第50話 私は囚われの令嬢……怒りで力が戻りました
フレイスリアははっきりとしない意識の海の中を漂っていた。
レオナルドに婚約破棄の打診をした後、全身が熱くなり、それを抑えるためのクラウディアのオーラを浴びている内に意識が途切れていた。
今は何だか自分がどんな状態なのか、彼女自身わかっていない。起きているのか、眠っているのか、立っているのか、横になっているのか。どれもが正しいようで、どれもが違うような気がする。
――そもそも、私は生きているのかな?
現実味の湧かない今の状態では、フレイスリアがそう思うのも当然だ。
ただ、彼女は死んでいるのはなく、今は精神が他の存在と同調し、対話をするためにその存在が作り出した世界にいるだけに過ぎない。対話が終われば、元の場所へと帰れる。
『聞こえるかね。小さくとも強き者よ』
「あなたは誰?」
『君が知っている者だよ。さあ、目を開けたまえ』
ゆったりとした口調で自分に賭けられる声に促され、フレイスリアが瞼を上げると、そこにはどこまでも続く青空と水面の世界が広がり、少し離れた場所に死闘の末に仕留めたはずの黒竜がそこにいた。
しかし、あの時とは違い、今は全く身の危険を感じない。
この暖かく安らぎを感じる世界もそうだが、何より、黒竜から敵意を感じないどころか慈愛の念さえ伝わってくる。そして、どこか申し訳なさそうな感情も。
『先の事について謝罪する。多分な迷惑をかけたな、人の子よ。そして、礼を言わせてくれ。我を止めてくれて感謝する』
「……どういうことですか?」
『我は少し前に異国の男の罠に嵌まり、力を吸い出された挙句、自我を失いかけた。そこへその男を追って来た見慣れぬ恰好の少女の助力で、力の大半を取り戻すことができたが、自我は辛うじて僅かに残る程度となってしまった』
「そこへ偶々、私たちが巡礼に訪れたので巻き込まれたと?」
『その通りだ』
フレイスリアは黒竜の話を聞き、得心がいった。
この世界で人を遥かに上回る竜種を相手にし、自分たちが生き残れたのは、彼が本来の力を失っていたことと、僅かに残った自我で必死に自分を抑えていたことがわかったからだ。そうでなければ、自分たちはあそこで全滅していたであろうと。
『経緯はどうあれ、無実の者に危害を加えてしまったことは事実。誠に申し訳なかった』
「いいんです。私たちは生きていますから」
『だが、そなたには大きな傷を残してしまった。そして、我を侵食していた得体の知れないそれが、そなたにも影響を与えている』
彼の言葉にフレイスリアは思い当たるところがあった。
自分の体を侵食する火傷とはまた違う黒い痕は、まるで蠢く虫のように不快な感触を彼女に与えながら、じわりじわりとその範囲を広げている。
『我の体にある『逆鱗』をもってすれば、それを取り除くことができよう。その身を侵食する我が力も落ち着き、そなたの一部となるはずだ。そして、身勝手な願いではあるが、我が子をよろしく頼む』
突然、意識が遠のき、フレイスリアはいきなり降ってきた様々な疑問を解消する暇も与えられず、強制的に意識を引き戻されてしまった。
精神世界という表現が正しいかはわからないが、ともかく不思議な場所から戻ったフレイスリアは目を覚ました。
眼前にある見覚えのない光景にすぐには理解が追いつかないながらも、徐々に意識が覚醒して自分の置かれた状況を理解するに至る。
――私は捕らえられたのね。
「目が覚めたか」
体を起こして周囲を観察するフレイスリアの耳に男性の声が届く。
声のした方を向くと、そこには逞しい体躯をした青年がいた。顔付も精悍であり、見た目や纏う空気から戦士なのだとわかる。
男は近寄りながらも、必要以上に距離を詰めることなく、一定の距離を保ちながら、現状をフレイスリアに説明をしてくれた。
「俺はグリン、竜の民の中で一番の戦士だ。お前が――」
「“お前”ではなく、フレイスリアです」
いきなり話の腰を折られた『グリン』は呆気に取られるが、すぐに我に返ると、小さく笑ってから話を戻す。
「それはすまなかった。それで、フレイスリア……殿、我らが王を討ったのは貴殿で間違いないか?」
「王?」
「黒い竜だ。正気を失い飛び立ったのを見て後を追ったのだが、追いついた時には手遅れだった。我らが不甲斐ないばかりに迷惑をかけた。誠に申し訳ない」
そこまで言うと、グリンは唐突に頭を下げた。しかし、頭を上げた彼の目からは、先程まであった謝意は消えていた。
「それはそれとして、我らの王を討った貴殿をこのまま返すわけにはいかない」
「……私を殺しますか?」
フレイスリアがそう思い至ったのも当然だろう。
目の前にいる彼らの王を討った自分が無事に帰れるとは思っていない。
フレイスリアが覚悟を湛えた強い眼差しをグリンに向ければ、彼は大口を開けて笑い声を上げた。
「さすが王を討っただけあって勇ましいことだ。だが、貴殿を殺すことなんてしないさ」
「そうですか。ちなみに頼みがあるのですが」
「なんだ?」
「貴方たちの王の場所に案内してほしいのです」
「なぜ?」
「うまくは言えないのですが、彼の方の逆鱗があれば、私の体を蝕むこれを抑えられるらしいのです」
グリンは顎に手を当てて少しの間、思案してから承諾の意を返した。
