Seraph von falschgeld ~魔術師の因子~
※今回はあまり好ましくない要素も含まれているので注意しときます。
シャワールームで細江中学の生徒としての身嗜みと構えを長々と小一時間くらい説いていた美堂から解放を許され、身体的にも精神的にも疲労を伴った状態で部屋に戻ることにした。
―アンジェリーク戦の時に引き裂いてしまった親友の縁を修復するために奏美が、悠華に対して奉仕という名目で彼女の背中を洗っていたというのに、「胸」というキーワードに敏感な悠華を暴走させてしまい、終いには説教を風紀委員の千世に説かれる羽目になったわけであるが。
とはいえ今日は休日。だからこそ朝っぱらからシャワーを浴びていたのだ。
シャワールームでの一悶着もあり、悠華と奏美は子供じみた行為をした恥ずかしさと、取り乱してしまった気まずさで互いに黙ったままであった。
悠華としてはシャワールーム内での醜態を一刻も忘れたい気分だし、奏美は自身のせいで悠華が暴走してしまった責任を何としても取りたい気分だった。
そんな矢先に人間体で部屋に待ち構えていた白の魔女セレネからある事を告げられた。
「ジュエルハートが足りないわ」
と。
メタな発言をしてしまえばこの最近随分とセレネの出番が少なかったような気がする。
永善が三人の襲撃者と一人ずつ戦う場を設け、絶体絶命の危機を何度も(ここで何度も言うが、普通の人間ならば既に死んでいるだろう一撃を悠華は今までに何度も受けている)潜り抜いた悠華にとってジュエルハートの回収は目的の二の次でしかないような感覚に浸っていた。
そもそもジュエルハートはアテナ・アンジェ・アーヴェインとの対戦で勝った時の産物としか思ってなかったというのが悠華の素直な心情である。
三人の襲撃者から奪われたジュエルハートの回収については、対戦直後に永善が三人それぞれから引き取る形で請け負っているはずである。
リーガル・モントルー社の傭兵であるアーヴェイン戦ではイレギュラーな事態が起こっていることもあり、彼が所有していた分量のジュエルハートを永善が回収されているかは定かではない。
渦潮が発生しやすい環境にある関門海峡に落とされた彼の行方も知らないままである。
だからこそ悠華は当然疑問に思ったのである。
「ジュエルハートが足りないって……まさかあの傭兵さんがジュエルハートを返してないというの?」
「いえ、リーガル・モントルー社の傭兵が不当にも所持していたジュエルハートは神父から受け取っているわ」
「でも……だったら。ジュエルハートが全て揃ったのなら、セレネの体内の魔力回路が復活して魔力を存分に取り戻しているはずよ」
「それが……大部分の魔力が今も私の体内にある魔力回路から分断されているのよ。ちょっとした魔法を使用して校内を爆破させようとしたけど無駄だったわ」
「ちょっとしたくらいで学校の校舎を爆破!? やめてよね、私たちが通う学校がなくなるじゃない!」
「悠華……この人本当にいい人なの? 魔女さん、校舎爆発しようとするつもりだったらしいけど、本当に悠華が信用して契約したんだよね? 怖いよ……」
「大丈夫だって! 私が助けた人なんだから怖がる程じゃないって! コラ! 奏美が怖がってるんだから冗談やめてよね!」
「校舎爆破なんて冗談よ」
そういえば奏美とセレネの対面は今日で初めてだったか。この数日間、セレネと永善だけで事を進めていたのだから、当然の如く奏美は悠華が助けたと述べる魔女のセレネと会った時は衝撃を受けた。
まじまじとセレネの全姿を隈なく見つめて「すごい……どうしたらここまで成長するんだろう」と述べ、悠華と見比べて溜息をついた時は危うくもう一度理性が吹き飛びそうになったが。
しかし今までに起きた出来事をそのまま打ち明けてはいても、魔法や魔女についての知識はからっきしである。ましてやジュエルハートという代物が如何ほどのものかも理解できていない。
ともあれ問題はそこではない。
問題はジュエルハートが足りないという魔女の主張だ。
「悠華が既に八つ裂きにされていた私を助けた時には、魔力回路はほとんど無いとも言っていい状態だった。貴方が私の眷属として結ぶことで命を取り留めて存在を現世に留めるに至った。徐々にジュエルハートも悠華のおかげで取り戻せたけど……全然足りないのよ」
「全然足りない? 神父さんから全てのジュエルハートは受理したんでしょ? 魔力は元に戻っているはずよ」
