25.武者修行へ行くよ 森人2
夢とうつつの間をぼんやりと迷う。
その後も驚きの連続だった。
「沢山あるからね。私が書物を選んであげるよ」
北のが目を瞑ると、複数の場所から本棚が滑るように移動して集まった。
「全ては無理だから‥‥そうだね‥‥」
確かに人間の寿命の括りでは決して読み切ることができない量の書物がある。頷いていると北のが選んだ本が浮遊して、次々に目の前の輪切りテーブルの上に積み重なっていく。
子供のように驚いていると、早く読むように促され、さっそく一冊目の書物に手を伸ばした。
キリの良いところで、北のが何杯目かのお茶を淹れてくれる。特製混合茶だそうで、色々な葉を煎じた茶は爽やかな香りと味わい。
茶請けとして干した真っ赤な実は独特の旨味で、なぜか食べるたびに体がスッキリと軽くなる。
余計なものがなくなってさっぱりしたような不思議な体の感覚に首を傾げながらも、爽やかなお茶を啜り、雑談を楽しむ。
間近で目にする北のは中性的で浮世離れした別格な美しさがある。二十代前半にも見えるが年齢は分からないという。過ぎ去る年月に興味がないそうだ。ふむふむ。
この世のことにすっかり疎くなったと言い、どんな話でも楽しそうに相槌を打ちながら耳を傾け、好奇心いっぱいの少年のような表情で質問する。
そして、北のの話はちょっとした豆知識から、雲をつかむような理解ができない話まであって興味が尽きない。
例えば現代使われている魔術は、魔法を簡素化したもので劣化版だという話から始まって、一番驚いたのはこの建物の話だ。
北、東、南、西の守護者達の建物と繋がっていて、建物が球体だと言う。理解が追いつかず、唸ってしまう。
他にも北のの得意とする時空間操作や多次元結界など、じっと話に聞き入ってしまうほど興味深い。
それからも次々と勧められる書物に目を通し、キリの良いところで楽しく歓談する。長時間座っていてお尻が痛くなった頃に外の草原に立った。
向かいに静かに佇むのはアノーリオン先生だ。アノーリオンの極限まで速さを追求し、極限まで研ぎ澄まされた攻防一体の剣技。
この世ならぬ剣技の美しさには自分の本質を知り、心の迷いがない無の境地があるそうだ。
こちらも理解も技術も追いつかず、ひょっとしたら全てを理解し習得するまで何百年もかかるのかもしれない。
まずはと体捌き、足捌き、間合いの取り方、呼吸の仕方までビシバシと鍛えられる。その後に一通り剣技を習い、手合わせ。
最後に修練を積むようにとお言葉をもらって終わりを迎えた。
疲労感からアノーリオンと共に腰を下ろし、草原の爽やかな風に吹かれて、心地良い沈黙を分かち合う。
「アノーリオン、終わったかい?」
ふっと穏やかな北のの声がした。
サラサラと金色の髪を靡かせ、北のは変わらずの美人さんである。
「一応です。まだまだ、それなりですが」
ささっと立ち上がり、背筋を正したアノーリオンがそう答えた。
まだまだに同意で、うんうん、おまけにもう一つ、うんと頷く。その通りである。
「一応終わったのなら、リリアナは帰る頃合いかな。時を数えていたけど、六年は過ぎたよ」
普段はしないのにすごいでしょう、とドヤ顔の北のである。
「えっ?! あの、午前中は書物、午後は剣術ぐらいの認識だったのですが? それに夜も来てないですし、食事も取っていません」
「ここ、夜来ないよ。私は夜より昼が好きだからね」
よく分からない話に理由だが、思い返したら数万冊は読んだような、お茶も何千杯と飲んだような気もする。アノーリオンとも何千回も休憩を挟んだような気も。
時間の感覚がどこかで失われてしまったようだ。
思わず神妙な顔つきになってしまう。年齢に二回の死に戻りで四年、それに今回の六年。15+4+6=25?!
実年齢、二十五歳?!
最後に北のからの「ここはある意味三倍ほど圧縮された空間でもあるから、十八年だね」にガツンと頭を殴られたような衝撃である。
目を白黒させていたら、頬に手を添えられて、おでこに軽く触れる感覚とちゅっと音がした。木漏れ日が降り注ぐ森を思わせるような香りがふんわりとする。
「あははっ、そんなにきょとんとした顔しなくてもいいでしょ。祝福だよ。その耳飾りはあげるーー‥‥‥」
目の前で会話しているのに、声が急に遠ざかって聞こえなくなっていく。
まるで隔たりが広がっていくように。
「え? 待って、聞こえないわ」
耳に届くことはなかったが、北のとアノーリオンが会話を続けていた。
「あれは、よろしかったのですか?」
「あははっ、多分大丈夫だよ。でも一つの次元を越えちゃったね。さあ、戻ろうか」
北のは鼻歌でも歌いそうな様子でくるりと向きを変えた。
「‥‥そのように楽しそうなご様子、随分と久しぶりに目に致します」
アノーリオンは好ましいものを見るかの様に眼を細めた。
◇◇◇
景色が秋に戻った。
天高くどこまでも澄み切った空、冷たい秋の風が快い。
いっとき呆然と立ちすくんでしまったが、最後に聞いた耳飾りが頭に過ぎる。両耳に手をやると片耳に何かひんやりとした感触があった。
「‥‥‥耳飾り?」
「お嬢さまー、キノコ狩りのお手伝いに来ましたっ!」
後ろから声が聞こえたので振り向くと、キノコ籠を片手にテリーが歩いて来る。
「あっ‥‥そうね、キノコ‥‥‥」
「どうしたんですか? ぶぷぅ、狐につままれたようなお顔ですよっ」
何が起こったのか、何が何だか分からなくて、どうしても呆然としてしまう。
「テリー、左耳を見てもらえる?」
気になる左耳の耳飾りを触りながら、テリーに声をかけた。
「むむ、これは、見た事のない耳飾りですね‥‥なるほど、空間収納からですねっ!」
「え、まあ‥‥どう、かしら?」
「かなりの高級品とお見受けしますっ。厚みのある輪っか状ですが、真珠細工でしょうかっ? 上品な光沢があって、金色と黄色が混ざったような色味といいますか‥‥‥あ、こっちから見ると銀白色? 座って見ると銀青色?」
どうやら角度によって見える色が違うらしい。
先程から向かい合って話をしているが、ちょっとした乾燥など些細な変化も見逃さないテリーが耳飾り以外は何も言ってこない。身体的に変わりはないようで、ほっとした。
総てが夢のような気がするし、そうでないような気もする。考えれば考えるほど訳が分からなくなり、その日は風邪気味ということにしてゆっくり休むことにした。
翌朝、空が白み始める頃に起きて、耳を触ると耳飾りがある。
「むっ、これは夢でも幻でもなかったという事ね」
瞑るとあの浮世離れした情景が目に浮かび、鮮明な記憶をはっきりと思い出せる。そして、どこか懐かしく、温かいあの二人も。
最後に北のとアノーリオンに感謝と別れの挨拶ができなかった事をとても残念に思う。二度と会えない可能性を考えると寂しくて胸がきゅーっとなった。
アノーリオンの修練を積むようにとの言葉を思い出し、適当な場所へ転移する。
教わった的確な剣筋を心掛けて、まずは剣を抜いて手頃な大岩に向かって一太刀振るう。
—————ザシュッ!! ドド、ドドンッ!!
大岩が二つに分かれて崩れ落ちた。
寂しさを振り払うように、教えを受けた剣術の型を修練し続けた。




