空の配給、地の饗宴
泥に汚れた高瀬の手から奪った器で、青白い異形の源を美味そうに舐めとる榊。その狂気じみた横顔に高瀬が戦慄して言葉を失っていた、その時だった。
「おい。お前、いや……榊、といいましたっけ。自分は佐藤って言います。彼は龍崎。こっちは冴子さん……立花、立花冴子さん」
先ほどまで高瀬を嘲笑っていた三人のうち、自然と彼らの中央に立つ男が、横に立つ若い男と女を順に顎でしゃくりながら名乗った。女を紹介する際、わずかに言い淀んで取り繕うようにフルネームを言い直したその微細な隙を、榊の目が逃すはずもなかった。
地べたに座り込んだまま、高瀬は息を呑んで三人の姿を見据えた。
中央に立つ佐藤は、こんな泥と血の臭いが立ち込める狂った世界には似つかわしくない、若き青年実業家のような理知的な顔立ちをしていた。
その隣で露骨に敵意を向けている龍崎という男は、対照的に、剥き出しの粗暴さを一切隠そうともしない風貌だ。浅黒く日焼けした肌にドレッドヘア。服の上からでもわかる厚い胸板と、野犬のような好戦的な威圧感が全身からひしひしと伝わってくる。
そして、一歩引いた位置で静かに高瀬たちを観察している立花冴子。三十六歳の高瀬から見れば、おそらく一回りほど年上だろう。決して華やかな美人というわけではないが、口元にあるホクロと、どこか気怠げで冷ややかな眼差しが、この場所においてひどく場違いな妖艶さを漂わせていた。彼らは完全に、この異常な世界に「適応」して生き延びている顔をしていた。
榊は顔を向けず、ただ眼球だけをゆっくりと横へ滑らせて佐藤を捉えた。
榊は即座には答えなかった。温度の一切消えた鋭利な瞳で佐藤を射抜いたまま、手に持った不格好な器の縁を、白い指先で静かに、幾度もなぞり続ける。その氷のような沈黙の態度だけが、彼の中に生じた不快感を雄弁に物語っていた。
佐藤は、榊の放つ威圧感を真っ向から受け流すように、器の歪な削り跡に視線を落としたまま続けた。
「その器、どこで手に入れた」
榊は、ふっと薄い唇を吊り上げた。
「貰ったんですよ。あの廃墟にいた佐伯さんに」
佐藤の目が、わずかに細められた。
佐藤は眉をひそめ、一瞬だけ瞳の奥に昏い火を灯したが、すぐにそれを隠すように視線を外した。
「……そうか。先生に気に入られたらしいな」
佐藤の声には、剥き出しの皮肉が混じっていた。彼はそれ以上追及せず、榊を視界から排除するように歩き出す。立花冴子と龍崎もそれに続いた。
その時。
高瀬の頬を、不自然に重く、冷たい風が叩いた。
「……え?」
高瀬がふと見上げたのは、つい先ほどまで榊が監視を続けていたあの丘の真上だった。
巨大な岩の塊が、音もなく空に浮かんでいた。鳥のように羽ばたくこともなく、ただそこに「在る」ことが当然であるかのように、重力に抗って漂っている。
やがて、その浮遊する岩の下部が、生き物の口のように蠢き、ゆっくりと開いた。
――ゴロゴロ、と。
鈍い音と共に、岩の底から「何か」が大量に零れ落ちてきた。
最初、高瀬はそれを資材か何かだと思った。だが、急斜面を転がり落ちるそれらが、岩肌に叩きつけられるたびに四肢を不自然に躍らせ、生気を失った白い肌を晒す。
「……人、だ」
龍崎が、吐き捨てるように呟いた。
それは無数の死体だった。どこから運ばれてきたのかも、誰であったのかも分からぬ、膨大な量の肉塊の雨。
直後、水面から形成されたばかりの「顔のない人型」たちが一変した。
高瀬の肩ほどもあるその白い巨躯たちが、のっそりとした動きを捨て、餓えた獣のような俊敏さで、死体の雨が降る丘の斜面へと殺到し始めたのだ。
白い群れは、積み重なった死体に折り重なるように群がり、言葉にならない湿った音を立てながらその肉を貪り食う。
高瀬がその悍ましい饗宴に立ち竦む中、異変は加速した。
死体を喰らい、一回り膨れ上がった異形たちのうち、半数ほどが突然、天を仰いで静止した。
ゴォ、という低い共鳴音が空から響き渡る。
浮遊する岩の底から放たれた目に見えない「吸引」が、異形たちを次々と吸い上げ始めた。彼らは抗う様子もなく、手足をだらりと垂らしたまま、吸い込まれるように空へと昇っていく。
必要なものを回収し終えたと言わんばかりに、岩の塊は再び底を閉じると、ゆらりと向きを変え、闇の彼方へと音もなく去っていった。
後に残されたのは、半減した異形の群れと、無惨に食い散らかされた残骸だけだった。
榊はその光景を、方位磁石の狂った腕時計をチラリと確認しながら、まるで興味を失ったかのように眺めていた。