「それが……私の中にある魔力は本来の時と比べて三割程度しか取り戻せていないの」
「三割程度って……校舎を軽く爆破しようとしただけで三割?」
「一割にも満たないけど」
「ひっ!」
「だから奏美を怖がらせないでよ……とはいえ、あれだけ私が苦労して勝ち得たというのに足りないなんて、誰かがジュエルハートを不法に所持しているとしか思えないわね」
ジュエルハート。直訳すれば「宝石の心臓」。
正しくその通りであり、見た目は全く綺麗で濁りのない宝石で、魔女の魔力を全てを凝縮した魔力回路の核である。その魔力の量は魔女以外の存在には未知数である。
計り知れないが故に強大な魔力を有しており、人ではあらぬ人外の魔物と魔法や魔術に携わる存在がジュエルハートを欲し、我が物にと企む存在が多く存在する。
三人の襲撃者がそうであったように。
褐色の女戦士アテナ、教皇庁の騎士団師団長アンジェリーク、リーガル・モントルー社のベテラン傭兵アーヴェイン。
この三人は上司から任務を与えられ、金で雇われ、或いは使命を共に帯びて極東の地である日本へとセレネを追って来たのだ。
悠華が三人を全て蹴散らし、神父が事後処理を行ったはずである。
アテナは潔く敗北を認めて故郷へと帰郷し、アンジェリークは二度と魔女の件には関わらないと約束してローマへと戻り、アーヴェインは行方を暗ましているが部下の傭兵たちは死者を除いて全員が数々の犯罪行為で逮捕されている。
「でも……傭兵さん以外には思い当たるような節はないし、アテナさんやアンジェさんが約束を反故にして再び討伐に赴くわけがないわ。やっぱり傭兵さんが……」
「悠華、横から入るようで悪いけど……その神父さんが怪しいんじゃないのかな?」
「神父さんが……?」
奏美の発言を窘める悠華。
靖国永善を疑っていいのかと奏美に反論しようしたが、敢えてやめることにした。
彼は三人の襲撃者に嬲られそうになった悠華を寸前で救い、その後に交渉して審判役として三戦も常に彼らの中間に立ってきた。
時として魔法少女リリウム・セラフィー=悠華にアドバイスを与え、暴走状態の彼女が妊婦のアンジェを惨殺するのを直前で止め、卑怯極まりない手法を取ったアーヴェインの部下を取り押さえた。
だがどうしても引っ掛かることがある。
初めて会った時、永善はアテナとアーヴェインの攻撃を見極めて指だけで受け止め、三人を相手に威圧だけで押し退けた。
しかし一介の神父と自称するには疑問に苛むだけの謎が含まれている。
魔女を圧倒したアテナとアーヴェインの大質量の武器を適当に往なすだけの技術と戦闘力を彼は有しているのだ。戦士、騎士 傭兵を相手にしても動揺しない精神も併せ持っている。
憶測で人を疑うのも癪だが、それだけの能力を持つ神父が魔女に助けを請われ、なのにセレネの眷属たちが虐殺されるまで救出できず、その代償として悠華を助けている。そして昨日まで至っては何食わぬ顔で審判役から後処理まで行っている。
あまりにも彼の為すがままに事が運んでいるのは悠華の考えすぎだろうか。対戦にしても少なくとも彼女が勝つ確率を見越して用意したようなものだ。
一つだけ予想外だったのはやはりアーヴェイン戦の時くらいであるが、その時も彼は事態の収拾を悠華に任せて姿を暗ましていた。まるで彼女が全ての傭兵を魔法で蹴散らすと見込んで。そもそも予想外のハプニングが起こっていなければ、悠華も奏美も傭兵たちによって既に惨殺されている。
――出来すぎた話だ。
「神父さんが残りのジュエルハートの在り処について何か知っている可能性は無くもないけれど……疑う余地があるとは限らないわ」
「でも、ここで相談しても事は変わらないよ? だったら、神父さんに相談するなり追及するなりして残りのジュエルハートをセレネさんの元に取り返そうよ」
「悠華の親友の言う通りね。問答しても正解は見出せないでしょうし、永善に打ち明けないと始まらないわ。悠華、今から永善のいる教会へと急ぎなさい」
「え、私パシリ?」
「魔女と眷属の関係でしょ? 上司が部下をこき使うのは現世の人間関係でも変わらないわ。私が悠華に何を命令しても問題ないわ」
ひどい関係だ。そんな事の為に契約したんじゃないぞ。とは悠華の心の訴えである。
しかし契約された以上は履行する旨が悔しくも悠華の決意だ。
「序でに午後のティーと相性の良いケーキも買ってきてくれたら私として喜ばしいわ」
