第32話 私は読み合いとか苦手です
フレイスリアは軍事科の教練で汗を流していた。
今日は他の選択科目と時間が被っているため、見学の令嬢たちもいないことから、この場に女性は彼女だけである。
先日のアーロンとの一戦で軍事科の男子陣は彼女の評価を改めていた。
そうなると、途端にフレイスリアの事が魅力的に見えてくるのが何とも浅はかというのか、単純というのか、年頃の健全な男子には、仕方の無いことなのかも知れない。
最近のフレイスリアは体付きが女性らしくなってきており、訓練着が制服よりも動きやすさを重視して薄手のため、それがはっきりとわかってしまう。加えて教練の最中は激しく動くので、邪魔にならないよう髪を上げていることもあって、普段は見えないうなじが露わになり、妙に色気を感じる。更にフレイスリアの動きに合わせて飛ぶ汗の雫と、彼女から漂ってくる女性特有の香りで、男子たちは教練どころでは無くなっていた。
当然、そんな腑抜けどもには教師たちから、大目玉を食らうわけだが、その原因が自分にある事に全く気付かないフレイスリアは疑問符を浮かべるばかりだ。
「フレイスリア嬢、組み手に付き合ってくれないか?」
「フレイでいいですよ、アーロン様。長くて呼びにくいでしょ?」
「なら、俺もアーロンでいい」
二人はそれぞれ模擬戦用の得意武器を持って相対する。
アーロンは特大剣、フレイスリアは戦鎚だ。
それを見た周りの男子たちがどよめく。
武器を持ったフレイスリアの姿を見るのは初めてであり、彼女の可憐で華奢な外見に不釣り合いな厳つい武器を見れば、どよめきが起こるのも無理のない事だろう。
実際、対峙しているアーロンの顔からも驚きの色が見て取れる。
「えっと……アーロン、どうかしましたか?」
「えっ、あっいや、そういう武器を使うんだなと思っただけだ」
「あれ? 意外でしたか?」
いやいや、意外どころか思いつくわけないだろ!
その外見で、そんなもの振り回している絵面なんて、誰が想像つくんだよ!
鏡で自分を見てみろよ。絶対に合わねぇから!
やり取りを聞いていた男子勢が一斉に心の中で、彼女にツッコミを入れていた。
ちなみにアーロンも心底、同じ気持ちである。
「まあ、そんなことは置いといて始めましょう」
「そうだな」
アーロンが同意した瞬間にフレイスリアは跳びかかると、勢いよく戦鎚を振り下ろした。
彼女の攻撃をアーロンは間一髪で回避することに成功したが、叩きつけられた戦鎚の衝撃で演習場全体に地響きが起こる。
その威力の凄まじさを感じ取ったアーロンは寒気を覚えた。
――これ……殺る気じゃないよな?
その予感もあってか、動きの鈍ったアーロンに対し、フレイスリアは足が地面に着くと同時に彼の方へと踏み込み、戦鎚を斜め上に振り抜く。
剣を盾にして辛うじて直撃を避けることはできたが、アーロンは先日と同じように吹っ飛ばされてしまった。
―――――
医務室で目を覚ましたアーロンが周囲を見ると、数人の男子が彼の目が覚めたことに気付いて声をかける。
「アーロン大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
ベッドの上で上半身を起こしたアーロンは、軽い眩暈を覚えて額を押さえる。
アーロンは顔を顰めながら心配ないことを告げると、長めに息を吐いて状態を落ち着けて普段と変わらぬ表情を付き添ってくれた仲間に向けた。
彼の体調を心配していた級友たちは、いつもと変わらない顔になったアーロンを見て安心し、興味が他へと移る。むしろ、こちらが本題だと言ってもいい。
「っで、どうだった?」
「良い匂いがした。なんかこう……女の子って感じの」
「うおお……俺にもあれを受け止められるだけの力があれば……!」
話題はフレイスリアと武器を交えたアーロンが感じた彼女の色香についてに変わる。
軍事科を選択した生徒は、入学する前から訓練を受けている者がほとんどだ。その場に女性がいることはまず無く、男どもに囲まれたむさ苦しい空間しか経験の無い彼らは、訓練をする自分たちと同じ空間に、女性がいるという状況に慣れていなかった。
しかもそれが、フレイスリアのように可憐な令嬢であれば、猶の事、彼らの興味がそちらに向くのは仕方のないことだ。
この場に令嬢たちがいたら、白い目で見られていることだろうが。
―――――
その頃のフレイスリアはというと、同じ学年の女子たちに誘われて一緒にお茶の席に着いていた。
一緒にテーブルを囲む三人の令嬢の名前は、ここに来るまでにメイドから聞いていたが、すでに彼女の記憶からは消えていた。というよりも憶える気が無かったとも言える。
アーロンとの手合わせは一瞬で終わったとはいえ、彼女はその後の自主鍛錬による埃や汗をシャワーを浴びて、さっぱりして帰ろうとしていた。
つまり、今のフレイスリアは完全にオフモードなのだ。そんな彼女が辛うじて覚えているのは、三人の家の爵位が侯爵・伯爵・伯爵ということだけだった。
制服に着替え、織女としての体裁は最低限取り繕っているが、上げたままの髪は汗に濡れており、毛先には汗の雫が光っている。
明らかに悪意があるのが見て取れるが、彼女は全く気にしていない……のではなく、気付いていない。
爵位が上の自分よりも先に着席しているだけでなく、姿が見えても立ち上がりもしない。
先んじて相手の予定を聞かずに、下位の者が上位の者をお茶の席に誘っておきながら、先に始めている。
フレイスリアに出されたお茶だけ温い。
と、公爵令嬢という自分たちよりも家格が上の彼女に対し、無礼極まりない対応だ。
