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第13話 「Fランクのトールっす!」

 ギルドの掲示板の前に、カイルが立っていた。昨日と同じ位置だった。


 剣の柄の傷を親指で撫でる癖が、朝の光の中で微かに見えた。革の胸当ての縫い直した跡が白く残っている。


 あの日の血は拭き取られていたが、糸の白さだけが残って、傷の形を覚えていた。



「早いな」


「カイルが早い」


「俺はいつもこの時間だ」



 掲示板に新しい羊皮紙が貼られていた。


 インクがまだ乾ききっていない。『森の古代祭壇魔物駆除依頼』


 依頼文を読んだ。



「先週、薬草採りに入った下層の女が二人、戻ってこない」


「三日前にきこりが一人、左腕だけが祭壇手前で見つかった」


「崩落の痕跡が確認されている、罠の可能性もある」


「Fランク以上の防御魔法師一名の帯同を必須とする」



 左腕だけ。その一語が目に刺さって離れなかった。


 ギルドマスターがカウンターの奥から声をかけてきた。



「ちょうどいい子がいる」



 奥の扉が開いた。



「Fランクのトールっす! 鍛冶屋の長男っす! シールドだけは張れるんで!」



 声がでかい。ギルド中の冒険者が振り返った。


 赤茶の髪を短く切り揃えた少年が、自分の体の半分ほどある大盾を背負って入ってきた。


 ドワーフほど背は低くはないが、肩幅は人間より明らかに広い。ハーフドワーフだ、と一目で分かった。


 革のエプロンをまだ着けたままで、鍛冶屋の煤が襟元に薄く残っている。靴底が薄くて、石畳を踏む音が硬い。


 トールの足が止まった。ノクスを見ていた。


 私の肩の上で寝ているノクスを、息を止めて見つめている。声量が半分に落ちて、語尾の力だけが倍になった。



「Aランクの、伝説の使い魔ってノクス殿!?」



 ノクスが片目だけ開けた。


 金色の瞳がトールを一瞥して、また閉じた。



「俺、ノクス殿の伝説、全部知ってるっす! 双頭の瘴気獣を一撃で倒した話も、境界通路で虫の大群を一瞬で焼いた話も」



 ノクスの耳が伏せかけた。



「全部俺じゃないんだが」



 私だけに届く声だった。



「いい加減にしてくれ、こいつ」



 トールの崇拝は止まらなかった。


 目が潤みかけている。本物の信仰だった。



「待ちなさいよ!」



 声が背後から飛んできた。茶髪のツインテールが視界の端を横切った。


 革の胸当て、腰に双短剣、ベルトに整然と並んだ投擲ナイフが八本。走る足音が消えていた。


 トールの襟首を掴む手が速かった。



「あんた、また勝手に高ランク依頼受けようとして! Fランクで森の祭壇!? 死ぬ気!?」


「死なないっす! 盾あるんで!」


「その根拠のない自信がいちばん危ないのよ!」



 トールが振り向いた拍子に、ミナのベルトの投擲ナイフのストラップが掲示板の釘に引っかかった。


 体が傾いた。トールが咄嗟に手を伸ばして支えた。


 手の位置が高すぎた。革の胸当ての真上を、手のひらが掴んでいた。


 空気が止まった。ギルド中が静まった。



「大丈夫っすか」



「ど、どこ掴んでんのよ!!」



「え?」



「離せ! 離せって言ってんの!」



「いや、離したら倒れるっす」



 拳が顎に入った。


 いい音がギルドに響いた。


 ノクスの声が耳元で囁いた。



「愛情表現だな」



「胸を掴まれて、怒鳴って殴るのが?」


「そうだ」


「新しい形態だ」



 ミナがトールの襟首を掴み直して壁際まで押した。


 それから私を見た。つま先から襟元まで一秒で測る目だった。


 指先で止まった。



「さっきの路地裏のこと、見てたのよ」



 息が止まった。背筋に冷たいものが走った。


 ミナの目が鋭くなった。



「あのスリ、凄腕だったよ。あたしでも気配読むのに三秒かかるレベル。あんた、指先一つで手首捻って倒してただでしょ。普通の冒険者には無理。目の鋭さが違う」



 呼吸を整えた。ミナの目が、すぐに緩んだ。



「でも、追求しない。あたし、人の秘密は嫌いだから」



「姐さんって呼んでいい? 決まり」



 一方的に決まった。返事を待たない勢いだった。



「あんたら、森の祭壇行くんでしょ。あたしも」



 言葉が途中で切れた。


 視線が一瞬だけ下を向いて、すぐに戻った。



「行かないけど。修道院あるし。子供たちが待ってるから」



 トールが口を開いた。



「来なくていいっす」



 ミナの顔が赤くなった。



「バ、バカ、行きたいなんて言ってないわよ! お前から言い出したくせに!」



 言い出していない。


 トールは「来なくていい」と言っただけだ。


 誰も訂正しなかった。ミナが声を落とした。


 トールの襟から手を離して、こちらに向き直った。



「姐さん、こいつ盾しか取り柄ないけど、よろしく」


「はい」



 口元が緩みかけた。妙に嬉しかった。


 誰かに「姐さん」と呼ばれたのは初めてだった。


 ミナが角を曲がって消えた。


 投擲ナイフが腰で揺れる音が、石畳に反響した。


 ノクスが耳元で呟いた。



「お前、十年で初めて女に懐かれたな」



「黙って」

お読みいただき、ありがとうございました。

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