第59話 私は危機を脱します
フレイ貞操の危機――レオのブチ切れ確定案件
夜明けが近づき、もう間もなく東の空が白もうかという頃、目を覚ましたアルスターは寝袋を抜け出し、一人用の簡素で小さなテントから外へと出る。
アスタリオで言うところのエーテルに高い素養を持つ彼は、周囲に探知網を張り巡らせていた。ついでにその力の応用で、獣や魔物がこちらに近寄って来ないようにしてある。
獣も魔物も本能に従って行動することがほとんどのため、自身よりも強者だと察知すれば、よほど飢えている場合などを除き、勝手に離れていく。その性質を利用している。
朝日が顔を出す前よりも早く、アルスターが起きたのは、その探知網が反応したからだ。
しかも、魔物とは違う統率された動きの大きな反応が二十近く、かなりの速度でこちらに近づいて来ている。
――早いな。
アルスターはこちらに向かってくる者たちが、フレイスリアの救出を目的としていることを察していた。
ただ、こんなに早く来るとは考えてもいなかった。早くても国境付近で追いつかれると考えていたので、彼は心の中で驚嘆する。
「敵襲だ。迅速に配置につかせろ」
アルスターの指示を受けて、兵たちが弾かれたように動き出す。
彼は部下に指示を出した後、自分たちを追撃してくる相手について思案を巡らせる。
――拠点にいたほとんどの兵は昏倒していたが、クロードの姿が見つからなかった。フレイスリアがピンピンしていたから、あり得ない話ではないが……
アルスターは拠点にクロードの姿が無いことはあまり気に留めていなかったが、追手がこちらへと迷いなく進んでくることが気になり、彼の注意が完全に追手の方へ向いていたその時だ。
フレイスリアを閉じ込めていた馬車が、突如として爆発したのだ。
即座に兵がアルスターを守るため、彼を背後に隠すように前に立つ。
宙を舞い視界を遮る粉塵の中から、可視化できる程に練り上げられた異相を纏うフレイスリアが現れた。
レオナルドは精鋭とともに、フレイスリアたちが夜営していた拠点へと辿り着いた。
意識を取り戻した者もいたが、朦朧としており、多くはまだ意識が戻っていない。
幸いにも獣や魔物に襲われた形跡が無いことが救いだろう。
レオナルドは率いてきた者の内、十人を救護のために残してフレイスリア救出に向かう。
彼は攫われた先を知らないので、キューイの先導に従っている。
――何か引き寄せられるものがあるのかも知れないな。
フレイスリアは黒竜との一戦の後、キューイと同質とも言える力を受け取っている。
きっとそれが、迷いなく導く標となっているのだろう。
僅かに東の空が明るくなってこようかという時、レオナルドたちは森の入口に到達したところで一旦、足を止めていた。というのも、先導するキューイとその後ろを走っていたシフが、何かを警戒し出したからだ。
暗い森の中は目を凝らしても何も見えず、かつ不気味なほどに静まり返っている。
レオナルドは部下に警戒を促し、速度を緩めて森の中へと進む。
変わらず先導はキューイがしてくれているが、警戒しているからだろう進む速度が遅くなっていた。
――フレイ。
フレイスリアの身を案じるレオナルドが、彼女の名を心の中で呟いた時だった。
森の奥から爆発音とともに天へと伸びる光を見た。
レオナルドから驚きとそこに目的の人がいる確信が入り混じった声が漏れる。
「あれは!」
「きゅーい!」
「わふ!」
レオナルドが目にした光景に気を取られていると、キューイとシフが一目散に光の方へと突き進んでいってしまう。我に返ったレオナルドは、全速で駆けるよう指示を出し、手綱を強く握りしめて馬を駆った。
そうして、しばらく森の中を進んでいくと、奥の方から何やら不穏な物音が聞こえてくる。
地面を揺るがす衝撃と轟音、樹木の幹が裂けて倒れ伏す音、加えて恐慌状態の人の声が聞こえてくる。
「ああ……やってるね」
思わずレオナルドは遠い目をする。
