価値 「フラスコと滝」
かち 「シズルの値打ち。鬼畜のフラスコとナイアガラ」
ミゲスはここ最近の魔導士界隈で流れる噂に戸惑いを隠せなかった。
彼の信奉する番号持ち『一番目』が、王城で『二番目』と一戦交え敗退したというのだ。しかも連れていた配下の魔導士の数名も、二番目と一緒にいた護衛官に素手で倒されたという。
素手の護衛官とはあの忌々しい異世界人の女、シズルの事だとミゲスには直ぐに理解った。彼もシズルの拳の洗礼を受けていたからだ。
その愚痴を城の『五番目』に溢したのがきっかけで、ペンテからヘイスにシズルの話が伝わり、そのことに興味を持ったヘイスから、彼女の動向を知らせるようにと直々に声がかけられた。
ヘイスと繋がりができたことで飛び上がらんばかりに喜んだミゲスは、それ以来ずっとヘイスに辺境のことを報告してきたのだ。
だがずっとヘイスを信奉し、いくら彼に媚を売っても一向に城に取り立ててもらえる気配がない。
ミゲスは次第に、遠い城にいるヘイスよりも近くにいるデュオに繋ぎを取った方が早いのではないかと考えるようになっていた。
だが貴族嫌い・魔導士嫌いで、魔導士同士の喧嘩では負け知らずのデュオに近付くのは恐ろしい。
そこでミゲスはまず、ジークハルトいうところの『将の馬』を射止めることに決めたのだった。
ところが肝心のシズルになかなか近付けない。
今までも頻繁にシズルに纏わりついていたデュオだったが、結婚後同じ部屋で寝起きするようになってからは殆どシズルの側を離れない。
だがあれだけ骨抜きになっていれば、シズルが頼めばどんな事でも二つ返事で引き受けそうなのは好都合だった。
ミゲスは益々シズルとどうにかして話をつけられないかと考えるようになった。
そして使用人棟の前で、暫く振りに言葉を交わしたシズルは相変わらず口の減らない嫌な女だった。
ちょっとしたひと言に過敏に反応したシズルに威嚇され怯んだが、それでもこのチャンスを逃すまいとミゲスは彼女に喰らいついた。
魔導士は個人主義で己の欲望に忠実だ。
子供のように無邪気な残酷さを発揮することもあれば、損得勘定に敏感な計算高い大人のような行動をとることもある。
ミゲスはしっかり『自分の』損得を考えた上でシズルに話し始めた。
「自分は本来、辺境で燻っているような魔導士ではないのだ」
王城に上がる為にそれなりに努力はしているが、出仕への近道として高位魔導士の『番号持ち』と繋がりを持ちたいと思っている。幸いにも今ここには番号持ち『二番目』がいる。
だがデュオは魔力は強いかもしれないが平民で、城に上がる為とはいえ、貴族が平民に頭を垂れるなど有り得ない。
平民だがデュオが魔導士0と仲が良いのは事実だ。
彼と仲良くできれば、もしかするとミゼンに引き合わせてもらえるかもしれない、という微かな希望を抱いたりもしている。
貴族嫌いのデュオは数多の貴族令嬢の求婚を蹴って、何の後ろ盾もない貧相な混ざりものの異世界人を妻に娶った。
貧相で野蛮な異世界人だが、シズルはミゼンのお気に入りでもあるということがわかった。
よくよく考えてみれば、国王の義弟で辺境伯のジークハルトは、雇い主という立場をとってはいるがシズルの実質的な庇護者だ。
その上魔導士0のお気に入りで番号持ち『二番目』の妻ともなれば、シズル本人はただの平民だが、権力の中心にいるようなものだ。
それは王城に保管されている婚姻証明証の署名のメンバーを見れば一目瞭然だし、ここ数日の貴族からシズルへの大量の贈り物がそれを裏付けている。
シズルは間接的だが権力者なのだ。
──という事を臆面もなく滔々と語るミゲスにシズルは呆れ返った。
「・・・つまり?」
「物分かりが悪いな。君に骨抜きになってるデュオを上手く言いくるめて、僕が王城に出仕出来るようにして欲しいんだよ。出来るだろ?」
どうやらそれがミゲスのいうシズルの『権力』で『価値』らしい。
「出来るも何も、それで私に何の得があるんです? しかもそんな赤裸々にぶっちゃけて、魔導士は婉曲表現を使うと死ぬんですか? いやもう死んでいいですよ。そもそも私があなたにほいほい手を貸すと本気で思ってるんですか? 馬鹿ですか馬鹿なんですね」
「デュオが駄目ならミゼン様でも構わないぞ。寧ろその方がいいかもしれないな」
「はあっ?!」
「どうせミゼン様も誑かし」
いい加減我慢の限界にきたシズルは、無表情のまま一歩踏み出すと『権力』の代わりに『拳』を使った。
「がっいっ・・・!」
今回は正拳突きでなく右フックを顎に喰らったミゲスは、奇妙な声をあげ殴られた勢いのまま横倒しに地面に倒れこんだ。
前ほどのダメージはなかったのかすぐに半身を起こしたが、それでも口からだらだら血を流しながらシズルに食ってかかった。
「にゃ、にゃにをふる」
「悪趣味ですよデュオ」
自分を通り越したシズルの視線に、ぎょっとしたミゲスが後ろを振り仰いだ。
いつから居たのか全く気がつかなかったが、倒れこんだミゲスの側にデュオが立っていたのだ。どうやら隠遁の術でも使っていたのだろう、ふたりの様子を窺っていたようだった。
「なんか面白えことほざいてたなこいつ。ミゼンが何だって?」