「本当にパシリにされてるじゃない! そんな事の為だったら私は行かないわよ!」
愈々(いよいよ)としてパシリを強要される事を断る悠華の肩にそっと奏美の手が下ろされる。その笑顔は曇ることのない天使の微笑みだ。
「心配ないよ。私が校内の食堂の厨房を借りてお手製のケーキを作るから。冷蔵庫にある有り合わせの材料で作ることになるけど、必ず格別美味しいのを約束するよ」
「へぇ……悠華の親友はケーキを作るのが得意なのね」
「うん、だって奏美は料理に関しては一流だもんね。特にケーキはミシュランに登録されるパティシエが作っていると誤認するくらい評判がいいもの。何度食べても飽きないわ。今度も期待してるよ!」
「フッフッフッフ、お誉めに預かり光栄ですねぇ。食いしん坊な悠華の期待に応えて腕を振るうわ。でもその前に永善さんの教会に行ってからにしましょ」
「えぇ……もしかして奏美も一緒に教会に行くの?」
「当然だよ! 悠華に何かがあったら心配だから私も当然行くわ。私たち親友でしょ?」
アーヴェイン戦の直後に再び結ばれた絆は以前よりも深く結ばれているのか、二人の親友同士としての信頼関係は今まで以上にないものであり、そのことに悠華は胸が熱くなるのを感じた。
奏美が外出用の服選びに取り掛かったのを機に、同様に悠華も関心の薄かったオシャレに集中することにした。行き先は永善が主任司祭として務めている教会だが、二人ともショッピングでも行く勢いで服選びに取り掛かっていた。
そんな彼女らをセレネは人形の瞳のような眼でただ虚ろに見ていた。
――全ては彼の思い通り、か。
セレネの体内にある魔力回路の中核としての構造を為すジュエルハートの手掛かりを探るため、悠華と奏美は永善のいるカトリック教会へと行くことにした。
細江中学からは南西に二キロの地点で位置する教会だが、校門から出て交差点を左に曲がり坂道を下ればあっという間にたどり着く――その分学生寮に戻るには一苦労である。
しかし永善はどこか感情の起伏が薄いというか、絡繰り人形の如く心が空虚しかない面が見受けられるので、どうも読めないのが顕著だった。
だから――
「なるほど。それで君たちがここに来たというのだな。こんな場所で話すのも何だ、私が泊っている会館にてお茶でもしようじゃないか」
「はぁ……」
行き先の教会の入り口で出会うなり無機質な対応で二人を困らせたものだ。
今は日曜日の十時半を過ぎている。永善が務めている教会ではいつも九時から十時までにミサが行われているのでそれなりに滞在している人は多い。この地域でのカトリック教区としての役目を果たしているのでそれも当然か。
永善が放った「会館」というのは正式には「自治労働会館」というもので、この地区の自治会が集会や会議に用いる目的で過去に出費して敷設した施設であるが、教会と隣り合わせという事もあって現在では一階は信者が定期的にお茶会やパーティを開いて交流する場となっており、二階は赴任した神父が寝泊まりしている。不法占拠であるかもしれないが、地区の自治会議が最近開かれていない事もあって教会が関門市から賄われる維持金と信者の献金で支える形で所有しているのだ。
そんな事情を持つ自治労働会館の会堂で悠華と奏美は永善に言われるままにソファに腰深く座り、彼が用意したカステラと紅茶を遠慮気味に頂いていた。
「どうかね? 長崎県の教会の知り合いからの貰いものだが味はよろしいだろうか? 紅茶もスリランカから取り寄せてきた高級品なんだが口に合うかね?」
「はぁ……高級品って言われても堅苦しくていまいち味がわからないんですけど……」
口に含んだカステラのまろやかな味を舌で味わいつつも、恐る恐る紅茶を飲む奏美。
動作がぎこちないのは悠華も同じことであり、飲食する動作が緩やかだ。
「まあまあ遠慮することはないさ。気にせずに食べなさい。紅茶も二杯目を希望すれば私が注いでやろう。健気な女の子二人とお茶会するのは珍しいしな。紅茶と合うチョコ菓子もあるんだが食べないかね?」
「あの、私たちは神父さんとお茶会をするためにここに来たわけじゃないのよっ!」
「大方分かっているさ。だけど今日は日曜日だ、安息日の茶会で早々と急ぐ必要はないだろう。それに…………君たちが来るということは十中八九予想していたが、早目に来るとは思ってもいなかった。もてなしが有り合わせのものでなければきちんと接待ができたんだがな」
「私たちが来ることを……?」
――予想していた?
