第138話 ミレナ
夕食の後、ガナ婆の部屋に寄った。薬草茶を届けるつもりだった。
扉を開けた瞬間、目に入ったのは、寝台の端からはみ出したガナ婆の右足だった。腫れていた。足首から先が赤黒く膨らんで、指の付け根がほとんど見えない。
「婆ちゃん、それ」
「見るんじゃないよ」
ガナ婆が毛布を引っ張って足を隠した。
動作が遅かった。杖なしでは寝台から降りられなくなっている。
「いつから」
「大したことないよ。年寄りの足なんて、こんなもんさ」
大したことある。見れば分かる。あの腫れ方は放っておいたらまずい。
治療薬は高い。
中層の薬師で買えば、一ヶ月分の薬でギルド報酬二ヶ月分が飛ぶ。
「薬は」
「もらってるよ。月に一度、教会の巡回医師がくれる分で足りてる」
足りてない。見れば分かる。
巡回医師の無償薬は気休めだ。あたしの懐には、ギルドで稼いだ報酬がある。
リーラのパーティで働くようになってから、下層の冒険者じゃ一生見ない額を手にしている。数ヶ月分の薬代は出せる。
でも、それで足りるかは分からない。
夜になって、子供達が寝静まった後、あたしは修道院の物置に戻った。元の寝床。古い藁布団。破れた毛布。
小さな窓から月明かりが差し込んで、床板の木目を白く浮かべている。
十二年、ここで眠った。毛布を肩まで引き上げて、仰向けになった。天井の梁の節を、目で追った。
あの節。左から三番目。馬の顔に見える節。
「ミレナ、あれ馬に見えない?」って言ったら、ミレナが「うさぎでしょ」って笑った。「どこが」って聞いたら「耳がある」って。
耳なんかなかった。ミレナの想像の耳だった。二人で笑って、笑い声がうるさくてガナ婆に怒られた。
「ミレナ、あたし、ちゃんと、帰ってきたよ」
小さく、声に出した。天井に向かって。
「あんたが、夢で、許してくれてるって、聞いた」
月明かりが毛布の上に白く伸びていた。梁の節が影を作って、やっぱり馬の顔だった。
ミレナがどう言おうと、あれは馬だ。
「あんたの分まで、ちゃんと、笑うから」
目尻から一筋だけ流れた涙が、毛布の布地に染みて、すぐに見えなくなった。
眠れなかった。ガナ婆の足。ダールとケヴィンを誘う黒い外套の男。銅貨三枚。
ここに残れば、子供達を守れる。ダールの襟首を掴んで引き戻して、黒い外套の男を追い払える。ガナ婆の薬も、あたしが通い続ければ何とかなる。
でも、黒い外套の男は、一人追い払っても次が来る。
結社はそういう組織だ。
末端を潰しても、組織が動き続ける限り終わらない。
結社を潰すには、リーラのところに戻るしかない。
藁布団の上で寝返りを打った。月明かりの角度が変わって、天井の馬の形をした節は見えなくなっていた。
「ミレナ、あたし、またここを離れるよ」
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