第11話 私は不満が溜まっていました
今回は長くなってしまいました。
恋は盲目なレーヴェにフレイがついにやらかします。
婚約者候補となってから、妃教育とお茶会でほぼ毎日登城しなければならず、予定の無い日は疲れが溜まってしまっていることもあり、鍛錬や狩りの時間が減ってフレイスリアの不満は溜まる一方だった。
しかも、質の悪いことにフレイスリアが登城すると、彼女にとって印象最悪なレーヴェリアンがちょっかいをかけてくるのである。
それを無下にするわけにもいかず、淑女の嗜みとして笑顔を貼り付けて接するフレイスリアに対し、レーヴェリアンは大層ご満悦な顔をしていた。
そのことがただでさえ不満だらけの生活を送るフレイスリアの心情を、煽りに煽って加速度的に負の感情を増大させていく。
「お父様、私、あの顔の原形がわからなくなるぐらい殴ってやりたいわ」
城から帰る途中、馬車の中でフレイスリアは、笑みを浮かべる口元とは真逆の目をして父のグランバルドに言った。
娘から本気で危険な気配を感じたグランバルドが声をかけて宥める。
「フレイ、そう言わずに……そうだ、フレイ、何かお願い事はないかな?」
父のその言葉にフレイスリアは表情を明るくした。
最近は婚約者候補になったことで始まった教育などにより、家族との時間が減ったため、フレイスリアは寂しさを感じていた。そのため、父のこの言葉は心から嬉しいと感じたのだ。
「本当?なんでもいい?」
「ああ。フレイのしたいことで私にできることならなんでも」
「ありがとう、お父様!」
そう言って抱き着いてきたフレイスリアをグランバルドはしっかりと受け止め、「大好き」と言いながら自身の胸に顔を埋めて甘える娘の頭を優しく撫でた。
――なんでこうなってしまったの……
目的地に向かう馬車の中でどんよりと浮かない顔をしているフレイスリアの横には、何故か満面の笑みを浮かべるレーヴェリアンがいた。
―時は少し遡って、約束の日の当日、リーシュベルト公爵家―
父との約束から数日後、フレイスリアは家族全員と近くの山に狩りに出かけたいとお願いした。狩りと言っても食料の備蓄は十分だし、今の時期は獲物も豊富で現状で狩りの必要性は皆無だ。
フレイスリアもそのことは理解しており、狩りという言葉を使ったが、本音は家族とピクニックに行きたいというものだ。当然、そのことに家族は気づいていた。
外出ということで、長い髪が邪魔にならないように結い上げ、明るい空色のワンピースにつばが広めの白い丸帽子という、可憐なフレイスリアの装いである。
今日という日を楽しみにしていたフレイスリアがウキウキしながら、玄関ホールで待っていると、外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
何事かとフレイスリアが思っていると、屋敷の玄関扉が勢いよく開かれ、彼女の眼には見たくもない少年の姿が飛び込んできた。
「来てやったぞ、フレイスリア嬢!」
「別に呼んでいませんよ」
思わず出た声にハッとして口元を押さえる。
そして、おそるおそる彼の顔を見ると得意気な表情のままで、彼女の言葉を気にしていないというよりは、まるで聞こえていなかったようだ。
聞こえてなくて良かったという思いと機嫌を損ねて帰ってくれればいいのにという思い、この相反する思いに挟まれてフレイスリアの心の中はもやもやしていた。
支度を済ませてホールに来たグランバルドは、何故かここにいるレーヴェリアンを見て驚愕していた。当然、他の家族たちも。
そして、これからの予定を無言のまま断固答えようとしないフレイスリアの横にいたグランバルトから聞き出し、同行すると言い出した。王子の申し出をそれとなく断ろうとするが、頑なに付いて行くと言って聞かず、不本意ながらレーヴェリアンが同行することとなった。
フレイスリアの心は分厚い雲に覆われたようにどんよりしていた。
―そして、目的地に向かう馬車中の現在に至る―
フレイスリアが窓から外の景色を眺めていると、暇を持て余したレーヴェリアンが彼女の柔らかくて張りのある頬をツンツンとつつく。
それに対し、フレイスリアは不快感を滲ませながらも、顔に張り付けた微笑は崩さない。