ここまで来れば見るまでも無い。レオナルドには確信があった。
目的の場所に着いた彼の目に飛び込んできたのは、単身で大立ち回りをする無双状態のフレイスリアの姿だった。
アルスターとその部下は、フレイスリアの圧倒的な武力の前に敗れ、両腕を拘束されてレオナルドの前に膝を突かせられていた。
あれだけ派手にフレイスリアが力を振るったのだから、彼らは満身創痍――かと思えば、彼女はちゃんと力を抑えていただけでなく、オーラで治癒させたようで負傷らしい負傷は見当たらない。
しかし、何かしらの力で縛っているらしく、アルスターたちは抵抗する術が無いようだ。
もっとも、抵抗できたとして、とてつもない強さを持つフレイスリアを相手に、現状を打破できる可能性は限りなく低いのが実情だが。
自分の前に、雁首揃えておとなしく膝を突いている者たちを、レオナルドはひとりひとりに視線を向ける。
「さて、今回の件。領土への不法侵入に我が妻に対する拉致暴行と、筆舌に尽くし難いな」
「まぁまぁ、レオ様、落ち着いてください」
怒り心頭という様子のレオナルドに、危ない目に遭わされたにも関わらず、不思議な程に落ち着いているフレイスリア。
「これが落ち着いていられるか!」
「私はこのとおり無事でしたし、味方にも死者どころか負傷者もいなかったのですから、良いではありませんか」
「それとこれとは話が別だ!私の愛する大切なフレイ(妻)を辱めようとしたのだ。到底、許すわけにはいかない」
フレイスリアが宥めても、レオナルドの怒りが冷める様子は無い。
その横でフレイスリアは、「そんな人前で……」と、頬を染めて照れている。どうやら、レオナルドの言った『愛する大切な』という部分が、とても効いたらしい。
我に返ったフレイスリアは小さく咳払いをすると、改めてレオナルドを宥める。
「レオ様のお気持ちは嬉しいですが、ここで彼らを害すると、それを理由に戦争の理由を与えることとなってしまいます」
「痕跡を消してもか?」
「はい。彼らは協力を得られなければ、戦争となることを望んでいます。かの国を滅ぼしてもらうために。であれば、彼らが生還しない場合、何らかの方法により、伝わるようになっているはずです」
フレイスリアは、「アスタリオ国内で謀殺されたという風に」と、言葉を続けた。
彼女の言葉を聞いてレオナルドは、顎に手を当てて思案を巡らせる。
軍事に明るいフレイスリアは、各国の情勢を驚く程に把握しており、そこから導き出される考察はいつも的を射ていた。また、特定の状況下における相手の思考や策を見抜く能力にも長けている。
それだけにレオナルドとしては、彼女の意見を無視するという選択肢は無い。もちろん、その有用性が高いという面もあるが、それ以上に愛する妻の言葉だからという部分が大きい。
レオナルドがしばらく押し黙っていると、不意にアルスターが小さく笑った。
「はは。本当に甘いな、君は。俺は君のことを手籠めにしようとしていたんだぞ?」
その言葉に真先に反応したのは、誰でも無いレオナルドである。
彼は腰の長剣を引き抜くと、アルスターの喉元に突きつけた。その速度の凄まじさたるや、フレイスリアが咄嗟に「レオ様!」と制止しなければ、彼の喉を刺し貫いていたのではないかと、思わせるものだった。
緊張感漂う睨み合いが数秒続いた後、レオナルドは大きく溜息を吐いて剣を収めた。
その光景にフレイスリアは思わず、心の中で安堵の息が漏れた。
「アルスター殿下。あなたの行為は戦争の火種にもなる決して看過できないことです。しかし、私はこうして自力であなた方を打ち破り、無事にあ、愛する夫の戻りました。なので、あなた方をどうこうしようとは考えていません」
フレイスリアは話す中で、レオナルドの真似をしたのだが、直前になって恥ずかしさから、言葉に詰まってしまった。その後に続く言葉はつかえることなく言えたので、本人としては気付かれていないと思っているが、レオナルドが聞き逃すはずは無く、彼女の後ろで感激している。
