第49話 レオナルドは悔しさを噛みしめる
黒竜の強大な力の奔流を前にして、私は岩の壁の陰に隠れているしかできなかった。
こちらの攻撃はほとんど効果が無いため、撤退の算段を始めた頃、黒竜から不穏な気配が漂い、気付けば目の前に岩の壁が現れた。
それは、フィリア――フレイがこちらを守るために異相力で作り出したものだ。
周囲の全て朽ち果てさせ、薙ぎ払う黒竜のブレスに晒されてなお、私たちは生き残った。いや、守られたのだ。
文字どおり、自分を犠牲にしたフレイの献身によって。
「すぐに彼女の手当を!」
岩の壁が崩れ落ちた先、力無く地面に倒れ伏すフレイの姿を見て、私は生きた心地がしなかった。
彼女の救護を周りに指示するが、まともに動ける者はいない。
その中で彼女の侍女であるリザとクラウディアの二人がフレイに駆け寄る。
「お嬢様! 目を開けて下さい! お嬢様!」
「フレイ! フレイ! しっかりして!」
フレイの身に付けていた装備は大半が熔け落ち、それまで見えていなかった彼女の素顔が見える。
愛しい彼女を直視することができなかった。
私たちを守るために負った傷があまりに凄惨で、見える肌のほとんどが赤黒く変色しており、それは痛々しい限りで。
「――っ! 負傷者の人数を確認しろ! 今日はここに留まる。野営の準備を始めろ!」
悔しいが、私がフレイの元に行ってもできることは無い。
ここは二人に任せ、彼女に駆け寄りたい衝動を堪えて周りに指示を飛ばすが、ほとんどの者が呆けたようにして動かない。
「いつまで呆けているつもりだ! それでも栄えある王国の騎士か!? 名のある冒険者か!? さっさと行動を開始しろ!」
私の怒声に弾かれるようにして呆然としていた者たちも動き出す。
親交の深い騎士たちが、瞠目して私を見ていた。
無理も無いことだと思う。
声を荒げたことなど久しぶりのことで、自制もできずに飛び出した言葉に自分でも少し驚いているぐらいだ。
原因はわかっている。
私自身の不甲斐なさだ。
大切なフレイを守りたいと思うのに、実際には守られ、傷つき倒れた彼女には何もできないこの体たらく。
――こんなのは八つ当たりだ。わかっている……わかっているんだ。
「ははっ……情けない限りだ」
私は自身の無力さを周囲に当たり散らすことしかできない自分に呆れ、自嘲することしかできなかった。
多くの負傷者が収容されている大型テントとは別に設営された救護テントがある。『多くの負傷者』といっても、大半は軽傷だ。重い者でも自力で歩けない者はいない。一人を除いては。
私はそのたった一人のために用意されたテントに入る。
テントの中は血と肉が焼けたような臭いに混じって、微かに消毒薬の匂いがする。
少し先ではフレデリカとリザが、簡易ベッドの上で横たわる人物の介抱を続けていた。
ベッドに横たわっているのは他でもない私たちを守るために奮戦し、大きな傷を負ったフレイだ。
先の戦闘で受けた酷い傷の影響で高熱により意識は朦朧とし、短く繰り返される苦し気な吐息が聞こえてくる。
彼女の体のほとんどは包帯が巻かれ、酷い箇所はすぐに黒竜のマナの侵食を受けた血漿が滲み、暗赤紫色に変わってしまう。
それを何度もリザが新しい包帯に巻き直し、クラウディアがオーラで浄化と治癒を施している。
私が入ってきたのに気付いたリザが、沈痛な表情から普段と変わらない表情を浮かべようとするが、ぎこちないそれはいつもの表情からは程遠いものだった。
クラウディアに至っては取り繕うことさえできていない。
こんな彼女を見たこと無いが、それだけショックが大きいということだろう。
かくいう私も平静を装うことなど出来ていない。
部下からはフレイの元へ行くよう促される始末だ。
何とも情けない。
「殿下……」
「二人とも碌に休みも取らず、フレイに付いていてくれてありがとう」