――突然として尋ねることとなった悠華と奏美を?
――何のために?
「ああ。白の魔女セレネの魔力回路の中核を為すジュエルハートが足りないと呟く頃合いだろうと思っていてな。残り七割の部分のジュエルハートの欠片――いや本体については在り処は特定されているのだよ」
「在り処がわかっている? だったらその在り処を勿体ぶらずに教えてよね」
「焦るな、神田悠華よ。白の魔女のジュエルハートの在り処はだな――教会にあるのだよ」
「え、セレネのジュエルハートが?」
永善の思わぬ発言に悠華は一瞬時間が停止したかのような感覚に襲われた。
――白の魔女の魔力の根源であるジュエルハートがこの教会に存在するというのはどういうことだ?
その疑問を抱えていた悠華の心情を永善はニヤリと含み笑いを浮かべて、懐から一つの白い石塊をテーブルの上に差し出した。
石塊というか鉱山の中で長い期間を経て育成した鉱石で、ダイヤモンドみたいに輝いてはいるものの灰色ではなく乳白色だ。
一瞬だけでも魅入られそうになったが悠華は確かな猜疑の眼差しを自称「一介の神父」である永善へと向けた。
「これがセレネのジュエルハート? それが何故ここに……神父さんが持っているの……?」
「愚問だな――全ては君たちがここに至る為の経緯。白の魔女セレネとその眷属が三人の襲撃者と戦っている間、私が慎重にこっそりと彼女の体内から引き抜いたのだよ。彼女に気づかれるのではと内心ビクビクしていたが……戦っている最中では焦っていたのか簡単だったな」
「引き抜いた……?」
彼の言葉が真実ならば――彼はセレネと五人の魔法少女が三人の襲撃者と戦った現場に姿を現していたことになる。
必死のセレネの懇願を受けて救出に向かいながらも行動に移さずに、冷酷にもセレネや魔法少女たちが無様に朽ちていく惨劇を黙って目撃していたのだ。
その時には――既にセレネの体からジュエルハートを引き抜いていた。
考えてみれば圧倒的な魔力を誇る魔女が、戦闘のプロであるアテナ、アンジェリーク、アーヴェインの三人を相手に苦戦を強いるはずがない。強大な魔力を凝縮させれば指先一本、いや扇の一振りだけでも彼らを跡形もなく抹消することがセレネにはできるのだから。
それなのに瀕死の憂き目に立たされたのは――それが原因だったのだ。
力関係が逆転して魔法少女は虐殺され、セレネは悠華に助けられるまで命乞いをする羽目になった。
つまり、悪意の根源は永善にある。
悠華が紅茶を注いだティーカップを壊す勢いで叩きつけて激昂するよりも早く、神父は右手を差し出して押さえた。
その表情には何の感情もない。
「怖い目で私を見るでない。バランスを保つことが必要だったのだ。私が彼女からジュエルハートを引き抜いて力関係を逆転しなければ――私の、いや彼から託された計画を始めることすらできなかったのでな」
「でも、その計画で貴方は間接的に人を殺したのよ! それがわからないの!?」
「わかるとも。当然の犠牲の上に成り立つ計画だったのだからな。今は序の口のようなものだが、それでも彼の計画は始まっている」
「その計画が――何だって言うのよ!」
「フフッ、それは君のためでもあるのだよ。寧ろ君のための計画だ」
「私の?」
「悠華の?」
神田悠華のための計画とはどういうことだ。
意図がわからないままに二人が首を傾けると、永善は乳白色の石塊を再び懐に入れて立ち上がった。
「白の魔女セレネのジュエルハートは後で返そう。今から教会の地下にでも行こうではないか。そこで君たちに計画の事を教えてあげよう」
緊張感が漂う茶会を無理やり終わらせた悠華と奏美は、永善の後に続いて自治労働会館の隣に所在するカトリック教会の施設内へと進入することとなった。
どうやら教会の存在は江戸時代に遡り、迫害時代の資料がガラス棚に保存されているのが確認できる。切支丹が使用していた小聖堂が時代を経過して明治・大正・昭和へと移る度に増築され、現在の教会の姿は十五年前にリフォームされたものが存在している。