「殿下、そのようなことをなさるのはおよし下さい」
「ははは、照れているのか?可愛い奴だ」
――私のこの反応をどう見れば照れていると思うのか。この脳みそお花畑が。
そう言えればどんなにすっきりすることか、フレイスリアはそう思いながらも頭に浮かんだ言葉を心の中へと押し込める。
二人の間に流れる空気の桁違いな温度差を感じて、対面に座るグランバルドは気が気でなかった。
それからも終わらないレーヴェリアンからのちょっかい乱舞を耐え抜いて目的地に到着した。それは、馬車の中という逃げ場の無い空間からの解放である。
馬車の扉が開かれると、フレイスリアはマナーも何も無視して真っ先に外へと飛び出した。
これには扉を開けた従者も驚きのあまり固まる。
淑女としてあるまじき行為なのはフレイスリアにもわかっていたが、今は形振り構っていられない程に早くあの空間から抜け出したかったのだ。
そのまま少し先の草原で大きく深呼吸して気持ちを落ち着ける。
頬を撫でる爽やかな風と心安らぐ草花の香りを感じて、漸く感情の波が治まりつつあったところに、心を乱された元凶主の声が背後から聞こえてきた。
「どうした?急に飛び出して。面白いものでも見つけたのか?」
あなたから一秒でも早く離れたかっただけです。と心の中でだけフレイスリアは返答し、追いかけてきたレーヴェリアンに顔を向ける。
「私、ここが好きなんです」
風に靡く髪を耳にかけながら、風が運んでくる緑の香りで自然と顔が綻ぶ。
無言で自分の顔を見つめたまま、動かなくなったレーヴェリアンを不思議に思いながらも、フレイスリアは離れた場所から自分を呼ぶ父の元へと駆け出した。
アーサーとは軽く型稽古と異相操作をして、精度が上がったと頭を撫でられながら褒められ、テオドールに花冠を作って頭に載せてあげれば、照れくさそうな顔で、頬への口付けとともに感謝の言葉をもらった。
レーヴェリアンがグランバルドたちと会話しながら、羨ましそうな顔を自分に向けているのが視界の端に見えたが、フレイスリアは気付かない振りをしてゆったりとした時間を楽しんだ。
やがて、お昼の時間となった。
同行していた二人の侍女が日差しの和らぐ木陰に敷物を広げ、手早く準備を済ませると、全員が集まったのを確認して中心に昼食を広げる。
具材豊富なサンドウィッチを主役に色とりどりのサイドメニューが目を楽しませる。
男性陣が内容の豊富さに目を輝かせていると、侍女が説明を付け加える。
「このお弁当は、お嬢様もお作りになられまして、特にサンドウィッチは手ずからのものです」
頬を仄かに赤く染めてはにかみながらフレイスリアは微笑んでいた。
それを聞いたレーヴェリアンが我先にと手を伸ばしてサンドウィッチの一つを手に取る。
「私のために自ら作るとは、殊勝な心がけだ。」
――あなたのためなんて微塵もありませんけど。
レーヴェリアンが手に取ったサンドウィッチを口の中に放り込んだ。
その様子をフレイスリアはすこし不安な面持ちで見守る。
好きでも何でもない彼のことは欠片も心配していないが、自分が作ったものが何と言われるかについては関心があった。
むぐむぐと口の中いっぱいのそれを、苦戦しながらも咀嚼して飲み込むと、破顔した。
「うん、美味い!」
その言葉を聞いてフレイスリアの顔が自然と綻ぶ。
招かれざる客である彼の言葉でも、自分が作ったものを褒められれば、素直に嬉しかった。
レーヴェリアンが他のサンドウィッチにも手を伸ばすのを見て、アーサーたちも焦って手を伸ばした。
穏やかな午後の昼下がり、フレイスリアの膝枕で安らかな寝顔を浮かべるテオドールとその顔を見ながら微睡む彼女の姿があった。
ゆっくりと眠りに落ちる彼女の頭が傾き、長い髪が顔にかかる。
それを見ていたレーヴェリアンが髪を払いのけようと、手を伸ばしかけた時だった。
離れた場所から護衛のものと思われる男性の悲鳴が響く。
その声に反応してフレイスリアは目を覚まし、同時に飛び起きたテオドールの頭突きを躱した。
悲鳴のした方に顔を向けると、すでにグランバルドとアーサーは剣を抜いて身構えている。
「殿下、妻とともに私の後ろに」
グランバルドの言葉にレーヴェリアンが無言で頷く。
双子を抱きながら、その身を案じるレイチェルにグランバルトは心配ないと目配せした。
