第145話 「怖いのです」
三日目の夜、焚き火を囲んだ。木々の隙間から星が覗いている。風が梢を揺らすたびに、炎が傾いて二人の影を伸ばした。ノクスは私の膝の上で丸くなっている。鈴が微かに光を返していた。
ヴィオラが酒の入った革袋を傾けて、杯に注いだ。一口含んで、しばらく炎を見つめていた。
「リーラ嬢」
「はい」
「明日の作戦を、もう一度確認してもよろしいですか」
声が硬かった。作戦の確認ではなく、別のことを言いたいのだと分かった。
「ヴィオラさん、本当に聞きたいのは、それじゃないでしょう」
ヴィオラの手が杯の縁を握り込んだ。指先が白くなっている。
「怖いのです」
声が変わっていた。記録者としての冷静さが消えて、ただの女の声になっていた。
「五千年前も、私はあなたの隣にいました。あの時も、あなたは一人で全部背負おうとした。私は止められなかった。結局、あなたは」
言葉が途切れた。
炎が爆ぜた。火の粉が一つ舞い上がって、暗闇に消えた。
「また同じになるかもしれない。明日、あなたが死ぬかもしれない。私はまた、止められないかもしれない」
ヴィオラの目元に光が滲んでいる。焚き火の光のせいだけではなかった。
「ずっとそれが怖かった。転生してからも、あなたを探し当ててからも。隣にいればいるほど、怖くなる」
杯の中の酒が揺れている。ヴィオラの手が震えていた。
「ヴィオラさん」
「はい」
「今回は、一人じゃない」
ヴィオラが顔を上げた。
「ヴィオラさんがいる。ノクスもいる。封印具もある。五千年前とは違います」
ヴィオラの唇が震えている。目から涙が一筋、頬を伝った。
「そうですね」
「だから、止めてください。もし私が無茶をしようとしたら」
ヴィオラの目から、もう一筋。
「今度は、止めます。必ず」
声が割れた。記録者としての冷静さも、神官としての威厳も、全部剥がれ落ちて、後悔を抱えた一人の女がそこにいた。
焚き火が静かに爆ぜた。火の粉が二つ舞い上がって、星空に溶けた。木の枝が折れる小さな音がして、炎が一段低くなった。
ヴィオラが袖で目元を拭った。深紅の髪が額に張りついている。汗なのか涙なのか、分からなかった。
膝の上でノクスが小さく身じろぎした。金色の目が薄く開いて、ヴィオラを見て、私を見た。
何も言わなかった。前足を一度だけ私の膝に押しつけて、また目を閉じた。
明日、骨塚に到着する。焚き火の最後の炎が、二人の影を一つに伸ばしていた。
ノクスの鈴が、微かに鳴った。風が通ったわけではない。ただ、鳴った。
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