教会の地下というのは、当時の切支丹が迫害を恐れて小聖堂の地下を掘ってできたものであり、今も特定の階段から下りることで進入することも可能らしい。しかし存在を知る者は着任司祭と古くから教会を訪ねる古老だけである。
教会の祭壇の隅に隠された階段を下りて、湿った空気を頬で感じながら電球だけが灯った暗い地下通路を通ると、やがて奥行きの広い空間へと到着した。
「これを見るがよい」
「あ……」
永善が示す先に――切支丹が礼拝に使用したとされる地下洞窟の聖堂の奥には――一体の石像が安置されていた。
石像の傍に設置されていた白熱灯だけではその全容を捉えきるには心細いので、奏美と共に近寄ってみると石像は女性の姿を象っていた。
悠華と似たようなストレートロングの髪が一本一本綿密に再現されており、女性特有の丸みを帯びた細身の体格が見事に顕現している。ワンピースにも似た上下一体の生地の薄そうな服を羽織ってはいるが、リングを嵌めた腕と足は素肌を剥きだしている。
石像だというのにまるで呼吸をして眠っているようで、閉じている瞳が今にも開きそうだ。それどころか生きているのではないかと思うほど人間味が滲み出ている。
教会の祭壇の横に設置されていたマリア像のように慈しみの表情が浮き出ていて美しい。
だが一方で人という概念からかけ離れた部分も見られた。
それは背中から生え出でている三対六羽の羽だ。
背骨を中心として生えた六枚の羽が華奢な身体を包むようにして囲っているのだ。
とてもではないが羽の生えた人間など非現実的だというのに、悠華にとっては見慣れているものと錯覚していた。
その羽が、悠華の構築魔法である「熾天使の翼」の翼と同様の羽だったから。
そして両手で持っていたハート形の石に刻まれた三対六羽が目に焼き付けられたからだ。
「綺麗な石像……」
「……私に似ているわ」
「ほぉ、この石像が神田悠華自身に似ているとは、不思議な感想を述べるものだな。だがそんな事を言うのも当然なのかもしれん」
「? この女性の石像が私に何の関係があるっていうのよ。それに計画とは一体何なのよ!」
「単刀直入だな。この石像はとある人物――私が「彼」と呼ぶ男から移譲された石像でな、彼が自分の死の間際に私に授けたのだよ。それも二年前にだ」
「二年前……?」
奏美には気づかなかったようだが、悠華は「二年前」という言葉に反応して永善の方に視線を向けていた。
その視線が人を殺してしまいそうな睨みだったのは、向けられた永善は把握できていなかった。
「そう。彼と初めて出会ったのは数年前ではあったが、この教会の以前の着任司祭であった亡き父の縁で親交を深めていたのだよ。その時に彼は私にこの石像の事を打ち明け、後に譲る約束までしてくれたのだ。既に老衰しきっていた彼は命が長くないことを悟って計画を全て語った」
「っ……その計画は、一体何なの?」
「その計画は元々、この石像をとある場所で発見したことから始まった。彼がまだ若かった頃の出来事でな、『魔術師』であった彼は石像の一つの可能性を見出したのだよ」
「可能性?」
「石像は《偽創の熾天使》と呼ばれた。背中から生えた六枚の翼が聖書の中で語られる熾天使の翼に似ていたからな。石像はすぐに科学調査されたようだが、石像が作られた時代を特定することは当然できなかった。当たり前だ、この石像は『現在の地球の歴史』以前のものだったのだからな」
「地球の以前の歴史……?」
「おっと、ここは話すわけにもいくまい。私が彼と呼ぶ魔術師は石像に多くの魔力が秘められている事を知り、そこから――彼女が持っていたジュエルハートから魔力を引き出したのだ」
――彼女。
――ジュエルハート。
黙々と語る永善の言葉が、悠華や奏美にとっては有り得もしない虚実を語っているようにしか聞こえない。
もし真実ならば――彼女と呼ぶ女性の石像は本来は人間だったということになるではないか。
人間に近くて人間に有らざる、芸術的な美を備えた岩肌の女性の石像が――?
