08.◆◆◆リスタートのリスタートは覚悟と共に
真っ暗闇の中、凪のように穏やかな騒めきだけが空間に響いている。
衣擦れ、呼吸――そして、興奮に震える心臓の音。
そこに在るのは期待。世界が変わる瞬間を今か今かと待ちわびる誰かのあふれ出た声。
やがて、鼓動は消えていく。闇と無音は重なっていく。
そうして、微かな揺らめきも消えたころ、待ちわびたかのようにスポットライトが闇を切り裂いた。
四方八方から浴びせられた円柱状の光はステージの上の一点、人工の光に負けないくらい輝く少女へと降り注ぐ。
少女はマイクを片手に走り出すと、後押しをするようにスピーカーからはポップでキュートな音色が溢れ出した。
止まっていた世界にスタートのサインを出すのは、よく通る少女の声。
「みなさーん、おまたせしましたー!」
映像の中には、世界で一番素敵なアイドルが居た。
これが撮れた日は、わたしが目覚める数日前――あの人がステージに立っていた時の景色。
――ああ、知ってる。
何も言えない。言葉が出ない。
思うようにふるまえない日々の中で何度も思った。どうすれば、この『星美ユナ』みたいに素敵な自分になれるかと思った。
だって。素敵なんだ。水晶みたいに透明でよく通る声も、春のお花みたいに柔らかい笑顔も、すべてが! 素敵だと思ったものは、ここにあるんだ。
『あの人は……ひとつ前のわたしは、幸せになれるんでしょうか』
寮母さんは答えなかった。答えることは出来なかったんだと思う。その問いに答えを出すのは、あの人にしか出来ないから。
あの人がこれからどんな道を選ぶかは分からない。
だけど、今まで歩んできた道をわたしは知っている。
だって、何万と言う人が一人の少女に声援を送っている。それを、ただの人が受け止めている。
そして、送ってきた声援に幸せを返してくれる。
そんなことが出来る人が、幸せになれないでいいはずがないっ!
歩んできた道を否定されて良い訳がない。
その道が幸福であったかを決めるのは、あの人にしかできないけど――
――そこに意味はあったかどうかは、わたしが知っている。
◆◆◆
その夜、夢を見た。
大人が五人も入らないような狭い部屋の中に、疲れた顔のお爺さんと、女の子が向かい合っている。女の子の顔は、わたしも知っている。
ちょっと今より幼いけれど、わたしとそっくりな顔。『星美ユナ』の顔をしているから。
「アイドルを知っているかい?」
「うん! だって、わたしはそのためにここに来たんだもの!」
迷ことなく答える女の子に、お爺さんは顔をしかめる。
「怒ってるの?」
「違うよ、ちょっとだけ、考え事があっただけだよ」
たぶん、そうなんだろう。だって、怒っているというよりも泣きそうな顔をしているから。
「ねえ、どうしてアイドルになりたいんだい?」
木枯らしのような問いかけに、女の子は迷うことなく言葉を返す。
「うん! だって、キラキラして素敵なんだもん!」
迷うことなく、すぐに。
「うん、そうだね」
お爺さんの顔が、ちょっとだけ柔らかくなった気がした。
悪いことから許されたような。許そうとしているような。
「これは、独り言なんだ。忘れてくれてもかまわない」
そう語る顔に後悔はあっても、迷いは見えない。
「僕たちがやっていることは、ただの妄執だ。人の道に外れた手段を用いてまで、過去の記録にあった世界を再現しようとしている。ただの、エゴなんだ」
心の底から信じていたんだと思う。自分たちが間違っていても、その先に作られるものが素晴らしいものであることを。
「僕たちは、汚い。だけど、キミたちは誰が何と言おうと、光っている」
『星美ユナ』は、真剣な顔をして聞いていた。
忘れていい、なんてお爺さんは言っているけど、忘れることなんて出来ないと思う。
真剣な人の言葉を、いい加減に聞くことなんて、わたしたちには出来ないから。
「アイドルは、素敵なものなんだ」
ぼんやりとした世界の中で、その言葉だけはちゃんと輪郭を持っている気がした。
◆◆◆
翌朝は、誰よりも早く目覚められた。
食堂に顔を出すと、準備中の寮母さんが居る。いつもみたいに、お味噌汁の温かい香りを漂わせていて、そこに居るだけでホッとさせてくれる。
