伏草 「チョコレートとハエ男」【挿絵あり】
シズルを怒らせた猪も無事食用の肉の塊になり、ガストロたち料理人に任せることができひと安心できた。彼らは切り離された猪頭も一緒に持ち去ったが、シズルはその生々しい部位が、珍味として食堂メニューに追加されないことを祈るばかりだった。
その場に残された皮を眺めながら、シズルは念のため猪の贈り主を出来立てほやほやの『心のブラックリスト』に載せておく。
残った皮はなんと革製品にできるそうで、デュオはそれをいつものようにカード様に圧縮し、それをそのまま小物入れに仕舞おうとした。
「ちょっと待ったぁ!!」
咄嗟にデュオの手をがしっと掴んでシズルがそれを止めた。
「いつもその小物入れになんでもかんでも突っ込んでますけど、一体どんなものがどれだけ入ってるんです? というかそこから時々私の『おやつ』を出したりしてますよね。工具類と一緒なのもどうかと思いますけど、猪の生皮と同居したようなおやつは嫌ですよ?」
猪皮の圧縮カードは焦げ茶色をしてはいるが硬質で、生皮っぽい感じは微塵もなかった。しかし所謂『味噌糞』というやつで、いくら食いしん坊なシズルでもそれはちょっと勘弁してもらいたいと思ったのだ。
シズルの制止に遭ってデュオは『猪カード』の収納は思い止まったようだ。
「別に臭いが移ったりはしねえぞ。じゃあこいつは早めに職人の所へ持っていくか。どうする一緒に行くか?」
「ええ。でも女中さんたちにお菓子をお裾分けする約束をしてるんです。それを先に済ませていいですか」
「わかった、じゃあ俺はガストロのとこへ行って牙を回収してくる」
デュオは一歩踏み出しシズルに軽くキスをした。
元・好色漢のデュオは、所構わず平気でキスを仕掛けてくる。
今までの禁欲生活の弊害か、最近はやたらとこういうことが多いのだが、そういう習慣のない大和民族のシズルは毎回妙な反応をしてしまう。
そんなシズルの反応を面白がっているデュオは顔を覗き込んでにやりと笑った。
「護り石程じゃないがお守りでアレを好む平民も多いんだ」
「・・・さいですか」
今回もそんなシズルの反応を確かめ満足したのか、デュオは『猪カード』をひらひらさせながらガストロのところへ向かった。
むうっと顰めっ面でそれを見送り一旦部屋に戻ったシズルは、ひとりでは消費しきれない各地の銘菓を持って使用人棟へ向かっていった。
シズルが平民が滅多にお目にかかれない貴族御用達の銘菓の数々を持ち込むと、使用人たち──特に若い女中たちは飛び上がって喜んだ。
タルトなどの焼き菓子はどこにでもあるが、綺麗な色のマカロンや、中にフルーツピューレが入ったボンボンキャンデーなどは高級品で、市井にはあまり出回っていないからだ。女性陣は透明な瓶に入った色とりどりのそれに釘付けだ。
この世界は男性も甘いもの好きな者が多く、女性陣の勢いに押されながらもあれこれ品定めしながらお菓子の品評会が始まった。
しかし豪華な布張りの箱に入ったチョコレートを見ると、全員の手が止まってしまった。彼女たちは目を丸くし、本当に貰っていいのかと口々にシズルに確認をしてきた。
「あのシズル様、これはおふたりの為のものだと思いますけど」
そう言って何やら恥ずかしそうに説明をしてくれた。
シズルにとっては別段珍しくもなんともない菓子だが、この世界ではどうやら『夜の媚薬』扱いの代物らしい。
チョコレート自体に媚薬としての効果はないが、そんなものを結婚祝いとして嬉々として送ってくる貴族の思考が透けて見えたシズルはうんざりした。
そもそも今でさえアレなアレをこれ以上どうしろというのか。
笑顔を引攣らせ「私はいいので皆さんで遠慮なくどうぞ」とシズルが言うと、女中たちはきゃあきゃあ騒ぎ出した。
終いには「こんな素敵な物が手に入れられるのなら何度でも結婚してください!」となんとも返答に困る事を言われてしまったが、シズルは嬉しそうな彼女たちに癒され気分良く使用人棟を後にした。
「おい」
・・・はずだったが、使用人棟を出たところでシズルはいきなり声をかけられた。
