第112話 血錆の刃(三)逆転
ザイラとの戦闘が膠着していた。押されている。私は前に出られない。今はノクスの加護がトールの心拍と呼吸を支えている。引き剥がせば、毒が回りきる前にトールが倒れる。
奥の方で、ルーシェの声が飛んだ。後方の木箱の陰で、まだ無傷のまま、文献を広げたルーシェが立ち上がっていた。眼鏡が倉庫の松明の光を反射して白く光っている。
「皆さんっ、待ってください!」
「あの影、古代術式の応用です! 影そのものが独立した防御膜になっているのではなく、術者の魔力が特定の波長で影に固定されている構造です!」
ザイラの目が初めて動いた。後方の女学者に、視線が走った。
「ある特定波長の魔力で振動を与えれば、一時的に固定が解けます!」
ヴィオラがトールの肩から手を離して立ち上がり、問い直した。
「波長は?」
「深紅の波長! 結界術と合わせれば増幅できます!」
ヴィオラの翡翠の瞳が一度だけ瞬いた。それだけで全部を理解した顔だった。両手を胸の前で組んだ。古代神官術の結界が組み上がっていく。
指の間から白い光が漏れて、その光が、深紅に染まった。
結界がザイラの影に触れた瞬間、影が震えた。表面に細かい亀裂が走るように、固定されていた構造が揺らいだ。防御の膜が薄くなった。
ザイラの顔から笑みが消えた。
「な――っ!?」
その隙に、全員が動いた。壁際で倒れていたシャルロットが、木箱の山に手をついて身を起こした。
太腿の傷を負った足を引きずりながら、ヴィオラの治癒に支えられて、片足で踏み込みを作る。右側面から走り込んだ。
木箱の破片を蹴り飛ばしながら、双剣に風魔法を乗せる。
疾風斬り。右の刃がザイラの右腕に食い込んだ。
影の防御が間に合わなかった。血が飛んだ。
ガーレンが暗がりから音もなく吹き矢を放った。細い針がザイラの首筋に刺さり、体が一瞬硬直して動きが鈍った。
ミナが正面に飛び出した。トールが片膝で盾を構え直して、ミナの後ろを塞いだ。毒が回り始めているはずの体で、盾だけは下ろさなかった。
ミナの双短剣がザイラの足元を低く薙いだ。ザイラの体勢が崩れた。
影が揺れて、胴体の正面に隙ができた。カイルがフレイムソードを抜き、朱に染まった刃を正面に据えて突きの構えに入った。
「焔穿」
焔の槍が七本、同時に突きの軌跡から伸びた。一人では決して作れない隙を、全員の連携がこじ開けた。ルーシェの解析が影の構造を暴き、ヴィオラの結界が防御を崩し、シャルロットが腕を斬り、ガーレンが動きを止め、ミナとトールが正面を引きつけた。
七本の焔のうち一本が、ついにザイラの胸を貫いた。血錆色の革鎧の中心に、朱色の穴が開く。
ザイラの体がゆっくりと傾いた。影の短刀が全て霧散し、倉庫の床には普通の影だけがぽつりと伸びている。
膝が折れ、石畳に崩れ落ちた。胸の穴から、血の代わりに黒い瘴気が立ち上っていく。
シャルロットが双剣を下ろしかけた。
「やった」
お読みいただき、ありがとうございました。
この物語を見届けたいと思ってくださったら、ブックマークと★で、そっと背を押していただけると嬉しいです。毎日更新しています。