「おはようございます」
昨日のことがなかったかのように、寮母さんはまんまるな微笑をわたしにくれた。
どう返事をしていいか、ちょっと迷う。寮母さんは、わたしたちの真実を知ったうえでずっと接してきた。残酷だと思うし、耐えられるぐらいには人が悪いと思う。
だから、何も考えないで一番自然な顔をしよう。
「はい、おはようございます」
ニコニコと満足げに頬を揺らす寮母さん。
うん、きっと、わたしもひどい顔はしていない。
「少し、聞いていいですか?」
相談事くらいしても、大丈夫だろう。
寮母さんは頷くと、近くのテーブルから丸椅子を引っ張って来てくれた。
早朝の食堂にはまだ誰も居なくて、お味噌汁の優しい香り以外はわたしたちだけ。
「今朝、夢をみました。いえ、今朝も、と言った方がいいかもしれない」
時々、夢を見る。少女が悩み、歩んでいく夢を。
「時々、すごい現実感がある夢を見るんです。わたしが……『私』が体験したことをもう一度見ているような」
「なるほど」
寮母さんは頷く。何か納得がいったみたいだ。
「結論から言うと、たぶん過去の光景です」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
なんとなく、予感はしてた。
わたしは、あの景色を知っている気がしたから。
「知っていますか、夢は、今まで見てきた記憶から作られるんですよ」
どこかで聞いたことがある。眠っている間に記憶を整理するために夢を見るんだと。だから、知っている景色からくみ上げられているって。
「貴女には、もう一つ前の貴女の持った記憶が植え付けられている。それが、夢になって出てくることはあると思います」
わたしがどういう経緯で作られたからは分からないけれど、ある程度一つ前の私の記憶を持っている。それを、本来は夢として処理するところを、厳密には本人ではないわたしは俯瞰して眺めてしまう。
うん、仕組みは分かった。
だから、ようやくつながった。
わたしが見た景色は、本物だ。あの子も、苦しんでアイドルになったんだ。
「そっか……」
不安なこともあったし、迷うこともあった。
だけど、理想を信じて努力をして、歩いてきた。
「うん、そっかっ!」
そう、歩いてきたことは、確かなんだ。
何一つ間違ってない。たとえどんな生まれだったとしても、歩いてことに間違い何てないんだから!
「いい顔ですね」
「はいっ」
わたしは、たぶん『星美ユナ』さん程強くはない。
同じパーソナルデータを持っていても、歌も踊りもトークだって、なに一つとってもあの人に勝てないと思う。
それぐらい、素敵なモノで――わたしの中の憧れだから。
それが無くなってしまうのが怖い。意味がないと言ってしまうのが怖い。
だから、わたしはステージに立ちます。
たとえ模造品だったとしても、そこに価値があるのだと証明するために。
どう作られたとしても、生きている以上わたしの望みはわたしのモノなんだ。
◆◆◆
夏が終わる頃に、定例のライブがある。そのステージにわたしも立つ。
怖いし、一つ前のわたしのように上手くできないのは、わたし自身が知っている。
だけど、努力を止めるつもりなんてない。
レッスンを重ねた。来る日も来る日も身体をいじめて、技術を磨く。
目標は、いつだって胸の中にある。だから、どんなに辛くても耐えられた。
時間はあっという間に過ぎていった。
ライブの日、薄暗いステージの袖で、衣装に身を包んで出番を待つ。
前のこの曲が、ラストのサビに入る。じきに後退の合図は出る。
両手で、頬を叩く。音はない。強くたたく必要もないから。
「いってきます――」
告げるべき先に、人はいない。ただ、自分の心を押す。
「ユナさん、お願いします!」
「はいっ!」
合図とともに、駆け出す。
一歩一歩、確かに床を蹴って前に出る。
そして、飛び出した舞台の上。世界が歓声で揺れる。
わたしを迎える多くの光。その中に、まるで鏡の様にそっくりな顔があった。
ユナさん、見ていてください。
わたしの姿はきっとあなたよりも拙いものだけど。
だけど、少しでも近づけますからっ!!




