第115話 「殺すのも、嫌なだけ」
「拠点ごと潰す」
カイルが肋骨を片手で押さえながら、立ち上がった。
「兵站を削るのが目的だ。倉庫の中身を運び出すのも、燃やすのも時間がかかる。一番早いのは―――」
「爆破ですね」
ガーレンが補足した。
「俺が偵察した時に、奥の倉庫で結社の火薬樽が山積みになっているのを確認しています。古代術式の触媒も含めて、引火させれば拠点ごと吹き飛びます」
シャルロットが頷いた。
「派手だけど、効率はいいわね」
カイルが頷いた。
「俺の焔穿で火薬樽に火を入れる。全員、それまでに退避だ」
「了解です」
私は頷いた。爆破には賛成だった。物資を残せば結社の再利用を許す。今夜のうちに消しておく方がいい。
押収品を布で包んで、馬車に運び出す手筈になった。ガーレンがトールを担ぎ、ミナが横で支えている。ルーシェはヴィオラの止血術式と、ガーレンがトールに使ったのと同じ解毒薬で、傷も毒も初期段階で食い止められていた。
ガーレンがルーシェの肩を支えて、低い声で何か告げているのが、私の位置からも見えた。ルーシェの耳が、ほんのり赤く色付いている。
私とシャルロットは、無言で顔を見合わせて、口を噤んだ。
ルーシェはガーレンに肩を貸されたまま、自分の足で馬車まで歩いていった。
私は退避経路を確認しに、奥の通路へ足を進めた。肩にはノクスが戻ってきている。爪が外套の縫い目を軽く踏んだ。
その時、視界に入った。
奥の兵舎に、まだ末端の兵士が二十人ほど残っていた。装備はどれも粗末で、革鎧の継ぎ目から下着が覗いている者もいる。
顔の半分は若い、おそらく傭兵として雇われたばかりの新入りや、補給係といったところだろう。
松明の光の中で、ザイラが倒れたという報が伝わったのか、武器を取る素振りすらなく、ただ怯えている。
このまま爆破に踏み切れば、全員巻き込む。
胸の奥で、何かが引っかかった。
結社を潰すのが目的だった。武器と物資を消すのが目的だった。末端の傭兵を殺すことは、目的ではない。
前世の私なら、容赦しなかったかもしれない。山脈ごと焼いた女だ。焼ける範囲のことなど考えなかった。
でも今の私は、違う。
戦闘が終わって肩に戻ってきていたノクスを、両手で抱き上げた。
「ノクス、お願い」
ノクスがあくび一つした。金色の目が薄く開いて、こちらを見た。前足が私の腕の上で一度だけ踏み直された。
指先で空間を撫でた。
古い言語が、声にならないほど小さく唇を通った。
兵舎の天井に、影が落ちた。巨大な竜の影だった。翼が壁から壁まで届いている。
赤い目が二つ、松明の光の中で燃えるように光った。咆哮が響いた。空気が震えて、兵舎の窓がガタガタと鳴った。
幻影だった。実体はない。触れれば通り抜ける。
でも目と耳と肌を打つ恐怖は、本物と区別がつかなかった。末端兵士たちが一斉に悲鳴を上げた。
「ドラゴンだ!」
「逃げろっ!」
二十人が我先にと正門、側門、裏門から走り出た。振り返った者の目に、巨大な竜が拠点を踏み潰しに来る幻が映っている。
走る速度が上がった。全員が夜の闇に消えていった。
シャルロットが横で腕を組んだ。
「あんた、優しいわね」
私は首を横に振った。
「ただ、殺すのも、嫌なだけ」
カイルが後ろから頷いた。
「全員逃げた。これでいい」
ノクスの尾が一度だけ揺れた。
カイルが最後に振り返った。倉庫群の最奥に、結社の火薬樽が山のように積まれている。
「あれが爆ぜれば、拠点は更地だ。俺がやる。お前ら、先に行け」
カイルがフレイムソードを抜いた。刃が朱に染まる。
「カイル――」
「すぐ追う。下がっていろ」
私たちは馬車のある側まで走り、安全距離を取った。
振り返ると、カイルが倉庫の奥に踏み込んでいくのが見えた。朱色の刃が、入口の暗がりに吸い込まれていく。
しばらくの沈黙。
「焔穿――」
倉庫の奥で、低い声が響いた。突きの軌跡から、焔の槍が火薬樽の山に吸い込まれた。
カイルが踵を返した。倉庫の入口まで全力で駆け抜けてくる。
轟音が来た。爆発が夜空を朱に染めた。倉庫群が崩落して、粉塵と火柱が立ち上る。
熱風がここまで届いた。頬を撫でた風が、火薬と古代術式の触媒の匂いを混ぜていた。カイルの背中が、その熱風で煽られているのが見えた。
走り込んできたカイルの顔に、橙色の光が揺れている。その背後、補給拠点があった場所には、煙と炎の柱だけが残っていた。
シャルロットが口笛を吹いた。
「派手にやったわね」
カイルが息を整えた。
「これで、教皇国の兵站は削れた」
シャルロットが双剣を鞘に戻しながら、低く呟いた。
「死人を出すと相手の結束が固くなる。物資だけ消されると、士気が落ちる。最悪の組み合わせよ、これ。マヌエルは怒り狂うわね」
ガーレンが小さく頷いた。
「諜報員の発想ですね。シャロお嬢様」
「あんたの教えよ」
港町ハイレドンの夜空に、朱色の煙が長く尾を引いていた。
その煙の向こう。酒場の二階の屋根の上で、赤い瞳がこちらを見ていた。笑っているように見えた。
煙草の先端が一つ、赤く光って、消えた。
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