表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

101/236

第101話 ヴィオラ・カーレン

 ハイレドンまでは二日の道のりだった。



 半日走った先のマルセオ。南方街道の中継宿場として古くから栄える町で陽が傾き、宿にシャルートを入れた。



 マルセオで一夜を明かした翌朝、補給を済ませるためにフィオレと薬種屋へ寄った。カイルが入口に付き添って、通りに目を配っている。



 軒先で、乾燥させたセージの束を手に取った時だった。視界の端を、深紅が横切った。



 指が止まる。セージの束を握ったまま、体だけが反応していた。


 呼吸が浅くなり、肩のノクスの爪が外套の縫い目に食い込むのが分かった。



 深紅の髪。



 人混みの中で、その色だけが異質だった。亜麻色や栗色や黒が行き交うマルセオの通りで、燃えるような深紅の長い髪が、朝の光を受けて揺れている。



 黒のローブ。襟元に金糸の刺繍。六芒星を二重円で囲む意匠。



 シャルロットが、以前説明してくれた通りだった。全部、一致する。


 隣でフィオレが店主と薬草の産地について話している。カイルは薬種屋の入口近くに立って、通りの左右に視線を配っていた。


 深紅の髪の女が、こちらに歩いてくる。耳が長い。


 尖った耳の上半分を、髪が半分覆い隠している。


 肌は白い。人間の白さとは質が違う。


 透き通るような、体温の低い白さだった。翡翠の瞳が、まっすぐこちらを見ている。


 足音がしなかった。石畳の上を歩いているはずなのに、革靴の底が地面を叩く音が聞こえない。


 女が立ち止まった。カイルとの距離は五歩。


 両手を腹の前で組み、深く、静かに頭を下げた。所作に迷いがない。


 背筋が伸びたまま、顎だけを引く。どこかで型として叩き込まれた者の礼だった。



「お初にお目にかかります」



 声は低めの女声で、余裕を含んでいた。



「ヴィオラ・カーレンと申します。神聖教皇国アルシェロンの神官にございます」



 カイルの手が剣の柄に触れた。


 指先だけが柄の端に乗っている。抜くつもりはない。


 だが、警戒の色が一段強まっていた。ヴィオラが顔を上げた。


 翡翠の瞳がカイルを捉え、次に、こちらに移った。



「ルグランドの第二王子、カイル殿下。リーラ・ヴェイン嬢。ご機嫌うるわしく」



 カイルが半歩引いて、身分を呼ばれた瞬間、顎が微かに締まった。



「何の用だ」



 声は平坦だった。だが目が動いている。


 ヴィオラの襟元の金糸刺繍、ローブの留め具、腰に何も帯びていないこと、足元の靴の汚れ具合。全部を一度に拾っている。


 以前シャルロットから聞いていた「深紅の髪のアルシェロン神官、ヴィオラ・カーレン」と、特徴が一致する。


 カイルもそれを思い出したのか、剣の柄に触れた指先が一段引き締まった。私もカイルも、詳しい経歴まではまだ知らなかった。


 ヴィオラが顎だけを引いた。



「結社。教皇国の内部に巣食う、あの組織のことにございます」



 空気が変わった。



 「結社」のことだ。



 カイルの指が柄の上で位置を変えた。親指が鍔の縁にかかった。


 ヴィオラは動じなかった。表情も姿勢も変えず、落ち着いた声を維持している。



「私はこの四年、神官として教皇国内部から結社の動きを追ってまいりました。最近、お二方のご活動と、結社の動きが、重なる場面が増えていると感じております」



 肩のノクスの尾が、外套の背中で一度だけ揺れた。


 瞳孔が縦に細く絞られて、ヴィオラの背中を追っている。ヴィオラが続けた。



「殿下、私の身分・出自・神官学校の記録、すべてお調べいただいて結構にございます。お疑いを晴らした後、お時間を頂戴できれば、と存じます」



「私はこの街の白鳥亭に滞在しております。お声掛けくださる際は、いつでも」



 カイルが数秒、黙った。ヴィオラの目を見ている。


 嘘を探す目ではなかった。相手の覚悟を量る目だった。



「話は、改めて聞く。後で連絡を入れる」



 ヴィオラの口元が、ほんの僅かだけ緩んだ。安堵ではない。


 受理された、という確認だった。



「ご賢慮、感謝申し上げます」



 三度目の一礼の後、ヴィオラが身を翻した。深紅の髪が朝の光を受けて揺れ、黒いローブの裾が石畳を擦る音すらしないまま、人混みに向かって歩き始めた。


 ちょうどその時だった。通りの反対側から、シャルロットとミナとトールが合流すべく歩いてきた。


 ヴィオラがちょうど三人と擦れ違う形になる。トールが顔を上げた。


 正面から、深紅の髪のエルフとすれ違う。一瞬の沈黙の後、トールの膝が崩れた。


 後ろにストンと尻もちをついて、石畳の上で目を見開いた。



「ひっ、あ、あ、あの」



 指が震えながらヴィオラの背中を指した。



「あ、あの、街道の、女幽霊っす! 幽霊っすよっ! あの時の!」



 ミナがトールの袖を掴んだ。



「ちょっと待って、あの時の、嘘、本物?」


「だって、距離五歩で消えたんすよ!? 目の前で!」


「消えたっていうか、溶けたんすよ! その場で、すうっと!」



 ヴィオラが足を止めた。振り返り、口元を僅かに緩めて、トールに静かに頭を下げた。



「ふふ。次にお会いする時は、お気付きにならないように、いたしますね」



「ひぃっ」



 トールとミナが抱き合って腰を抜かした。


 石畳に座り込んでいる。ヴィオラはそのまま歩き去った。


 人混みの隙間に深紅の髪が沈んで、三秒で消えた。靴底が石畳を叩く音すら、こちらまで届かなかった。


 トールが呆然と座り込んだまま、消えた方角を見つめていた。



「また、消えたっす」


「あれ、本当に幽霊?」



 ミナもまだ座り込んだままだった。



「っすよね!? やっぱ幽霊っすよね!?」



 シャルロットがトールとミナの襟首を掴んで立たせた。



「リーラ、こいつら漫才始めないように、宿に連れ帰るわよ」


お読みいただき、ありがとうございました。

この物語を見届けたいと思ってくださったら、ブックマークと★で、そっと背を押していただけると嬉しいです。毎日更新しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