校則にある『位に関わらず平等』とは、あくまで学ぶことや施設を利用することに関してであって、家同士の力関係にまで及ぶものではない。
仮に及ぶものだとしても、それは学生でいられる間だけしか効力がない。
卒業もしくは退学の後には、『学生の時に平等を謳い、上位者に散々無礼を働いた愚か者』という汚名が残るだけなのだが、そこまで考えが及ばないのだろう。
悪意を向けた相手がフレイスリアだったことは、彼女たちにとって不幸中の幸いだったと言えるかもしれない。
フレイスリアが自分の前に用意されたお茶のカップに触れると、温いことに気付く。
それを見た令嬢が用意されたお茶について話し始めた。
「本日のお茶は私の領地で作っているもので、冷めても香りが良く、長く置いても渋みの少ないものですの」
これはお茶についての説明などではなく、フレイスリアに対する嫌味だ。
あなたのお茶は冷めているけど問題ないわよね? あなたのお茶だけ長く置きすぎて渋みが出ているけど、きつくないから構わないでしょ? ――と、言っているのだ。
令嬢たちの顔は微笑を形作っているが、とても歪だ。口元は片端だけ少し高く上がり、目からは隠せていない蔑みの色が滲んでいる……のだが――
「いただきます」
令嬢たちの思惑に気付くことなく、フレイスリアが紅茶を一気に飲み干した。
教練で喉が渇いていた彼女には、飲みやすい温度になっていたお茶はありがたいものであり、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。喉が渇いていたところでしたので、飲みやすい温度で助かりました」
座ったまま少し頭を下げてお礼を述べる彼女に全く他意は無い。本気で感謝している。
お茶は『渋みの少ないもの』とは言っていたが、フレイスリアのものだけわざと茶葉の時間を置いたものだったため、相当な渋みが出ていたのだが、幼少期に教育の一環で山中に放置された経験のある彼女にとっては、飲めないような味ではない。
確かに美味しいわけでは無かったが、喉が渇いていたこともあって気になるようなものでもなかった。
自分の想像していたものとは違う彼女の反応に令嬢たちの顔には、怒りとも悔しさとも取れる色を滲ませ、肩を小さく震わせている。
あらあら、どうしたのかしら? ――と、彼女たちの表情の理由がわからないフレイスリアは小首を傾げた。
「まったく、お茶も理解できないのかしら? 軍事科にいるような方はこれだから」
フレイスリアの全く堪えていない態度に業を煮やした令嬢から決定的な言葉が飛び出す。令嬢の『お茶も理解できない』という言葉は、フレイスリアに用意されたお茶が冷めていて渋いものだと分かっていたことを示唆するものだったが、やっぱり、彼女はその意味に全く気付いていない。興味も無いのかも知れない。
「やはり、自分よりも大きい熊のような殿方を吹き飛ばすだけあって逞しいですわ。私ではそうはいきませんもの」
「全くその通りですわ。逞しい限りです」
「さぞかし、周りから好かれることでしょうね」
「ありがとうございます。私などまだまだですが、そう言って頂けて恐縮です。確かに引く手数多でしょうね」
――アーロンは熊みたいに大きくて強いから、そこら中から求婚されてもおかしくないわね。自然界なら。あれ? でも、その場合って求婚って言うのかしら? 求愛の方がしっくりくる気がするわね。
フレイスリアの思考はどこまでも斜め上に飛んでいた。
もちろん、令嬢たちの言葉は侮辱の意味を込めたものだが、案の定、その事に気付かない彼女がにこやかに返答すれば、令嬢たちが呆気に取られた表情をする。
「このっ――」
「おや? 可憐な花が集まって楽しそうだね?」
「「殿下!」」
いきなり現れたクロードを見て、テーブルを囲んでいた四人が一斉に立ち上がり、頭を下げて礼を取ったので、クロードが頭を上げる様に促した。
「四人でお茶会かな?」
「はい! 折角の機会ですので級友と親睦を深めようと」
「そうかそうか。それでリーシュベルト公爵令嬢」
「はい?」
「髪が濡れているようだが、どうしたんだ? 髪も痛むし、風邪を引くかもしれないのに」
「教練後にシャワーを浴びてから帰ろうとしていたのですが、その前にお茶に誘われまして」
「ちょっ!」
フレイスリアの髪が濡れていることに気付いたクロードが理由を問えば、彼女がありのままを答えた。
別に意趣返しの意味などは無く、ただ純粋に問われたことに対して答えただけなのだが、それを聞いたクロードの表情が俄かに強張る。
「ほぅ……なるほど。公爵家の令嬢を下の者が誘っただけでなく、伺いも立てずにあまつさえ、この様子を無視したと?」
「???」
クロードからは声音からは明らかな怒気を感じる。しかし、フレイスリアはその理由がわからず、疑問符を浮かべていた。
三人の令嬢たちが彼に怯え、顔を伏せてガタガタと震えるばかりだ。
それを見かねたフレイスリアがクロードに声をかける。
「何があったのかは存じませんが、それぐらいでお許しください」
「リーシュベルト嬢、君は……」
そこまで言ってクロードが口を噤んだ。
その様子にフレイスリアが小首を傾げていると、不意にクロードが彼女の手を取る。
「それならば、途中までお送りしよう」
「えっ? いえ、私のことはどうぞお構いなく――」
「それと、フレイスリアと呼んでも?」
「……はい。構いませんが」
フレイスリアは自分に笑顔を向けるクロードを見ながら、レオ様と一緒で人の話を聞かないのね。血は争えないってことかしら――なんてことを考えていた。