フレイスリアはやや間を空けてから、アルスターと視線を合わせた。
「自分ばかりが背負おうとするのではなく、あなたはもっと周りに目を向けて、自分と志を同じくする人たちがいることに気付いてあげてください」
アルスターはなにかに気付いたように後ろを振り返り、無謀な自分について来てくれた者たちを見渡せば、彼らは一様にどこか困ったような、ただ穏やかな表情をしていた。
肩を落とし、項垂れた彼は、「すまなかった」と、小声でつぶやいた。
レオナルドはフレイスリアの説得もあり、アルスターを見逃すことにした。
彼女の言うとおり、ここで彼を害せば国同士の戦争に発展するのが高いと判断したためだ。
レオナルドにとっては不本意極まりないのは、言うまでも無いだろう。愛する妻の無事な姿と言葉が無ければ、問答無用で切り捨てていたかもしれない。
朝陽が顔を出し、その姿が完全に現れた頃、フレイスリアとレオナルドは二人並んで、引き揚げていくアルスターたちの背を見送った。
こちらもフレイスリアは純粋に拳を交えた相手を称える気持ちで見送っていたのに対し、レオナルドは連中が裏切らないかという警戒心から見送るというよりは、『監視していた』という方が正しい。
それほどまでに両者の間には温度差が甚だしかったのだが、フレイスリアはそれには気付かないし、レオナルドとしても彼女がどんな思いでいようが問題ではなかった。
重要なのは、『彼女が無事で自分の横にいる』ということなのだから。
「レオ様?」
招かれざる客の姿が見えなくなると、フレイスリアは唐突にレオナルドに抱きしめられた。
きつく自分を抱く彼の腕から伝わる僅かな震えで、どれだけの心配をかけたのか実感し、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「フレイ。君はいつも私に心配ばかりさせる」
「レオ様……ごめんなさい」
「いいや、許さないよ」
フレイスリアからの謝罪を受けたレオナルドは、真剣な顔をしたまま拒絶の言葉を告げる。
それを聞いて表情を曇らせ、俯いた彼女の額にレオナルドが口付けをした。
驚いて顔を上げたフレイスリアの顔が、みるみるうちに赤くなって瞳が潤む。
頬を染めて吐息を漏らし、潤んだ瞳で熱っぽい視線を向けられ、レオナルドの欲望が激しく刺激された。
――私の妻、可愛い!
レオナルドがそんなことを思っていたら、腕の中のフレイスリアは力が抜けたように、彼に体を預ける形となる。
急にどうしたのか――と、レオナルドが思っていると、フレイスリアが再び彼を見上げた。
「申し訳ありません。抜けきって無かったようです」
「どういうことだい?」
「捕まった時に感覚を過敏にさせられてしまって……さっきまで異相で抑えていたのです」
「大丈夫なのか?」
「はい。害は無さそうです。強い媚薬のような効果かと」
苦しそうに吐息を漏らすフレイスリアはとても色っぽい。
――あいつ! やはり一発……いや、五発ぐらいは殴っておけば良かった。
苦しそうなフレイスリアの背をレオナルドが擦るたび、彼女の体が小刻みに揺れる。
その様子に諸悪の根源を無傷で見逃したことを後悔したレオナルドだったが、すぐにそんな感情は霧散することになる。
「レオ様」
「なんだい?」
「とてもはしたないと分かっていますが……鎮めてはくれませんか?」
フレイスリアはそこまで言った後、少し息を吐いてから「今すぐ」と付け加えた。
彼女が言い終わるや否や、レオナルドは即座にフレイスリアを抱き上げ、二人で馬に乗り、部下に指示を言い渡すと、全速力で馬を駆けさせた。先ほどまでの感情はどこへやら、彼は心の中で元凶に『ありがとう』と、礼を言っていた。
この後、フレイスリアはレオナルドにめちゃくちゃに愛されたわけだが、それを深く追及するのは、野暮というものだろう。
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