第27話 私は上の空でした
脳筋娘は恋愛事への耐性がない……
私は私室の窓から外をぼんやりと眺めていた。
今日は雲一つない快晴で澄み渡るような青空の下、まさに訓練日和にも関わらず何もやる気が起きない。
いつもの私なら何は無くとも、訓練に勤しんでいたのだけれど。
フレイスリアは窓枠に頬杖をついて「はぁー」と盛大な溜息を吐いた。
11歳の誕生日から1週間が経過しているが、あの日から彼女はずっとこんな調子だ。
領館には要地防衛のための戦力が常駐しており、彼らと手合わせをすることと併せて、未来有望な戦士たちと切磋琢磨するのが、領地に滞在している間の彼女の日課だった。
しかし、今は何故かその意欲が湧かず、気晴らしに訓練場に赴いても上の空で全く集中できずにいる。
――私、どうしちゃったのかしら……?
自分の変化が理解できず、今日は外に出る気さえ起きない。
こうしてぼんやりしている時も他のことをしている時も気付くと、レオナルドのことを考えてしまう。
彼のことを考えると、妙な胸の高鳴りを覚えるし、今度会ったら何を話そうかと思うと、目の前にいるわけでもないのにとても緊張してしまっていた。
ふと彼からもらった誕生日プレゼントの髪留めを手に取る。
「うぐっ!」
不意に呻き声が聞こえた。
声のした方を見ると、リザが顔を押さえて何かを堪えているように見える。
「リザ、どうしたの?」
「いえ……ちょっと目にゴミが入っただけですので」
フレイスリアがリザの回答に「そう?」と首を傾げる。
確かに部屋の窓は開いているが、そんなに風も強くないし、ゴミが入ってくるように思えないけど――という彼女の考え通り、リザは別に目に何か入ったわけではない。
いや、入るには入ったが、それはゴミではなく、恋する乙女なお嬢様のあまりにも尊い姿だった。
髪留めを手に取り、目を細めて頬を赤らめ、うっとりとした表情でそれを見る姿は、普段は決して見ることのできない貴重なもので、リザにとっては鼻血もののご褒美だ。
――ああ……レオナルド殿下、ありがとうございます!
彼にはそんな思惑は一分足りとも無いだろうが、間接的にでもフレイスリアの貴重な姿を引き出したレオナルドにリザは感謝せずにはいられなかった。きっと遠くにいるレオナルドはくしゃみでもしている頃合いだろう。
そんなちょっと挙動不審気味な侍女にフレイスリアは益々、首を傾げた。
更に三日後、フレイスリアは双子の妹にせがまれて庭を散歩していた。
あれから十日も過ぎれば、さすがに本調子に戻って……はいなかった。
フレイスリアが何もないところで転んだ。
気付くと、やっぱりレオナルドの顔がちらつく。これはかなりの重症だ。
「おねえしゃま~、だいじょうぶ~?」
「だいじょうぶ~?」
サリーシャとルーシィが転んだ姉を心配して歩み寄ってくる。
しかし、フレイスリアは二人が近寄ってくるのを待ち構えていたのだ。
ガバッと体を起こしたフレイスリアが双子を両手に抱きしめて頬ずりする。
「ああ、もう可愛い! 私の天使たち!」
「きゃはは、くすぐったいよ~」
「くすぐったい~」
仲良くじゃれ合う姉妹の様子は何とものどかで見ていて癒される。
庭先のテーブルで優雅にお茶を楽しみながら、娘たちの姿を眺めていたレイチェルから笑みが零れた。
「奥様」
呼ばれた先を見遣ると、執事が二枚の封筒を携えていた。
一枚はアスタリオ王家の封蝋、もう一枚はレイクイン大公家の封蝋がしてある。
それを見て母は何かを察した。
――これは……あの子、なかなか苦労しそうね。
なんて思いながらも、レイチェルの顔にはこれからが楽しみだと書いてあった。
それを見た執事がフレイスリアを慮って、気の毒にというような小さな溜息を漏らした。
二枚の封筒を受け取ったフレイスリアは、自室で何故か手紙を開封することもせずに唸っている。
封蝋から差出人がレーヴェリアンとレオナルドであることは、彼女にも察しがついていた。
それぞれから自分に手紙を出すような人物の心当たりは、その二人ぐらいしかいないからだ。
――少し自惚れすぎかしら?
