第103話 「深紅の髪は伝説級の稀色」
翌朝。
ガーレンが手帳を開いた。宿の二階、カイルが取った個室に全員が集まっている。
窓から朝の光が差し込んで、手帳の頁を白く照らしていた。
「ヴィオラ・カーレン。神聖教皇国アルシェロンの神官。犯罪歴なし」
ガーレンの声は抑揚が少ない。事実だけを並べる声だった。
「種族はエルフ族。深紅の髪は伝説級の稀色。千年に数人」
「深紅の髪のエルフには、何らかの特殊な能力があると言い伝えられています。ただし、具体的な能力の確認はとれていません」
シャルロットの眉が動いた。紅茶のカップを唇から離して、ガーレンを見た。
「つまり、噂レベルで止まってるってこと?」
「文献を当たりましたが、過去の深紅エルフが具体的にどんな力を使ったかという目撃証言・記録の確証は、どこにも残っていません。伝承だけが独り歩きしている、というのが実情です」
「気になるわね」
カイルがこちらを横目で見た。視線が一瞬だけ留まって、離れた。紅茶のカップを傾けて、何も言わなかった。
ガーレンが手帳の頁をめくった。
「年齢は人間換算で二十三歳。エルフとしてはまだ若い」
「庶民の生まれ。十歳でアルシェロンの神官学校に特待生で入学。通常十八歳卒業のところ、十四歳で卒業」
「卒業時、教授陣と教義解釈で衝突。実技試験で教授全員を打ち負かして卒業を勝ち取ったとのことです」
ガーレンの声が僅かに力を含んだ。諜報員として、事実の重さを認めている声だった。
シャルロットが口笛を鳴らした。一音だけ、低く。
「気の強い女ね」
「専門は古代神話と九使徒研究。神官学校では異端視され、保守派の教授に疎まれていた」
九使徒研究。その言葉が胸の奥に刺さった。
前世の記憶が、指先がかすめたように触れてきて、すぐに引っ込んだ。ガーレンが続けた。
「卒業後の九年間は、各地を放浪。失われた神殿の遺構・古層教義の写本・各地に散らばった九使徒の伝承を集めて回っているようです」
手帳を一度閉じて、開き直した。次の頁に、何かを書き足した跡があった。昨夜、街道沿いの拠点に伝書を飛ばして、応答が朝までに戻ってきた分だけを追記したものだろう。
「ここからは初動の照会結果なので、後で裏取りが要ります。過去数年、ノクスのパーティが活動した地域に、ヴィオラも現れた形跡があります。少なくとも目撃の重なりが三件は確認できました」
紅茶のカップを握る指先に、勝手に力が入った。シャルロットがカップをテーブルに置いた。陶器が木を叩く小さな音が、部屋に響いた。
「四年、ノクスとリーラを追っていたってこと?」
「断定はしませんが、状況証拠ではそうなっている」
カイルが口を開いた。
「結社との関係は」
「教皇国内部の結社の動きを、彼女自身が独自に追っている形跡があります。結社の手先である可能性は低い、少なくとも、表面的には」
ガーレンが手帳を閉じた。
「ただし、神官として教皇国内部にいる以上、何らかの形で結社と接点があるのは間違いない」
シャルロットが腕を組んだ。
「敵か味方か、まだ分からないわね」
「私の見立てとしては、敵ではない。動きが結社と一致しません」
カイルが短く答えた。
「だが、味方とも限らない」
「そうです」
沈黙が数秒あった。窓の外で、荷馬車の車輪が石畳を転がる音がした。
「会ってみたい」
言ってから、自分でも少し驚いた。
カイルがこちらを見ている。青みがかった灰色の瞳が、まっすぐ向いていた。
「お前が会いたいなら、俺は付き添う」
シャルロットが椅子の背にもたれた。
「私も同席するわ。三対一でヴィオラを制するにはちょうどいい」
ガーレンが深く一礼した。
「では、私が白鳥亭に面会の取り付けに参ります」
「ありがとう、ガーレン」
「お嬢様のためでしたら」
ガーレンが部屋を出た。扉が閉まる音の後に、足音がすぐに消えた。
この男も、足音を消すのが上手い。
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