いた。


 トールが心配そうにこちらを窺っていた。何か言いかけて、ミナに肘を突かれて口を閉じた。


 ノクスが膝の上にいた。いつもより体を丸める位置が深くて、太腿の内側に額を押し当てていた。


 帰還した日より、少しだけ重くなっている。手のひらに収まっていた体が、両手で包むくらいにはなっていた。



 翌日の夜、食卓でカイルに怒られてから二日目の夜だった。



 自室に戻って、ベッドの端に腰を下ろした。そのまま膝を抱えた。



 ――カイルは、もう、私の顔を見ないかもしれない。



 膝を抱える腕に力が入った。爪が自分の二の腕に食い込んだ。


 食堂で背中を向けて出ていったカイルの足音が、まだ耳の奥に残っている。扉が、静かに叩かれた。



「リーラ嬢」



 ヴィオラの声だった。



「どうぞ」



 ヴィオラが入ってきた。深紅の髪が燭台の灯りを受けて、廊下の暗さを引きずったまま室内に流れ込んだ。


 長耳の先が夜の冷気に触れて赤くなっている。



「お加減は」


「大丈夫です」



 嘘だった。


 ヴィオラには見えているはずだ。膝を抱えたまま動かない体も、乾いた唇も、二日間ろくに食べていないことも。



「ヴィオラさん」



 声がかすれた。



「私、カイルに、絶縁されるかもしれない」



 ヴィオラが椅子を引いて座った。膝を揃えて、正面からこちらを見ていた。



「殿下は、そういう方ではございません」


「分からない」



 膝を抱える指が白くなっていた。



「私、嘘をついた」



 声が震えた。


 止められなかった。二日間、自室の中でずっと繰り返していた言葉が、ヴィオラの前で初めて口を突いて出た。



「お父様とお兄様を救う触媒のためだったって、言えばよかった。でも――言ったところで、同じだった。あの人が怒っているのは、行った理由じゃない。黙って行ったことだから」



 ヴィオラは口を挟まなかった。



「私、これから先も、ずっと、嘘をつき続ける女のままで、カイルの隣にいられるのかな」



「もし、ここで絶縁されたら、私は、それを受け止めるしかない。私が嘘をついた事実は、もう変わらないから」



 ヴィオラの手が伸びてきた。肩に、そっと触れた。


 記録者の手は、思いのほか小さかった。



「リーラ嬢」



 ヴィオラの声が変わっていた。いつもの神官の声ではなかった。


 ただの年上の女の、ただの優しい声だった。



「今夜はゆっくりお休みください。明日、また一緒に庭を歩きましょう」



 笑顔だった。穏やかで、静かで、何も心配することはないという顔だった。



「ありがとう、ヴィオラさん」



 ヴィオラが立ち上がった。椅子を元の位置に戻して、扉に手をかけた。



「おやすみなさいませ」



 扉が、静かに閉まった。


 廊下側で、ヴィオラの足音が止まった。数秒、何も聞こえなかった。


 足音が、ゆっくりと遠ざかっていった。


お読みいただき、ありがとうございました。

この物語を見届けたいと思ってくださったら、ブックマークと★で、そっと背を押していただけると嬉しいです。毎日更新しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