思わず笑みが零れる。
しかし、手紙と睨めっこしていても中身を読まないことには、何もわからない。
彼女は意を決し、開封することにした。
まずはレーヴェリアンの手紙からだ。
そこには11歳を迎えた彼女を祝福する言葉と祝いの席に出席できなかったことに対する謝罪、そして、王都で待っているから帰ってきたら会いに来てほしいということが書いてあった。
殿下は本当に落ち着いたなぁ――なんて不敬にも程があることを、フレイスリアはしみじみと考えていた。
読み終えたレーヴェリアンの手紙を封筒にしまうと、次はいよいよレオナルドからの手紙だ。
フレイスリアの胸は異様に高鳴り、緊張から指先が震える。
封筒から手紙を取り出して固唾を飲むと、覚悟を決めて一気に手紙を開いた。
手紙には誕生日パーティの姿を褒めちぎる言葉と髪留めのことなどが書かれており、最後にこう締め括られていた。
――『逢いたい』
彼女の思考回路は限界に達し、完全に停止した。
翌日、早朝から領館にはけたたましい衝撃音が鳴り響いていた。
訓練場で岩の壁を作り、それに拳を叩き込んで粉砕するフレイスリアの姿がある。
「心頭滅却! 煩悩根絶!」
まるで呪文のように繰り返される言葉とともに一心不乱に打ち込む。
何事かと公爵家の面々が様子を見に来た。
まるで何か迷いを払うかのように打ち込み続ける娘の姿を見たレイチェルは、昨日の手紙のことを思い出して頬を緩ませる。
彼女のことを心配してアーサーが止めようとするが、それをレイチェルが制止した。
「母上?」
「アス、いいのよ。これもあの子が自分で気付かなくちゃいけないことだから」
母のその言葉にアーサーが疑問符を浮かべると、「手紙」とレイチェルが付け加えた。
それを聞いてアーサーも半ば呆れるように納得する。
ただ、事情を知らないグランバルドとテオドールは、彼女がケガをしないかと、焦りっぱなしなのだが。
結局、フレイスリアの奇行とも言えるそれは、一時間近くも続いた。
「わかったわ! レオナルド殿下は私を更に高みに導こうとしてくれているのね!」
朝食後に精神統一のため、アーサーと一緒に瞑想していたフレイスリアが唐突に口を開いた。
どこをどう捉えれば、そういう考えに至るのか。まさに瞑想ならぬ迷走だ。
的外れな妹に兄は優しく問いかける。
「フレイ、どうしてそう思ったんだい?」
「だって、お兄様、レオナルド殿下は天才と謳われるほどの剣士にして、異相制御も素晴らしいと評判ではありませんか!? そんな殿下を前にすると、何故か私の胸は高鳴り、緊張するのです……そう、まるで強者を前にした時のような!」
アーサーは座りながらずっこけそうになった。
――ホント、なんでそっちに行っちゃうのかな……?
これにはアーサーもレオナルドに同情の念を禁じえなかった。
アーサーから見ても、彼はかなりわかりやすくアプローチをしているし、その事に周りは気付いている。ただ、当人だけが気付いていない。
いや、気付きかけたはずなのに、何故かとんでもない方向にベクトルが向いてしまっていた。
「これは王都に帰ったら、早速、レオナルド殿下に師事を仰がなくては」
拳を握って意気揚々とそんなことを漏らす妹を見て、アーサーから乾いた笑いが漏れる。
「そうと決まれば、王都に戻る前に少しでも力を付けなくちゃ。今から百人組手よ!」
この意気のフレイスリアを相手にする者たちのことを思い浮かべると、ご愁傷さまという言葉しか浮かばない。
だが、次の彼女からの言葉でアーサーは自分の身に降りかかる災難を自覚する。
「最初の相手はお兄様、お願いします!」
――殿下……恨みますからね。
アーサーは妹に腕を引っ張られる形で訓練場へと向かう。自分の主君であるレオナルドへの恨み言を心の中で呟いて。
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