第151話 白い灰
夕陽が西から差し込んで、灰と硝子の粒が一緒に舞い上がり、真円形の平原全体が虹色に瞬いた。声が出なかった。
ヴィオラが、焼け野原を見渡していた。蒼銀だった髪が、根元から深紅に戻り始めている。
目元に涙の跡が残っていた。白い灰が、降り続けている。
硝子の平原に積もった灰が、夕陽を浴びて、虹色に光っていた。ポケットの中で、子猫が一度だけ身じろぎした。
小さな前足が、布越しに私の腹を踏んだ。爪は出ていなかった。
視界がぐらりと傾いた。膝が折れた。
硝子化した地面が頬のすぐ横にあった。冷たくない。
まだ熱を持っている。星が落ちた跡だ。
手をついた指先に、細かな亀裂の感触が伝わった。
「リーラちゃん」
ヴィオラの手が肩を支えていた。肋骨を折ったまま立ち上がって、それでも片腕で私を抱え起こしている。
深紅に戻りかけた髪が頬にかかって、その奥の瞳が潤んでいた。
「ヴィオラさん、肋骨――」
「折れてる。でも、あんたの方が先」
「先じゃない。同じくらい」
「リーラちゃんが先」
体を起こした。両手を膝の上に置いて、息を整えた。
頭の芯がぼんやりしている。さっきまで二つあった意識が一つに戻って、脳の隅がまだ揺れている。
ヴィオラが屈み込んだ。髪は完全に深紅に戻っていた。
焼け野原の中心に、焼け残った何かが転がっていた。黒い結晶だった。
拳ほどの大きさで、表面が炭のように見えるのに、光に透かすと透き通っている。内側で微かに光が脈打っていた。
心臓のように、ゆっくりと、規則的に。ヴィオラの指が震えた。
「これは、ヴェルガリオンの心臓の一片にございます」
光が脈を打つたびに、ヴィオラの指の間から薄い金色が漏れた。
「これで。国王陛下とヴァーン殿下の呪いを解く触媒が、確保できました」
胸の奥で、何かが大きく動いた。カイルの顔が浮かんだ。
あの人が三年、探し続けてきたもの。
「カイルに、伝えなきゃ」
声が掠れた。
「これ一つで、カイルが、ずっと欲しがってきた未来が、戻ってくる」
ヴィオラが頷いた。黒い結晶を布で丁寧に包んで、腰の袋に収めた。
焼け野原を見渡すと、心臓の鱗以外にも、あちこちに黒い塊が転がっていた。焼け落ちた古竜の鱗だ。
大きいもので人の頭ほど、小さいもので拳ほど。どれも黒く厚く、表面に細かな溝が走っている。
ヴィオラが一枚を拾い上げた。両手で持って、息を吸った。
「リーラ嬢、これ、一枚で小国の国家予算一年分にございます」
「えっ」
「古竜の鱗は、現代の魔導具・防具・触媒。あらゆる用途に最上級素材。何百年も伝承だけで、現物の取引が成立したことがない品にございます」
硝子化した地面の上に、その「伝承だけの品」が数百枚、ごろごろ転がっていた。
夕陽が鱗の一枚一枚に光を落として、黒い表面に金色の筋が走った。
「これ、地面に、ごろごろ」
「ええ。数百枚は、軽く落ちております」
二人で顔を見合わせた。
「持って帰れる分だけ、持って帰ろう」
「はい。ドルク殿に渡せば、武器三十本は打てるでしょう。残りはヴェイン家の金庫に」
ノクスが、子猫のノクスが、てくてくと歩いてきた。
小さな前足で硝子の地面を踏みながら、鱗の山の一番高い場所に飛び乗った。
鱗の上で二度踏んでから、ぽすんと座って、丸くなった。
「にゃ」
声にならない声だった。でも金色の目が、得意げに細くなっている。
国家予算の上で寝てるぞ、と言いたげな顔。
「寝てて、ノクス」
ノクスの小さな喉が鳴った。ごろごろ、と。
戦いの前には一度も聞かなかった音だった。もう一つ、焔の中から落ちてきたものがあった。
黒い細い杖。長さは肘から指先ほど。
表面に古い文字が刻まれていて、触れると指先に微かな脈動が伝わった。焼け野原の中で、これだけが焦げていなかった。
手に取った。軽い。
だが、指の間に馴染む感触があった。知っている手触りだった。
この体で触れたことはない。でも、指が覚えている。
「これ、前世の私が、持っていた」
ヴィオラの目が見開かれた。
「神話典に記録がございます。九番目の杖と呼ばれていた一品。前世のあなたが、最も長く使っていた武具のひとつ」
杖の刻印が、指の熱に反応するように淡く光った。
長い眠りから覚めたばかりの、古い光。ノクスが鱗の山からてくてく歩いてきて、足元に丸くなった。
子猫の体で、前足を私の靴の先に乗せた。小さな前足が、杖の柄を一度だけ踏んだ。
爪は出していない。金色の目が細まっていた。
杖を胸に抱いた。焼け野原に、二人(と一匹)が無言で座っていた。
灰が降り続けている。硝子の平原が虹色に光り、白い粒が髪と肩に積もっていく。
ヴィオラが目元を拭った。拭ったのは灰ではなかった。
「あれ」
視界が傾いた。
杖を抱いたまま、体が横に倒れていく。硝子の地面が頬に触れた。
冷たくて、滑らかで、虹色の光が目の前でちらちら揺れていた。
「リーラ嬢!」
ヴィオラの声が遠い。ノクスの前足が頬を踏んだ。
小さくて、温かくて、爪は出ていない。体が、もう動かない。
全部使い切ったのだと、頭の隅で分かった。
「だいじょう、ぶ」
嘘だった。目が閉じた。
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