それに彼が魔術師だというのがどうしても脳裏から離れない。
セレネのような「魔女」と同じ存在なのか?
それと「現在の地球の歴史」というキーワードはどういう意味合いで告白したのだ。
「人が為して作り出す創造――『偽創』と呼ばれる魔法の組成を発見した彼は、人が神と同等の存在に昇華できることを提唱した。熾天使というのは神に最も近しい存在であり、天使の中では最上級の存在だ。だからこそ彼は作り出すことにした――人でありながら神に等しき存在を作り出そうとな。これが彼の計画だった」
「人が神に等しい存在になる……!?」
「勿論そんなものは宗教に携わる人間にとっては神への冒涜とも言える行為だ。だが私はそうは思わなかった。それどころか私も亡き父も素晴らしいと称賛さえした――理由? 理由など矮小なものさ、私はただ人が神になる現象と威光を見たかっただけなのだ」
最早、誰に言い聞かせているのかわからない状態で永善は女性の石像を崇めるようにうっとりと見つめている。
セレネのジュエルハートを取り返しに来ただけであって、知識は深くない奏美には理解できない領域に立たされていた。
永善を変人の臭いさえ感じた奏美が親友を連れて帰ろうとすると、悠華は地下通路の寒気に充てられたのか、両肘を抱えてブルブルと震えていた。
「悠華? どこか具合が悪いの? だったら神父さん放っておいて地下から出ようよ。あの人、何を喋ってるのか訳がわからないよ」
「だ、大丈夫……大丈夫だから心配しないで」
その割には荒い息を吐いたり吸っていたりしている悠華。
何に苦しんでいるのか、それを悟ることはできない。
「――娯楽や趣味を捨て、計画に長い年月を集中させて人生を半分以上も浪費した彼はすっかり老いさらばえてしまった。このままでは努力が実らないままに余生を終わらせてしまう……焦ってしまった彼はただひたすらに石像を研究して結果を出そうとした。その様子に亡き父はただ見守ってるしかなかった」
そこで彼は、魔術師はある事を思いついた。
――己が神に近しい存在になれないのならば誰かに代わってもらおう、と。
――それも魔術師の血を引いた何者かに。
――己の遺伝子を引き継いだ命にその役を担ってもらうのだ。
「……っ!」
「老体となった彼はこの石像から因子を自身の魔力回路に取り込み、そしてある女性に催眠の魔術を施して――背徳にも既に人妻であったその女性と一度だけの肉体関係を有して姦通し、自らの種を女性の胎に孕ませたのだ」
「神父さん、それ以上言わないで!」
「何を隠そう――」
神父の言葉は――
「私が彼と呼ぶ男の名は、稀代にして『偽創』の魔術を手繰る魔術師『クリストハルト・ローゼンクロイツ』。悠華くんの戸籍上での祖母である『エレオノーラ・ローゼンクロイツ』の弟、君の戸籍上での大叔父だ。そして彼の種を孕んだ女性というのは神田麗華――神田悠華の母なのだ」
――あまりにも無情で悠華の心臓を抉ってしまった。
「そんな……じゃあ、悠華は――」
「神田悠華は不義の姦通で生まれた不義の娘。クリストハルト氏の遺伝子を受け継いだ子なのだよ」
――神田家に於ける家庭崩壊の原因は、悠華が神田家当主の娘ではなく祖母の弟にあたるクリストハルト・ローゼンクロイツと母の麗華が姦通して生まれたという事実が発覚したから。
二年前に大叔父が病死する間際の告白が引き金となって発覚したのだから。
――誰にも知られたくなかったのに、神父が知っていた。それを堂々と親友の奏美の前で語ったのだから。
悠華の中で感情が沸点に達してついに爆ぜた。
