第119話 女六人の露天風呂
数日後、トールの神経毒も抜けて自分の足で立てるようになった頃、女六人で露天風呂に向かった。山の斜面から立ち上る湯気の向こうで、空が橙から紫へ変わっていく。湯面に硫黄の匂いが薄く漂って、六人分の肩がそれぞれの位置で湯に浸かった。
シャルロットが最初に肩まで沈んだ。
「はー、何度入っても、ここの湯は飽きないわね」
ミナが隣で足を伸ばした。
「シャロ姐さん、よっぽど気に入ったのね」
フィオレも遠慮がちに湯の端の方に肩まで沈んでいた。
来た頃は「毛が湯に」「兎人族の身体は見苦しいので」と暖簾の向こうで縮こまっていたが、数日も通ううちに、観念して女衆に交じるようになった。
それでも、いつも一番端で、いつも一番先に上がる。白い兎耳が頬の横にぺたんと寝ているのが、湯気の中でも見えた。
ルーシェが端の方で肩まで浸かっていた。眼鏡を外した顔が、湯気の向こうでぼんやり浮かんでいる。裸眼だと表情が柔らかくなる。
ヴィオラが静かに湯に入った。深紅の髪が湯面に広がる。長い耳が髪の隙間から覗いている。
白い肌が湯気の中で淡く光って、何度見ても、五人の視線が一瞬止まってしまう。
エルフ族の骨格。手のひらに収まりそうな小さな顔。細い首筋。鎖骨の線。肩から腕にかけての曲線。湯気で輪郭が滲んでも、身体の線が息を呑むほど整っていた。人間の身体では、ああはならない。
シャルロットが、何度目になるか分からない呟きを湯面に落とした。
「エルフって、本当にずるいわね」
ヴィオラが薄く微笑んだ。翡翠の瞳が湯気の向こうから柔らかく細められた。
「お恥ずかしい限りにございます」
ルーシェが前のめりになった。眼鏡がないのに、学者の目になっている。
「あの、ヴィオラさんの骨格、エルフ族の文献通りに完璧で、解剖学的に」
シャルロットがルーシェの肩を押した。
「ルーシェ、湯の中で論文書くんじゃないわよ」
ルーシェが赤くなって沈んだ。鼻の下まで湯に浸かって、泡を吹いた。一同、爆笑した。
湯面が揺れて、星の代わりに月明かりが砕けた。フィオレの兎耳まで揺れていた。
笑いが落ち着いた頃、シャルロットが斜めにヴィオラを見た。
「ヴィオラ、あんた、すっごくモテるでしょ。今、誰かいるの?」
ヴィオラが翡翠の瞳を、湯気の向こうで細めた。
「私、神官ですので」
シャルロットが口の端だけで笑った。
「それ、本気で言ってる? あんたの器量で、男が放っとくわけないでしょ」
ヴィオラが指先で湯面を撫でた。
「気に入った方とは、何度か。ただ、長くは続きません。私が長く生きすぎるので」
――軽い口調なのに、目の奥に、少しだけ寂しさが滲んだ。
シャルロットが湯に肩まで沈んだ。
「あんた、男は選び放題なのに、ね」
声に、いつもの辛口がなかった。
「うちにもね、縁談の話がもう山ほど来てるのよ。隣国の伯爵家次男、王城の経理長官の長男、某商会の御曹司。父様が断りきれなくて、何人か実家で会わせるって」
ヴィオラが目を細めた。
「ご立派な方々ばかりですね」
「立派ね。完璧に。だから退屈なの」
シャルロットが湯面に指を浮かせた。
「並んでる札の中から一枚選ぶってのも、案外、寂しいのよ。本当に欲しい一枚は、その山に入ってないって、選ぶ前から分かってるから」
ヴィオラが少しだけ目を見開いて、ふっと笑った。
「私もです。山の中には、いつも入っていないんですよ」
シャルロットが、湯の中でヴィオラの方へ顔を向けた。
「あんた、いい女ね、ヴィオラ」
ヴィオラがふっと吐息を漏らした。
「シャルロット様こそ」
「シャロ、で、いいわよ」
ヴィオラの翡翠の瞳が、ほんの少し細まった。
「では、シャロ様、と」
「『様』は要らない」
「シャロ」
シャルロットが満足げに息を吐いた。
「あたしね、侯爵令嬢だから、本当に何でも話せる女友達なんて長らくいなかったの。リーラ、ミナ、フィオレ、ルーシェ。ここに来てから、ようやく増えたのよ。あんたで、五人目」
ヴィオラがゆっくりと頷いた。湯気の向こうの翡翠の瞳が、いつもより遠くを見ていた。
「私も、でございます。長く生きてまいりますと、男はいくらでも巡ってまいりますのに、女友達というものだけは、ほんの数人しか出来ませんでした。皆さま、私より先に老いて、先に逝かれて」
そこで、ヴィオラが言葉を切った。湯面に視線を落とす。
「あなた方とこうして同じ湯に浸かれていることが、私には、信じられないほど贅沢にございます」
二人が湯気の向こうで目を合わせて、同じ角度で口の端を上げた。何も言わない笑い方が、ぴたりと揃っていた。年の離れた二人の、ただの友情の合図だった。
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