しばらくしてグリンが戻ってきた。その手に黒い形の変わった鱗を携えて。
体を起こしたフレイスリアの脇まで来たグリンが手に持ったそれを差し出す。
ということはこれが逆鱗なのだろう。
フレイスリアが逆鱗に触れると、俄かに輝き出し、彼女の中へと何かが流れ込む。
「なっ、一体何が……」
突然の出来事に面を喰らってグリンから動揺の声が漏れる。
しかし、フレイスリアは全く動じていない。この光は彼女にとって何の害も無いからだ。それどころか、むしろ陽だまりのような暖かさを感じる。
――私の中で暴れていたものが鎮まっていく。
そうして、光が収まった頃、フレイスリアを苛んでいた痛みが消失していた。
ただ、まだ痕は残っている。
一緒に消えてくれればいいのに――と、フレイスリアは思ったが、どうやらそううまいこといかないらしい。
「よくわからんが、うまくいったようだな?」
グリンは痛みが消えた体の調子を確かめるため、軽く体を動かすフレイスリアに声をかけた。それにフレイスリアは微笑みながら、感謝の言葉を返す。
「ええ、良くなりました。ありがとうございます」
「そうか、それは朗報だ。朗報ついでに動けるようになったのなら、ついて来てくれるか」
そう言ってグリンは、何故かフレイスリアの両腕を鎖のついた金属の輪で拘束した。
あっという間の事で口を挟む暇も無かったフレイスリアが、首を傾げてグリンを見る。
「暴走した王の力がどんな悪さをするかわからないから、しばらく勘弁してくれ」
フレイスリアは心底申し訳なさそうな顔をするグリンに免じ、自分の扱いを受け入れることにした。
「というわけでこの女は、我らがもらい受ける」
「そんな戯言を受け入れられるわけが無いだろう!」
フレイスリアが連れて行かれた先は、澄みきった青空が広がる屋外の大きな広間だった。
屋外とは言っても、精巧な造りの椅子があるし、綺麗に磨かれた舗石は光沢を帯びて格式の高さを感じさせる。周囲を囲う石壁にも大きな竜が描かれているなどしており、こちらも場の品位を高めている。
そんな場所に連れ出されたフレイスリアは屈強な男二人に肩を押さえられ、膝を突かせられている。石の床の上ではあるが、とても柔らかいクッションがあるため、全く痛くない。
だが、フレイスリアはそんな自分への対応よりも、もっと困惑する状況が目の前に広がっていた。レオナルドが単身でこの場に現れたのだ。
レオナルドの要求は婚約者であるフレイスリアの返還であり、この場を設けるための条件として、同行者を集落の手前に全員残して単身で来るように要求され、それを呑んだ。そして、レオナルドは自身の要求を伝え、グリンと問答を繰り返し、先のやり取りが出てきた次第である。
グリンは嫌な笑みをレオナルドに向ける。
「それほど大切ならば、返してやらんこともない。貴殿の命と引き換えにな」
予想外の言葉にフレイスリアは目を大きく見開き、グリンへと顔を向ける。
「わかった」
フレイスリアは迷うことなく即答したレオナルドに驚いて、今度は彼へと顔を向けた。
「やめて下さい! 殿下!」
レオナルドが短剣を鞘から抜く。
こんなことで大切な彼を失いたくないフレイスリアは、声を張り上げて何度もレオナルドを制止する。
「ダメです!」
レオナルドが自分の首に短剣の切っ先を向ける。
その光景を前にフレイスリアの中で何かが沸き立つような感覚が芽生える。
「ダメだって――」
黒竜との激戦から感じることができなくなっていた異相力が、フレイスリアの中で一気に膨れ上がる。
「言っているでしょうがぁ!」
叫びと共にフレイスリアの異相力が爆発し、彼女を押さえていた二人の男が吹き飛ばされる。無意識化で自身に身体強化を施したフレイスリアは、手枷の鎖を引きちぎり、一瞬でレオナルドの前まで跳ぶと、彼が握っていた短剣を払い落した。
そして、目に涙を浮かべてレオナルドの肩を掴む。
「レオ様は臣籍でも王族なのですよ!? そんな方がたかが臣下一人のために命を投げ出すなどあってはなりません!」
フレイスリアのあまりの剣幕に気圧され、さすがのレオナルドも無言で頷くことしかできなかった。
そこにグリンの上機嫌な声が響く。
「いやぁ、これは愉快だ。さすが我らの王を倒しただけはある」
グリンが指笛を鳴らすと、大きな高め鳴き声とともに蒼い竜が現れた。彼自身も周りの者たちが持ってきた武装を身に付けている。
「その力、実に興味深い。我が相棒『スカーム』との連携を前にどれだけ――」
「うるさーい!」
レオナルドとの話の間に割って入られたことにイラついたフレイスリアは、これまた一瞬でグリンとの距離を詰めると、鳩尾に右の拳による強烈な一撃を叩き込む。
その威力の凄まじさにグリンの体は、くの字に折れて足が宙へと浮かんだところに、今度は左の拳を叩き込めば、彼の体は吹っ飛んで石壁に叩きつけられて意識を失った。
自身の主が瞬く間に戦闘不能に追いやられ、蒼竜は呆気に取られたのか傍観することしかできず、そんな無防備な頭にフレイスリアの踵が鉄鎚の如く振り下ろされ、主ともども呆気なく、フレイスリアの前に屈することとなったのだった。
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