フレイスリアも立ち上がって悲鳴が聞こえてきた方に目を凝らすが、森の木々があるだけで何も見えない。
彼女は異相による感知網を張り巡らせると、森の中からこちらに向かって突進してくる敵の姿を捉えた。
「お父様、相手はグリズリーです。普通より多少肥えているようですが、私だけで十分ですので、万一に備えてお母様と双子のことをお願いします」
「わかった。日頃の成果を見せてみろ」
そう言葉をかけるグランバルドの顔からは期待半分心配半分といった色が窺えるが、自分の言葉に肯いてくれた父にフレイスリアがニッコリと微笑む。
「お兄様はテオをお願いします。テオ、アス兄様から離れてはダメよ」
「フレイ、無茶はするなよ」
「お姉様……ご武運を」
不安げな顔をしているテオドールの額に口付けを落とし、アーサーの頬にも口付けをして森の方向に振り返り前へ出る。
髪とワンピースを風に靡かせて歩く姿は優雅さを湛えているが、裾から覗くブーツは岩の装甲を纏っており、彼女の両腕には光を反射する手甲が形成されていた。
リーシュベルト家は大地の属性に特化している。その令嬢であるフレイスリアも例に漏れず、その力を開花させていた。
特に身体強化に向いたフォースと攻撃に向いたマナという2つの異相力に高い適正を示し、存分に扱うことができる。
複数の異相力を扱える才能を有することは稀であり、応用の幅が大きく広がることから、多少適性が低くても重宝されるが、得意とする異相以外は『何とか使える』程度に留まることが大半だった。
そんな一般論からかけ離れた彼女のことを、家族だけでなく家臣たちも選ばれた存在だと思っているが、それ以上に愛する大切な存在として接している。
グリズリーが森の中からけたたましい咆哮とともに、その姿を現した。
見た目は大きな熊だが、黒いもやのようなものを纏っていることから、魔獣化が進んでいるようだ。
遠目からでもわかるほどにはっきりと興奮し、怒涛の勢いでフレイスリアに向かって突進してくる。
「お嬢様!お逃げください!」
グリズリーを追ってきたのだろう護衛の一人が叫ぶ。
しかし、彼女は自分のことを心配する護衛を安心させるように微笑むと、こちらに向かってくる敵に正対した。
フレイスリアとグリズリーの距離が詰まり、それがあとグリズリーを二匹分残す程度となった時、フレイスリアが左足を踏み込んだ。すると、グリズリーの眼前に巨大な岩石の塊が地面から飛び出し、グリズリーは止まることができずに頭から激突したはずみで上体を起こした。
その隙に彼女が岩塊に右拳を叩き込むと、岩が砕けて破片がグリズリーに襲いかかり、体中に突き刺さった。
だが、熊のような見た目であっても相手は魔獣化が進んでいるだけにしぶとい。
無数の岩の破片が突き刺さっても、致命傷には届かずこちらに対する戦意を失っていないが、それを見越していたフレイスリアは立て直す暇を与えない。
ワンピースの裾を翻しながら空中で一回転して強烈な踵落としを頭部に叩き込んだ。
フォースによる身体強化とマナで形成された岩の脚絆により、その威力はグリズリーを死に至らしめるに十分過ぎるものだった。
頭部を破壊されたグリズリーの体は、その巨体に見合った音を立てて倒れ伏した。
細く息を吐きだして気を整えたフレイスリアは、呆気に取られて口を開けたまま自分のことを見つめる護衛の腕に裂傷を認めて駆け寄ると、おもむろにその腕に触れる。
「お嬢様!何を……?」
「そのままで」
フレイスリアが護衛の腕の傷に手をかざすと、淡い光が彼女の手から溢れる。
すると、瞬く間に護衛の傷が塞がった。
うまくいったと安堵の息を吐くと、背後から駆け寄ってくる音が聞こえる。
「さすが脳筋の娘だ!実に見事な――」
走ってきたレーヴェリアンの言葉は終わる前に途切れ、彼の体は宙を舞っていた。
警戒態勢が抜けきっていなかったことと彼に対しての敵意により、フレイスリアは反射的に殴り飛ばしたのだ。
顔を蒼くしながらグランバルドがレーヴェリアンに駆け寄る。
フレイスリアは、「やってしまった」と心の中で呟きながらも、ちょっとスッキリした心地だったことは否めなかった。
そりゃ、不満も溜まりますよね……