特徴のないのっぺりした顔の細身の彼は、どうやらそこでシズルを待ち構えていたようだ。細やかな銀糸刺繍の高価そうな白いローブと、やたら上から目線なその態度は初対面の時と同じだった。
どう考えても面倒ごとの予感しかしないシズルは、聞こえなかったふりをしてその場を離れようとした。
「おいっ! お前!」
が、やはり行かせてはもらえないようだった。
「・・・えーっと。どちら様でしたっけ?」
目の前で偉そうに踏ん反り返っている魔導士はミゲスという。
予てからジークハルトの頭痛の種になっている人物でもあり、辺境に来たばかりの頃彼にセクハラを受けたシズルが、顔面に正拳突きを喰らわせ踏みつけた男でもあった。
ミゲスは先代のフロトポロス伯と付き合いのあった子爵家の出身で、ジークハルト自身も新米領主だった頃に世話になった人物の身内でもあった。彼は謂わば縁故採用で、つまり『大人の事情』とはそういうことだった。
その為かどうかはたまた本人の資質か、彼は魔導士であっても未だに貴族の身分を表に出すことが多い人物だった。
正式に名乗りを受けたわけではないが、女中たちやガストロなど邸の使用人たちにはすこぶる評判が悪いので、シズルも名前だけは覚えている。が、シズルは敢えてすっとぼけて知らないふりをしたのだ。
シズルが未だに自分の名前を覚えていない事にミゲスはむっとしたようだ。
「相変わらず失礼だな。どうしてこんな野蛮な混ざりものの異世界人を気になさるのか、ヘイス様のお考えはさっぱりわからない」
ヘイスの名前が飛び出したことで、シズルは自分の予感が正しかったことを確信した。
辺境から遠く離れた王都住まいの『一番目』様が、シズルのことについてやけに詳しかったのは、どうやらこのミゲスのせいらしい。
この世界に個人情報保護の概念がないのは今更だったが、あんな悪趣味の嫌味なおっさんに、乙女のあれやこれやをぺらぺら喋られるのは阻止したい、とシズルは思っていた。
特に『聖女』というキーワードに引っかかりそうな、治癒の力を手に入れた今となってはなおさらだった。
今やヘイスはデュオの天敵というだけではなく、シズルの天敵でもあったのだ。
「失礼なのはお互い様でしょう?」
「ふん。貴族のジークハルト様に捨てられた分際で偉そうに。まあデュオとなら、下賎なもの同士お似合いでいいさ」
「は?! 捨てっ?! 何故そうなるんですか、頭大丈夫ですか?!」
からだを使ってジークハルトを誑かし庇護を受けた女。
ミゲスは初対面の時シズルにそう言ったが、その考えを今でも変えていなかったようだ。
的外れもいいところだが、彼はそのセクハラ発言でシズルに制裁を加えられたという事実を忘れているようだった。しかもミゲスはその時、貴重な蔵書もある図書館で、後先考えず火炎の魔法をぶっ放した愚か者でもある。
愚か者の記憶力や思考回路はどうなっているのか、シズルにはさっぱり理解できなかった。
「よかったじゃないか。ジークハルト様には駄目でも、平民のデュオには『通用した』んだろう? 上手くいって『番号持ち』の細君に収まってるじゃないか」
普段は『高貴な貴族』で御座いと踏ん反り返っているが、ミゲスのあまりにも下衆い発言の数々にさっきのチョコレートの件を思い出し、デュオではないがシズルも貴族嫌いになりそうだった。
「何が通用したか、とはもう聞きませんよ。用がないなら失礼します」
「用があるから声をかけたんじゃないか。そうじゃなければ誰がお前のような」
「私のような?」
シズルが拳をぎゅううと握り締めにっこり笑うとミゲスは慄いて後退さった。
「ま、待て。君に頼みがある」
「あなたみたいな人の頼み事なんてお断りです。他を当たってください」
「君じゃなきゃできないことだ。もしかして自分の『価値』に気が付いていないのか?」
「・・・貶めたいのか持ち上げたいのかどっちなんです? さっきと言ってることが真逆になってますけど」
散々『こんな』だの『あんな』だの貶めておいて、今更何を言い出したのかとシズルは呆れ返った。
ミゲスは自分勝手な魔導士らしく、シズルそっちのけで自分語りを始めてしまった。