「いえ、お嬢様は私の主。主のお側にいることは当然のことです」
「フレイは掛け替えの無い友達です。苦しむ友達を助けたいと思うのは当たり前です」
「……レオ様?」
私たちの声が聞こえたのかフレイが顔をこちらに向ける。
顔の左半分は包帯が巻かれ、背中の中ほどまであった白金糸の髪は焼き切れ、肩に届くぐらいまでになっていた。
私は彼女の傍らに膝を折り、右頬に手を添える。
それだけなのに、フレイはどこか安堵したように息を吐いた。
「フレイ、すまない」
「レオ様が謝ることはありません。私が勝手にやったことです」
私は後悔していた。
彼女の正体を知っていたのだから、出発前に諫めて待っているように言えば。
「フレイ、ありがとう」
――すまない。何もできなくて。
「おかげで誰も死なずにすんだ」
――だが、君が苦しんでいる。
「君が奮戦してくれたからだ」
――犠牲を覚悟で退くべきだったのか。君がこんな目に遭うぐらいなら。
私はフレイに言葉をかける。
その度に言葉とは真逆の思いが溢れ、私の心は引き裂かれそうになる。
「レオ様を守れたのなら良かったです」
フレイは私に微笑んで見せた。
表情を作れば傷が痛むだろうに……それなのに、君は何でそんなに綺麗な笑顔を浮かべることができるのだ。
私は込み上げるものを抑えこもうと視線を伏せる。
「レオ様……いえ、レオナルド・ダスク・レイクイン次期大公殿下」
静かに、そして、これまで全く聞いたことが無い程に硬い声音で私の名を呼んだ。
愛称ではなく、正式な形のそれを。
「私との婚約を破棄してください」
私に予想外の……聞きたくない言葉がフレイの口から発せられた。
「な、なぜ……?」
狼狽する私の口からは、情けない程に掠れた声しか出なかった。
私の問いにフレイは淡々と答える。
「見てのとおり、私は使い物になりません。とても大公家を継ぐ貴方様をお支えすることはできません。ですから――」
「そんなことは関係無い! 君はこれからも私と一緒に――」
「レオ様」
「っ!」
強い意志を湛えたフレイの右目が私に語り掛ける。『わかっているはずです』――と。
わかっている。私も大公家を継ぐ者としてわかっている。
だからと言って割り切れるかどうかは別問題だ。
「……すぐには返答できない」
「わかっております」
「フレイ、今はとにかく体を休めることを優先してくれ」
私の言葉に頷いたフレイは静かに瞼を閉じた。
彼女をリザとフレデリカに頼むと、私は自分のテントに向かう。
今は何の気力も湧かず、何も考えたくなくて寝袋の上に横になると、すぐに目を閉じた。
外が白み始めた頃、敵の襲撃を告げる警笛の音で目を覚ました。
すぐにテントから出ると、数匹の竜が飛んでいる。
しかし、襲ってくる気配が無い。
向こうの狙いがわからない以上、迂闊に手を出すべきではないと様子を見ていたが、突如、背後から悲鳴が上がる。
フレイの侍女であるリザのものだ。
胸騒ぎを覚えた私は彼女がいるテントへと急ぐ。
それからすぐに助けを求めて、こちらに駆け寄ってくるリザと合流した。
フレイと一緒に一流の冒険者として活動する彼女の実力は本物だ。そのリザがこんなにも狼狽している姿を目の当たりにして、私の脳裏に最悪の事態が過ぎる。
「しっかり! しっかりするんだ! フレイは……フレイはどうした!?」
心臓の鼓動が早くなり、煩い程に耳に届く。
こんな予感など、きっと杞憂だ。さすがのリザも連日現れた竜に驚いただけのことだ。
なあ、そうなんだろう?
頼むからそうだと言ってくれ。
だが、そんな願いは虚しく打ち砕かれることになる。
「お嬢様が、お嬢様が竜に攫われました!」
リザの言葉を聞いた私は、視界が真っ暗になり、思考がまとまらずにいたのだった。
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