詠唱 「団栗と乾燥」
えい−しょう 「団栗と乾燥と頭のネジ」
シズルとデュオは泥濘みの中、シズルの放った『ナイアガラ』の水圧で押し潰され、地面にめり込んでるミゲスに近づいていった。
豪華な絹のローブは黒く焼け焦げ、辺りは髪の毛を燃やしたような匂いがしている。
焼けて水浸しで、おまけに泥に埋まってミゲスは酷い有様だったが、デュオの雷撃を受け、身体全体が焼け焦げていたサットムンの時ほど重症ではないようだった。
しかし『戦士』よりは明らかに体力の劣る貧弱な魔導士は、デュオの宣言通り九割がたは死んでいるようだった。
要するに瀕死状態である。
だが九割死亡の内の何割かは、『大量の水で押しつぶされた所為』でもありそうで、シズルはしゃがみこんでミゲスの様子を確認していた。
「本当に治療すんのか? 魔導士同士の『喧嘩』なのは本人も周囲も了承済みだし、シズルがやらなくてもアフセンに任せてほっといてもいいんだぜ?」
本音を言えばシズルは治療などしたくなかった。
シズルは聖人君子ではないし、勿論『聖女』でもない。
散々自分を貶め、都合よく利用しようとしたむかつくミゲスに対しては、むしろ「ざまあみろ」と思っているくらいで、多分このまま放置して十割死んでもシズルはなんとも思わないだろう。
だがそうは言うものの、今のこの状態を見れば彼は充分罰を受けたと言えなくもない。死んでもなんとも思わないが、果たして死に値するほどの罪かと言えばそうでもない気もするのだ。
それにミゲスもフロトポロスの領民で、シズルと同じくジークハルトの雇い人でもある。一括りにされるのも業腹だが、ふたりは同じ立場の同僚だった。
「・・・うーん」
様々な思いが交錯したが、最終的に面倒くさくなったシズルは考えるのを止め、ミゲスに手を当てた。
そして溜息を吐いた後で息を吸い込み口を開いた。
どんぐりころころどんぶりこ
お池にはまってさあ大変
シズルが異能を行使する時に唱える呪文の類は、もともと『なんちゃって呪文』の為、長い詠唱の場合も詠唱に聞こえるような『旋律を持つ言葉』であれば、賛美歌だろうが演歌だろうが関係なく、何でもいいのだ。
「団栗?」
いきなり治療とは全く関係のない単語が飛び出し、デュオが怪訝な顔をしている。
シズルは前回の『ブラームスの子守唄』の代わりにこの童謡を選んだ。
何となく思い浮かんだだけで特に意味はなかったが、ミゲスの今の状態が微妙に歌詞と合っているような気がしていた。ミゲスにどんぐりの様な可愛らしさは微塵もないが、水浸しなのは池に嵌ったのと同じようなものだ。
シズルは自分の選曲に満足し続きを歌った。
魔物が出てきてさようなら
君とは二度と遊びません
後半はシズルの今の気持ちを反映させた『替え歌』だ。
できれば替え歌の通り、このまま本当に二度と顔を合わせないで済むように願った。
シズルが一番を歌い終えたところで、ミゲスがパチリと目を開けた。
瀕死の兵士たちに施した時ほど一生懸命でなかったせいで、治療に失敗するかと思われたが、きちんと異能は仕事をしてくれたようでシズルはほっとした。
ミゲスは蹲った状態から顔だけをシズルの方に向けると、何故か「ぎゃあ!」と叫んで飛び起きた。動いた拍子に焼けたローブがぼろぼろ身体から落ちていくが、そんな事は御構いなしだった。
ミゲスは泥濘みに足を取られながら、鍛錬場から一目散に逃げ去っていった。
「・・・何ですかアレ」
治療を施したというのに、悲鳴をあげられ逃げられたシズルは憮然としている。そこに野次馬の領兵たちがわらわら集まってきた。
「助け損だな」
デュオがやれやれとミゲスが逃げ去った方向を眺めている。
「む。そうですけど、あの人は脳内で自分の都合よく記憶を改竄するのが得意技なんですよ。あのまま放って置いたら自爆なのに、デュオに約束破られて攻撃されたって吹聴されるじゃないですか」
「構わねえよ。そうなったら今度こそ息の根を止めるからいい」
「うわぁ・・・」
「それより今の気の抜けたのが『例の』詠唱か?」
アディスが『素晴らしい』と絶賛してたこともあり、是非とも聴いてみたいと思っていたデュオだったが、想像していたものと随分違っていた。
確かに普段のシズルからは想像もできないような美しい声だったが、歌詞の内容がとても治癒の術に相応しいとは思えなかったのだ。
デュオががっかりしていると、側にいたコニスが口を開いた。
「いや、前のと違う詠唱だったぞ。あの時の詠唱が聴けると思ったのに」
「あれ良かったよな、綺麗な詠唱で」
「俺も。もう一度聴けると思って期待してたのに」
以前医務室で重症の兵士たちを治療した時にその場に居たコニスたちが、口々に俺も俺もと言い始めた。
「なんだよ違うのか?」
聴きたいと思っていたシズルの『歌』が違っていたことに、デュオは不満そうだった。
「あれはとっておきの『詠唱』です。おいそれとは唱えません。『どんぐりころころ』も可愛くていいでしょう?」
「魔物が出てくるのにか?」
「後半は私の心情が現れた改変です。何にしても今日はもう外出どころの騒ぎじゃありませんね」
