第142話 「知らんとでも思ったか」
ヴェルガリオンの巣へ発つ朝、私はヴィオラを伴ってドルクの工房に立ち寄っていた。中層の坂道沿いに、王家御用達の金文字が刻まれたドルク鉄鋼商会の看板が光っている。
鋳鉄の扉を、私は拳で三度叩いた。鉄を叩く音が奥から響いていた。
一定の間隔で、重く、硬い。片腕でこの音を出せる鍛冶師は、大陸に一人しかいない。
音が止まった。扉が内側から開いて、煤と汗と炭の匂いが路地に溢れた。
ドルクが鉄鋏を右手に握ったまま、こちらを見下ろしている。ドワーフ族の太い骨格。額の汗を腕で拭う仕草に、左腕の袖が空で揺れた。
「おう、嬢ちゃん。連れがいるな」
「うん。仲間のヴィオラ、それと、頼んでたもの、受け取りに来ました」
ドルクの視線がヴィオラに動いた。深紅の長い髪、長耳。パイプを咥えたまま、目が上から下まで一往復した。
「いい脚してんな、嬢ちゃん。エルフってのは皆そうなのか」
ヴィオラの長耳の先が微かに震えた。
それでもすぐに持ち直して、丁寧に頭を下げた。
「ヴィオラ・カーレンと申します。リーラ嬢の旅の同行者にございます」
「ドルクだ。見てのとおりの鍛冶屋だ」
パイプを口の端で揺らしながら、もう奥へ顎をしゃくっている。工房は整然としていた。
ルーシェが組み直した工程管理で、工具は用途ごとに壁に並び、素材と完成品の棚が整理されていた。職人たちの作業台が奥へ連なる中、ドルク専用の炉だけが仕切りの向こうに据えられていた。新しい鋼の研究に使う、一回り大きな炉だ。
その前の作業台に、布で包まれた細長いものが一つ。ドルクが右手で布の端を掴み、歯で咥えて引いた。
慣れた手つきだった。短い杖だった。
木の柄ではない。骨のように白い芯材の周囲に、黒い金属の帯が螺旋状に巻かれている。先端に影黒曜石の結晶が嵌め込まれ、握りの部分には古代鍛冶式の術式文字が刻まれていた。
私があのノートから解読してドルクに渡した図解。あれを、この男は片腕で形にしたのだ。
「言われた通り打った。嬢ちゃんの手帳の三頁目、魔力増幅の螺旋構造ってやつだ。芯材と外殻の間に空洞を作って、魔力が通ると螺旋に沿って加速する。出口で二倍に膨れる計算だ」
私は杖を受け取って、ヴィオラに渡した。ヴィオラが杖を握り、魔力を一筋だけ通した。先端の影黒曜石が淡く光った瞬間、ヴィオラの長耳がぴくりと動いた。
ヴィオラが私に杖を返しながら、小さく頷いた。
「入力と出力の差が、尋常ではありません。使えます」
ドルクが鼻を鳴らした。
「図面通りに打っただけだ」
ドルクがもう一つ、作業台の奥から布に包んだものを出した。
掌に収まる金属の円盤。表面に同心円の溝が三重に刻まれ、溝の底に異なる色の触媒が流し込まれていた。外側から順に、赤、黒、銀。
「封印具だ。古代素材と、補給拠点で押収した触媒を三層に分けて鋳込んである。発動すると外側の赤が燃えて起動し、黒が対象の再生を阻害して、最後に銀が全体を固定する。三段階で封じる」
封印具を手に取った。指に触れた瞬間、三つの層がそれぞれ別の振動を返してきた。赤は熱く、黒は重く、銀は冷たい。
太古の素材だった。
「ただし、効果時間は短い」
ドルクが鉄鋏を作業台に置いた。
「一度発動したら、持って三分だ」
「三分」
「古代の竜だろ。知らんとでも思ったか」
息が詰まった。ドルクの目が、炉の光の中でまっすぐこちらを射ている。
「お見通しですね」
「俺に打たせた時点でバレてる。あの素材で封印具を頼む人間が、小物を相手にするわけがねえ」
ドルクが片腕で作業台の端を叩いた。
鉄板が鳴った。
「三分だ。三分で仕留めろ。封印が切れたら、再生が一気に戻る。二度目はない」
「はい」
「報酬は要らねえ」
ドルクがパイプの煙を吐いた。
「俺にしか作れねえものを一つ作る。あの時、約束したよな。嬢ちゃん」
胸が熱くなった。覚えていてくれた。
「はい」
封印具を腰の布袋に収めた。布越しでも、低い振動が腰骨に伝わっている。
杖は背の帯に差した。ドルクが右手で鉄鋏を取り直し、炉に向き直った。
その背中越しに、ヴィオラが作業台の端に並ぶ道具を見つめていた。
「古代の鍛冶神の流派と、形が似ています」
ヴィオラの声は低く、静かだった。
視線が鉄鋏の柄の曲がり方に止まっている。ドルクが肩越しに振り返った。
眉が片方だけ上がった。
「鍛冶神の流派を知ってる姉ちゃんは初めてだ。今度、嫁に会わせてやるよ。うちのも口は悪いが脚はいい」
何も答えずにヴィオラが一礼した。私も頭を下げて、裏口から路地に出た。
朝の陽光が目を刺した。路地の向こうに中層の屋根が並んでいる。
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