「いつから見てたんですか? まあ事情がわかってるんなら話は早いです。こちらミゲスさんといいまして、『二番目』の後ろ盾でお城への出仕をお望みのようですよ。平民のデュオに頭を下げるのが死んでも嫌だそうで、私に上手く話しをして欲しいんですって」
「なっ・・・」
ミゲス同様シズルも包み隠さずぶっちゃけた。だがミゲスは『死んでも嫌だ』とは言っていない。
そのことを聞いたデュオは、怒りを表すでなく無表情で彼を見下ろしているが、どう見ても上機嫌とは言い難い。
それだけで恐ろしくミゲスはその場から動けずにいた。
それなのにシズルが更に火に油を注ぐような発言をした。
「それでですね、デュオが駄目なら私が誑かしてるらしいミゼンさんに頼め、とまあそういうことですよねミゲスさん。私ジークハルト様も誑かしてるみたいだし、デュオの奥さんは片っ端から男を喰う相当な悪女みたいですよ」
「・・・へえ」
凄いですねー、とシズルが笑顔で呑気にデュオに話しかけている。
デュオの表情に変化はない、がミゲスはそれどころではない。彼を見下ろしているデュオからの冷気が半端ないのだ。
「おい」
デュオがミゲスに声をかけた。
「俺の嫁を侮辱するってえのはつまり、俺に喧嘩売ってんだな?」
「・・・ちがっ」
「そうか分かった、受けて立つぜ。俺は仮にも『番号持ち』だ。売られた喧嘩から逃げるわけにはいかねえ」
「そん」
「だが、そうだなハンデをやろう。俺は攻撃魔法は使わねえ。お前は何でも好きに使って構わねえぜ」
「え?」
「五分やろう。それで一撃でも俺に当てられれば、王城に出仕出来るように取り計らってやる」
デュオは笑顔でそう言った。
攻撃魔法を使わない? その上でこちらは術の使い放題?
これはもう出仕を確約されたも同然ではないか。
おそらくデュオは女の言いなりになるのを恥じて、このような手段を取ったのだろう。所詮は平民。貴族の自分の願いを叶えるのは至極当然とも言える。
なんだこんなに簡単な事だったのかとミゲスは拍子抜けしてしまった。
「五分だな? 本当に攻撃はしないんだな?」
「男に二言はねえ」
ほくそ笑んでいるミゲスを見ながら、やっぱりこの男は馬鹿だとシズルは溜息を吐いた。
急遽鍛錬場を使った『魔術試験』が始まった。
邸内での私闘は禁じられているので、ヒラ魔導士のミゲスが番号持ちの二番目に『魔術を披露する』という体裁を取っているのだ。
ミゲスには不幸なことだが、幸いなことに兵団の良心アディスは不在だ。その為、この度の魔術師同士の『喧嘩』に興味津々の兵士たちは心置きなく観戦することができる。
だがシズルは既に結果が分かる勝負に興味はなかった。五分どころかミゲスが術を発動した時点で勝負は終了する。
「・・・公開処刑とか悪趣味ですよ」
シズルはデュオにこっそり話しかけた。
「処刑じゃねえよ。俺は攻撃しないんだからな。ただシズルを散々辱めたのは許せねえ。九割くらいは死んでもらう」
「よく言いますねそういうのを詭弁って言うんですよ。それに九割じゃあそれ殆ど死んでるじゃないですか。というか私が治しちゃいますけどね」
「心の傷まで治せるか?」
デュオが意地悪くにやりと笑う。
「それは無理」
シズルが肩を竦めるていると、少し離れたところで準備を整えていたミゲスから声がかかった。
「攻撃はなしだぞ!」
「しつけえぞ!」
デュオがそう叫んだ途端、シズルがその場から離れるのを待たずにミゲスが詠唱に入った。どうやらついでにシズルへの仕返しも目論んでいるようだ。
思わずシズルが抗議の声をあげた。
「あ、このっ」
「問題ない。それよりあいつ詠唱しないと術が使えないのか?」
「最初の時もそうでしたよ? 進歩がないんですねぇ」
「やれやれ。カリプシ・メ・キャリバ・アンティデラシィス・メサ」
ミゲスが長々とした詠唱を終えやっと魔法陣を構築し、それが作動し始めたところで、デュオがイタゲニス戦士のサットムンに使ったのと同じ『鬼畜の鉄製フラスコ』をかぱりと被せた。
ミゲスの魔法陣から炎の塊が現れ放たれた途端、フラスコ内部が火の海になった。それでも暫くはローブの銀糸刺繍の防御で防げていたようだったが、やがて刺繍が消え去りローブ本体に火がついた。
パニックに陥ったミゲスはフラスコ内部から逃れようと動き回って、その度に内部に施されている『反作用』の力で、彼自身がピンボールの玉のように右に左に跳ね返されている。
「五分経ったな」
そう言ってデュオが解除を唱えるとフラスコが消え、未だローブに火がついたままのミゲスがその場で転がり始めた。
「えーっと、ナイアガラ!」
シズルがそう叫ぶとミゲスの上に大量の水が落ちてきた。重量のある水はミゲスの火を消しただけでなく、地面を抉るほどの勢いがあった。
水は洪水のように鍛錬場全体に広がって、辺りが一瞬で泥濘に変わってしまった。
「火を消すにしては多すぎだシズル。何だよ『ナイアガラ』って」
「有名な滝ですよ。沢山の水をざばーっと流すっていったら滝でしょ?」
「滝・・・」
水の勢いに潰された形になったミゲスは、泥濘になった地面に半ばめり込み、デュオ曰くの白い羽虫は泥団子のようになっていた。
果たしてミゲスに心的外傷を植え付けたのは、デュオの『鬼畜のフラスコ』かシズルの『ナイアガラ』か、彼本人に聞いてみないと分からない。