濡れて泥だらけになっているズボンや靴を見下ろして、シズルが他人事のように言った。
鍛錬場の泥濘みによる被害は、シズルやデュオだけでなく、勿論その場にいた全員に及んでおり、皆足下は泥だらけだった。
魔導士同士《デュオ対ミゲス》の派手な『喧嘩』を楽しもうとしていた脳筋集団たちは、喧嘩とも言えないミゲスの自爆で、落胆と共に三々五々その場から離れていった。
「はっ! ヤバイです!!」
領兵たちが立ち去った後、沢山の足跡が残る、泥濘んだ鍛錬場の有様を見たシズルが突然叫んだ。
「『ナイアガラ』の水のせいで鍛錬場がエラいことになってます。このままじゃジークハルト様の説教のフルコースです!! 早急に証拠隠滅を計らねばマズい」
証拠隠滅も何も、山の様に目撃者がいるのだが、そんな事は御構い無しにシズルはただ目の前の惨状をどうにかしなければと、そのことで頭が一杯になっていた。
「デュオ!」
丁度ここにそういう事が出来そうな適任者がいるではないか、と気付いたシズルはデュオの腕を掴んだ。
「早急にこの泥濘みをなんとかしてください。ほれ、なんかこうパパッと乾かす呪文とかあるでしょう?」
シズルが咄嗟に思い浮かべたのが、寒村のエウシカへ向かう途中でジークハルトが見せた『人間乾燥機』だった。
勿論シズルが勝手につけた名前だが、びしょ濡れになった彼女を一瞬で乾かした術だ。
シズルが身振り手振りで説明すると、デュオは呆れたように言った。
「そりゃ洗濯婦が使う『乾燥』だ。確かに身体髪膚以外に効果がある術だが、地べたを乾かすのになんか使わねえよ。大体地面なんかほっときゃ乾くだろ」
乾燥は文字通り熱を使わず『物質』の水分を奪う術だ。多大な魔力消費で攻撃に転嫁できる危険な術でもあるが、普通に使う分には生物には反応しない、お手軽な生活魔法のひとつだ。
「可愛い奥さんが大男に折檻されてもいいんですか?」
「可愛い奥さんは普通、ヤバイとか証拠隠滅とか口走らねえよ」
そう言って溜息を吐いたデュオをまるっと無視して、シズルは己の保身に走る事に専念している。
「なんですよう、こんな簡単なお強請りも聞いてくれないんですか? 渋ちんですね。いいですよ自力でなんとかします」
シズルはそう言って腕組みをして何やら考え始めた。
お強請りの方向が明後日なのをツッコむべきなのか、とデュオが逡巡しているうちに遠くから声がかかった。
「おおい、ふたりともジークが呼んでるぞー」
シルベスタだった。
シルベスタは泥濘みを避けて、鍛錬場の端からデュオに話しかけた。
「デュオ、喧嘩したんだって?」
「喧嘩じゃねえぜ『魔術実験』だ。証人は山ほどいるぞ」
シルベスタは面白そうに言ったがデュオは即座に否定した。
邸での私闘が禁止されている為だが、元々魔導士同士の闘争は不可侵領域な事柄で、貴族といえどよっぽどの事がない限りは見て見ぬ振りをする事柄だ。
デュオはジークハルトの顔を立てて、邸の決まりごとを守っているに過ぎない。
だが悲鳴をあげて逃げ去ったミゲスは、領主に『告げ口』するためそのままの格好で突撃したらしい。
いきなり執務室に飛び込んできた泥だらけのミゲスは、ローブの燃え滓を撒き散らしながら一方的に捲し立たようで、その相手をしたジークハルトがカンカンになっているらしい。
「ミゲスは早々に退出させたけど、執務室が泥だらけになってジークの機嫌が悪い」
「・・・ええーっ? 執務室を汚したのは私たちの責任じゃないですよ。ねえ?」
「ほらな。やっぱりあのままほっときゃ良かったんだよ」
シズルとデュオは顔を見合わせた。
ミゲスの轍を踏まない為にはまず、この状態をなんとかしなければ。
というか常識的に考えても、泥だらけのままで本邸に入るのは憚られる。その為ふたりは井戸を経由して執務室へ向かう事にした。
「ルファ・ステグノステ」
簡単に泥を洗い流した後、デュオが『乾燥』を使った。
足元にふわりと風が吹き抜けると、ズボンも靴もあっさりと乾いてしまった。それを確認したシズルは往生際悪く、鍛錬場の方向を見ている。
デュオは苦笑した。
「一緒に怒られてやるからそんな顔すんな」
「大丈夫ですよ。もうミゲスさんに責任転嫁する事に決めましたから。鍛錬場がああなったのは人助けの為の二次的被害です」
確かに消火の為に水を使ったのには違いない。その質量が問題なのだ。
だが考える事が面倒くさくなったシズルは、根本原因のミゲスに全てを丸投げする事に決めたようだ。
「それよりシル、ミゲスさんはジークハルト様に一体何を言ったんですか?」
「それがなあ、とにかく興奮していて色々捲し立ててたが、最終的に『高価な絹のローブを弁償しろ』と、よりにもよってジークに詰め寄ったんだ。公務が立て込んで苛々していたジークがそれでキレた」
領主に食ってかかるなんてとても正気の沙汰とは思えないよ、とシルベスタが溜息を吐いている。
「・・・水圧で頭のネジが飛んじゃったんですかね」
「元からじゃねえの? 俺と喧嘩する気になるって時点でまともじゃねえ」
ミゲスの頭の話はさて置いて、今から機嫌が最悪なジークハルトと対面しなくてはならない事の方が大問題だった。




