第55話 私は竜の力を実感しました
フレイスリアはいくつもの起伏を成す丘の中で一際高いそこに立っていた。
周囲を見渡していると、悪戯するよう風が視界を覆う様に彼女の長い髪を靡かせる。
フレイスリアは風に靡く髪を撫でつけながら、遠くに見える景色に目を凝らしてある確信を得た。
「フレイ! 私の可愛い義妹!」
そこへ自分を呼ぶ女性の声がフレイスリアの耳に届く。
この快活かつきれいに澄んだ声で彼女を“義妹”と呼ぶのは、唯一人しかいない。
フレイスリアの兄アーサーと婚約し、リーシュベルト家に嫁いでくることになっているプロキオンの王女アナスタシアだ。
アナスタシアは自分の恋敵というフレイスリアへの誤解が解けた後、彼女をとことん可愛がり、お互いに手紙でやり取りをする程、とても良好な関係を築いている。
初めはアナスタシア側の一方的な関係性だったが、次第にフレイスリアは彼女に絆され、兄はいても姉はいなかったことから、義姉として慕うようになっていた。
フレイスリアはレイクイン家に嫁ぐので、アナスタシアが嫁いできても、家族として接する機会は少ない。それでも、レイクイン家とリーシュベルト家は元から関係が深く、両家の次期当主夫人が親密な間柄なのはとても喜ばしい。
そんなこともあってより一層、仲が深まった感のある二人だが、きっとそれらが無くても懇意になっていたように思う。というのも、二人は性格的によく似ている。奔放というか、純真というか、とかく人の目を惹きつける魅力が備わっており、無駄に行動力があるのも一緒だからだ。そのため、何かと馬が合うことだろう。
「アナお義姉様!」
丘を駆け上がってきた勢いのまま、自分に跳び付いてきたアナスタシアの体をフレイスリアは抱きとめた。
ちなみに前述のとおり、二人は似ている面が多々ある。
身体的な強さもアナスタシアは兼ね備えており、さすがにフレイスリアと同等とはいかず、数段落ちこそすれ、それはその辺の騎士十人程度であれば、一捻りにしてしまうほどである。
そのため、華奢な外見からは想像も付かない程の速度で駆け寄ってきた勢いのまま抱きつかれれば、普通はよろめくどころか一緒に吹っ飛んでしまうのが関の山だ。
それを平然と表情を変えずに受け止めるフレイスリアの身体強度は言うまでも無いだろう。
しかし、ここで勘違いしないでほしい。
アナスタシアも親しい相手に誰彼構わず殺人タックルを試みるわけでは無い。フレイスリアを信頼しているからするのである。
愛情の証とアナスタシアは宣っているが、とんでもない愛もあったものだ。
そして、それを全力で真正面から受け止めるフレイスリアも相当な部類だ。
実に似た者同士と言える。
フレイスリアに抱きついたまま、彼女の顔に頬擦りするアナスタシアは本当に嬉しそうだ。
アナスタシアに応えるようにフレイスリアもぎゅうぎゅうと彼女を抱きしめ返す。
この場面だけを見れば、二人の大変仲睦まじい様子に思わず笑みが零れることだろう。始まりの殺人タックルを知らなければ。
「二人は本当に仲が良いね」
お互いが十分に堪能したところで漸く二人は体を離す。
そこへフレイスリアとアナスタシアの様子を近くで見ていながら、これまで空気のようだったレオナルドとアーサーは苦笑いを浮かべていた。
「レオ様、アス兄様、大変申し訳ありませんでした」
「いいのよ、フレイ。可愛い貴女を優先するのは当然だわ」
「何だか私との婚約はフレイを愛でることが目的だったのではないかと思えてしまいます」
「そんなわけありませんわ。私はアーサー様に心底、惚れていますから」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
ちょっとした嫉妬心を見せたアーサーに対し、アナスタシアによるその何倍もの返しが行われる。
アーサーはその威力に視線を彷徨わせて言葉に詰まる。常に冷静な姿が板に付いている彼からは、今の姿は実に珍しいものである。
愛しい婚約者の動揺を隠しきれない可愛い反応に満足したアナスタシアは向き直ってフレイスリアを見る。
「あなたなら来てくれると思っていたわ。それにここに立ってそっちを見ていたってことは、気付いたのでしょ?」
「はい。お義姉様」
今回の演習の本当の目的は、兵力を国境付近に集結させてヌフダントを牽制することにある。
事の発端はヌフダントがメルフスタンに侵攻しようとしているという情報が入ったことだった。
メルフスタンはアスタリオ及びプロキオンの友好国であるエデルラントと親交が深い国である。なにせ、メルフスタンの王女がエデルラント国王に嫁いでいる程だ。
そのメルフスタンを侵略されようとしているので、エデルラントから助力を要請する書簡がアスタリオとプロキオン両国に届いた。無論、繋がりの強いエデルラントからの要請を無下にするはずもなく、アスタリオ王家は即座に軍事において信頼の厚いレイクイン大公家とリーシュベルト公爵家に加勢を命じる。
この報を受け、プロキオン側も名だたる将兵を編成した。
ここでプロキオン王家の誤算だったのが、アナスタシアが出ると言って譲らなかったことだろう。
娘の実力は良く知るところではあったが、可愛い愛娘を心配したプロキオン王は出陣の条件として、婚約者であるアーサーと行動を共にするよう厳命した。
娘を心配する王としては、娘を託すに値する十分な実力を有している彼の傍にいれば、安心できるというところであり、アナスタシアからすれば父王公認の下、大好きなアーサーと一緒にいられるというお互いにとって良い条件だった。
アーサーの心情は一切汲まれていないわけだが。
ただ、アーサー自身も満更でもない様子なのである。
ともかく、今回の演習は侵攻計画を進めるヌフダントを牽制する事であり、アスタリオとプロキオンは軍を展開して国境を挟んだ向こう側に圧力をかけていた。
真意を知らぬ者たちは演習を行う予定で来たのに、展開してから何も動かないことを疑問に思い、些か覇気に欠けはしていたが、実際、軍を展開しただけでもかなり効果があるようで、ヌフダント側が目に見えて慌ただしくしているのがわかる。
これだけでも十分なのだろうが、もう一押し欲しい所だ――そう考えたレオナルドは何か策を思いついたのか、フレイスリアへと顔を向ける。
「どうしましたか?」
「いやなに。フレイ、暇だろう?」
「はい。正直なところ暇です」
「それなら少し発散の場を設けようかなと思ってね」
悪い笑みを浮かべるレオナルドの色香にあてられたフレイスリアは、思わず見惚れて呆けてしまう。
対してアーサーは肩を小さくすくめ、首を左右に振った。
その後、どこからか誘き寄せた魔獣の群れに、フレイスリアが突っ込んで薙ぎ払っていく。
以前に得た竜の力は人間相手には強大過ぎるので彼女は持て余していたが、今目の前にいるのは純粋な魔獣だけなので、思う存分にその力を発揮して尽く粉砕する。
フレイスリアが力を振るう度、凄まじい地響きが起こり、砂煙とともに数多の魔獣が吹き飛ぶ光景を遠目ながらも確認したヌフダント側が警戒を強めたのは言うまでもない。
フレイスリアが暴れ出して程なく、ヌフダントは国境線沿いに兵力を集結させた。
これにより、実質的にヌフダントのメルフスタン侵攻を阻止することに成功し、今回の目的は達成された。
フレイスリアとしてはまったくの不完全燃焼だったが。
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