右手を空中へと伸ばして叫んだ。
「白き天翼は熾天使の象徴! リリウム・セラフィィィィィ!」
太陽の光が行き届くことのない地下の中で悠華の身体を白光が包んで、下半身から徐々に魔法少女――セレネの眷属としてのスタイル――へと姿を変えた。
眩い白光に視界を遮られた奏美には見えなかったが、変身して間もない内に悠華は即座に飛び出して拳を神父の顔面へと叩きつけようとする。
しかし永善は軽い身のこなしで彼女が殴るよりも早くバックステップをした。
「は、悠華!」
「私を殺そうとするか、神田悠華――いやセレネの眷属リリウム・セラフィーよ!」
「貴方は私を怒らせた……本来あるべきだった私の生を歪め、家庭を崩壊させて、尚も苦しめ続ける大叔父の亡霊め! 絶対に神父さんを倒す」
「倒す? 私と戦うとでも言うのか。馬鹿な事は抜かさない方が保身に繋がるぞ。私はクリストハルト氏と亡き父から頼まれているのだ。《偽創の(・フォン)熾天使》の因子を持って生まれた君の成長と計画の成功具合をな。その為にお膳立てまでしてやったのだ。感謝さこそされ恨まれる覚えは全くない」
「お、お膳立て……じゃあやっぱり貴方はセレネとその眷属だった魔法少女たちを見殺しにしたのねっ!」
「ああ。ローゼンクロイツ家は元々は魔術師の系譜を持つ家柄だ。魔術師の遺伝性は非常に優秀だが、次女エレオノーラ氏の嫁ぎ先であった神田家は魔術師とは無縁の家柄だったので君の成長が危ぶまれた。そこで好機到来という訳だ。白の魔女セレネに助けを請われた私は、アテナ、アンジェリーク、、アーヴェインに襲撃されていた彼女からジュエルハートを引き抜き、計画に必要なバランスとして力関係を逆転させて眷属たちを彼らの手で嬲り殺しにさせてセレネも瀕死に追い込ませたのだ。後は君の知る領域だ」
血塗れのセレネと出会い、魔法少女となり、三人の襲撃者と戦うこととなったのは非現実へと誘った運命の悪戯ではなく、全て永善の差し金だったのだ。
「貴方はそれでも神父なの!?」
「勿論さ。神の存在を顕現するためなら何でもやる『一介の』の神父だ。さて、私の素直な気持ちとしては君とは戦いたくのだがな。でも君の心が私を消したがっているようだ」
「今すぐにでもこの拳で一発叩きこんでやりたいくらいよ! できればその悟ったような顔も二度と見たくないわ!」
「……」
一瞬だけ永善が悲しい表情を見せたような気がしたが、悠華は怒りの身を任せていたのでそんな事は気にしなかった。
そして悠華が戦闘の構えをとるように、彼も格闘技独特の構えをとった。
その瞬間、彼らを覆う地下の聖堂に魔力結界が張り巡らされた。
「ならば対戦だ。三人の襲撃者と戦ったように私と戦うのだ。勝利条件は私を戦闘不能に追い込むだけでいい。君が勝ったらジュエルハートを返して、この街から消えることを約束しよう。但し私が勝てば――いや必要ないか」
「必要ない……!?」
「ただ私はクリストハルト氏から頼まれた計画を遂行するだけだ。さあ偽創の魔術師の血統を受け継ぐ娘よ、君の言う『大叔父の亡霊』を消滅したければ私を打ちのめすが良い。だが私は今までとは格が違うぞ」
――誰が相手だろうと魔法で圧倒するだけだ。
母を寝取った魔術師から受け継いだ魔力ではなく、白の魔女セレネが覚醒させた魔力で。
奏美が成り行きを見守る中でいよいよとして「四度目」の対戦が始まった。
一身の都合上、しばらく間を置いて投稿することになりました。
かなりの長文になっていますので乱文になっていれば手直しをしたいと思います。